第二百四十三話自分の中にyesを探す
今年で50周年を迎えます。
ちなみに、4人が最後にレコーディングしたアルバムは、『アビイ・ロード』。
1962年、『ラヴ・ミー・ドゥ』でデビューして以来、わずか8年あまりの活動で瞬く間に世界を席巻し、解散後50年経った今も、彼等の音楽が流れない日はないほど愛され続けています。
昨年は、もしもこの世にビートルズの音楽がなかったら、というファンタジー映画『イエスタデイ』が大ヒット。
楽曲の素晴らしさがあらためて証明されました。
今年9月には、映画『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの監督で知られるピーター・ジャクソンが手掛けた、ザ・ビートルズのドキュメンタリー映画が、ディズニーより公開される予定です。
タイトルは、『ゲット・バック』。
自分がかつていた場所に戻れ!
『ゲット・バック』という曲は、もともと逆説的に外国人の移民排斥・反対を唱えるものとして誕生しました。
それがいつしか、解散の危機を憂えたポールがジョンに戻って来いと訴える歌になった、と言われています。
「自分が、かつていた場所に戻る」。
ビートルズ4人のメンバーそれぞれの軌跡は、自分のかつての居場所に戻る旅でもありました。
アイルランド系移民が多く暮らすリヴァプールという街の風景は、彼等の心にしっかりと刻まれていたのです。
それぞれが歩いた、心の中のyesを見つけるための長い長い曲がりくねった道。
ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。
彼等が音楽の中にみつけた居場所、そして、明日へのyes!とは?
ジョージ・ハリスンは、1943年2月25日に生まれた。
父はもともと船のボーイとして働いていたが大不況で退職。
リヴァプール郊外でバスの運転手をしていた。
父の宝物、それは、船乗り時代に訪れたアメリカから持ち帰った、ラジオ、蓄音機、レコード、そしてギター。
ジョージは、ビートルズの他のメンバーの誰よりも早く、音楽に触れ、ギターを触った。
幼い頃は、周りの子どもと同じように森を探検し、本を読み、スポーツをしたが、学校に入ってから全てが変わる。
先生が嫌いだった。
当時は教師の多くが退役軍人。
いばり散らし、叩き、教養がなかった。
学校に幻滅したジョージは、授業をサボる。
クラスメートからは、「暗いやつ」「いつも隅っこにいる」「話しかけづらい」と思われ、孤独な毎日だった。
そんなとき、イギリスで大ブームになっていたスキャッフル・ミュージックと、エルヴィス・プレスリーのロックンロールにのめり込む。
廃車になった二階建てバスの上で演奏する、クオリーメンというバンドの演奏を聴いた。
ボーカルは、イカレテいた。
でも、カッコよかった。
それが、ジョン・レノンだった。
ジョンは、言った。
「ひとは、ほんとうにひとりぼっちのときに、誰もできなかったことを成し遂げるんだ」
リンゴ・スターこと、リチャード・スターキーは、1940年7月7日、リヴァプールに生まれた。
3歳のとき両親は離婚。
母に引き取られる。
父の思い出は全くない。
母は、家の近くのパブで働きながら必死で息子を育てた。
リンゴは、病弱。
小学校の低学年のときに、腹膜炎、盲腸炎を患う。
学校は休学。
勉強についていけなくなった。
行けば先生に怒鳴られる。
授業をサボった。
その後も入退院を繰り返し、学校にはほとんど行かなくなる。
テレビで、カウボーイ・エンターテイナーのジーン・オートリーが馬にまたがって『国境の南』を歌うのを観た。
痺れた。
初めて音楽の素晴らしさを体感。
「これだ!」と思った。
入院中に、医者からドラムを教えてもらう。
体中に響く、振動。
心地よかった。
生きている実感がわいた。
楽器店に行っては、ドラムを叩かせてもらう。
左利きだったので、他のドラマーのように叩けない。
矯正しようと思っても、できない。
これでいい。
ボクはボクの叩き方でいく。
そう思うと、幸せな気持ちになれた。
思い切って、学校は辞めてしまう。
昼は工場で油まみれになり、夜はダンスパーティでドラムを叩いた。
いちばん最後にビートルズのメンバーになったリンゴ・スター。
時に彼の、文法上正しくない英語は、楽曲のタイトルになった。
“A Hard Day's Night”、“Eight Days A Week”、“Tomorrow Never Knows”
リンゴは恥ずかしがったが、ジョン・レノンは、彼の言語表現を心から讃えた。
「すごいよ、リンゴ、キミのは、リンゴイズム。誰にも真似できない個性なんだ。自分で自分を否定しちゃダメだよ」
1957年7月6日。
15歳のポール・マッカートニーが、初めて17歳のジョン・レノンに出会ったのは、セントピーターズ教会のバザーのステージだった。
二階建てバスの上で歌い、ギターをつま弾く、ジョン。
ポールは、ジョンが四弦しか使っていないことに気づく。
ジョンは、母ジュリアからバンジョーを教わった。
明らかに、バンジョーの奏法。
演奏終了後、ポールはジョンに言う。
「せっかく6弦あるんだから、全部使おうよ」
ジョンは、反論する。
「あるから使うっていう発想が貧しいよ」
ジョン・レノンは、二度、母を失った。
幼くして母に捨てられる。
そして、再び会うようになった母を事故で失う。
ポールも、母を乳がんで亡くした。
ジョンは、ポールに言った。
「ボクなんかさ、二度、亡くしてるんだ。一度だけのキミのほうがずっと幸せなんだ」
ポールは、泣いた。
ひとまえで泣かないようにしていたが、ジョンの前では泣いた。
自分にyesと言えないジョン・レノンは、メンバー全員にyesと言った。
そして、世界中のあらゆるひとに、音楽を通してこう語る。
「心を開いてyesって言ってごらん。すべてを肯定してみると答えがみつかるもんだよ」
【ON AIR LIST】
ゲット・バック / ザ・ビートルズ
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス / ジョージ・ハリスン
オクトパス・ガーデン / ザ・ビートルズ
イマジン / ジョン・レノン
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