第七十話正義と慈悲はひとを動かす
修復完了までには、最短でも3年は要すると言われています。
でも、傷ついたこの類まれな名城は、今もその雄姿を残し、市民や、そこを訪れるひとたちを勇気づけてくれています。
日本三大名城には、諸説ありますが、設計の技巧や美しさから、名古屋城、大阪城と並び、この熊本城も選出されます。
この城を築城したのが、加藤清正。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将です。
彼は尾張、今の愛知県の生まれですが、今も熊本のひとに愛され、親しみを込めて「せいしょこさん」と呼ばれています。
清正公のあと、熊本城は、江戸時代200年に渡って、細川家が治めましたが、それでもやはり、熊本城といえば、加藤清正。
明治時代に入って西南戦争が起こり、城の天守が燃えたときも、城下町のひとたちは、「せいしょこさんの城が燃えている」と口々に言いました。
この城を攻め落とそうとした西郷隆盛は、1万4千の兵を率いましたが、4千人の籠城を打ち破ることができずに、誰一人として侵入できなかったと言われています。そのとき、西郷はこう言ったそうです。
「おいは、加藤清正に、負けもうした」。
もともと熊本という地名の熊は、動物の熊ではなく、こざとへんの隈取りの隈でした。
それを、「もっと強い名前にして、栄える町にしたい!」という清正公の強い願いから、字を換えたと言われています。
たまたま赴任した土地で、誠心誠意、そこに暮らすひとの味方であり続けた加藤清正が、なぜ長い長い時を経ても愛されるのか。
そこには、ひとの上に立つべき人間には欠かせない、勇ましさと繊細さを合わせ持つ人徳がありました。
情けと慈悲の心に厚い武将、加藤清正の人生から見えてくる、明日へのyes!とは?
肥後熊本藩初代藩主・加藤清正は永禄5年、1562年に生まれた。
幼名は、虎之助。父は刀の鍛冶屋だった。
3歳で父を失う。母が虎之助の身を預けたのは、遠縁にあたる羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉だった。
秀吉は武家の系譜ではない。もともと自ら足軽からのし上がってきた人物なので、侍大将になってさえ、家来がいなかった。
信じられるのは、弟の秀長、ただひとり。
そんな中、遠縁とはいえ、虎之助、のちの清正の存在は有り難かった。
虎之助は、大柄な体格を持ち、面長で上品な顔立ち、鋭い眼光に、よく通る大きな声を備えていた。
秀吉は、彼を可愛がった。
特に誠実で律儀なところが気に入った。度胸もあり、槍の使い手でもあった。
虎之助、20歳のとき、羽柴秀吉が天下をとるための大きな戦いがあった。
織田信長が本能寺で敗れたため、その跡目を争う柴田勝家との合戦。
『賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い』だ。
激しい戦いになった。勝家を追い詰めたと思われたが逃げられる。
たくさんの武士の亡骸を前に、秀吉が虎之助に銭を差し出して言った。
「敵も味方もない、明日は我が身だ。これらの骸(むくろ)に、蓑や笠をかけてやれ。百姓にこの銭でお願いしてこい。それからわしの馬を使え、用事がすんだら、すぐに追いつくんだ」。
敵を逃し、焦っているのに、亡くなったものへの情けを忘れない秀吉。虎之助は、感動を覚えた。
「いいか、虎、慈悲の心を失くしては、ならん」。
秀吉軍の勝利に大いに貢献したいわゆる『賤ヶ岳の七本槍』のひとりが、虎之助、のちの加藤清正だった。
功績をたたえられ、秀吉から3千石をもらう。
虎之助の若さでは異例の報酬だった。
しかし、虎之助は、不満だった。
他の腹心、福島正則が、5千石もらっていたのを知ったからだ。
「正則のほうが親戚筋として近いのはわかる。でも、同じような働きをして、どうしてそこに差が生まれるのか!オレは我慢ならん!この3千石は、返してくる!」
その大きな声は秀吉にも聴こえた。
秀吉は、そんな虎之助を怒るどころか、よくぞ成長したと内心ほくそえんだ。
まわりのものがハラハラする中、虎之助は、すぐに残り2千石を追加された。
「おい虎、おまえは今日から加藤清正と名乗るがいい」。
こうして、清正は、さらに秀吉の信頼を得ていった。
彼は、心に軸を持った。
それは、どんなに勇敢で武術にたけていても、正義と慈悲を持たぬものは、天下人にはなれない。
加藤清正は、豊臣秀吉の九州平定に尽力し、肥後の国19万5千石を与えられ、熊本城に入った。
前任者、佐々成政が、統治を急ぎ、農民の一揆により失脚したことを受けての後任だった。
それから16年あまり、清正は、肥後の国、熊本の改革・発展に命をけずった。
農民の公共事業への参画は、農閑期にかぎった。特産物を推進して広く知らしめ、今でいう街おこしにお金を使った。
治水や備蓄にも、力を入れた。
熊本城近くには、今も清正が掘った遺構が使われている。
水を整えることで農業や暮らしが安定する。
籠城に備えて、城内にイチョウが植えられ、熊本城は別名「銀杏城」と呼ばれた。
そして関ヶ原の戦いで、家康側につきながらも、君主・秀吉のことを忘れなかった。
「正義と慈悲を、どんなときも心の軸にすえるということ」。
秀吉からもらったものと、幼い頃から培った性質が彼を導き、彼を偉人に押し上げた。
ひとは、なんとなく偉人にはなれない。
心にぶれない軸を持ち、なすべきことをなしたとき、まわりのひとが、彼を神輿の上に担ぐのだ。
武将・加藤清正の化身、熊本城は、地震に耐え、残り、その勇壮な姿を留めている。
正義と慈悲は、いつの世も、ひとの心を動かす。
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