第三百六十二話痛みに向き合う
この絵を画いた世界的に有名な画家の名前は、フリーダ・カーロ。
彼女の作品を所蔵しているのは、日本で名古屋市美術館だけと言われています。
『死の仮面を被った少女』は、奇妙な絵画です。
縦長の絵の左側には、ピンクのワンピースを着た少女が、マリーゴールドを一輪持って立っています。
ただ、この少女は髑髏(どくろ)のような死の仮面を被っていて、彼女の傍らには、虎のお面が置かれているのです。
メキシコでは、マリーゴールドは死者を無事に導く花として墓地に供えられ、死の仮面は「死者の日」の祭礼に用いられるもの。
さらに虎のお面は、子どもを魑魅魍魎(ちみもうりょう)から守る、魔除けとして使われています。
フリーダ・カーロは、流産で亡くした我が子への思いを、この絵に託しました。
事故や病で著しく損傷した、自分の身体。
そのせいで、子どもを亡くしてしまった…。
その失意と無念は、彼女の心に耐えきれぬ痛みを与えました。
フリーダの47年の人生は、まさに、痛みとの格闘でした。
幼い頃の病、さらには交通事故による脊髄や骨盤へのダメージ。
生涯で30回を超える手術を重ね、絵画制作のほとんどを、病床や、椅子に座ったままで続けたのです。
今年6月末から7月にかけて、日本のオリジナルミュージカル『フリーダ・カーロ -折れた支柱-』が上演されました。
連日満員御礼で話題になりましたが、今も、彼女の絵画、彼女の生き方は、多くのファンを魅了してやみません。
没後68年を迎えても、なぜ、彼女がこれほどまで支持されるのか。
それは彼女が、どんな時も痛みと向き合い、自らの痛みから逃げなかったからではないでしょうか。
メキシコが生んだ唯一無二の画家、フリーダ・カーロが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
20世紀前半に最も活躍した画家、フリーダ・カーロは、1907年7月6日、メキシコシティ南西の街、コヨアカンで生まれた。
父は、ドイツから移民したハンガリー系ユダヤ人。
母は、インディオの血をひくメキシコ人。
フリーダが幼年期を過ごし、さらには終の棲家となった生家は、外壁が真っ青で「青い家」として、現在も「フリーダ・カーロ記念館」として公開されている。
フリーダが産まれてすぐに、メキシコ革命が勃発。
職業カメラマンとして成功していた父は、一瞬で職を失う。
裕福な暮らしは一変。貧困が一家を襲った。
母が病弱だったため、フリーダは乳母に預けられる。
母の愛を知らずに育ったことは、終生、彼女の心に影を落とした。
6歳の時、小児麻痺を患う。
9か月に及ぶ、入院。痛みと不安に満ちた、寝たきりの生活。
右足は、棒のように細くなった。
小学校では、友だちにからかわれ、いじめられた。
フリーダは、細い右足を隠すため、いくつも靴下を重ね、長いスカートをはいた。
父は、言った。
「大丈夫だ、フリーダ。水泳にサッカー、レスリング、運動をすればすぐに足は元通りになる」
さらに、右足の訓練のために、自転車をこがせた。
街を、必死の形相で自転車をこぐフリーダ。
いじめっ子たちは、そんなフリーダに石を投げ、笑った。
フリーダは、負けていない。
大声で言い返し、泣きながらわめき、自転車で突っ込んだ。
「わたしは、好きでこんな体になったんじゃない!」
メキシコの偉大なる画家、フリーダ・カーロのリハビリは続いた。
娘を溺愛していた父は、幼い我が子が不憫だった。
スポーツをさせても、思うように右足は復活しない。
父は焦ることをやめ、娘をハイキングに連れ出すようになった。
野山を歩く。ゆっくり歩く。
やがて父は、フリーダに写真を撮ることを教えた。
さらに、草や木、空や湖をスケッチすることをすすめた。
水彩の絵具は、吹き抜ける風にすぐ乾いた。
「いいか、フリーダ、写真も絵も、フレームが大事なんだ。
フレームって、わかるか?
自分で枠を決めるんだ。
ここからここまで撮ろう、ここからここまで画こう。
そうだ、フレームは、自分で決めていいんだ」
自分で枠を決めていい。
それは、フリーダ・カーロにとって、まさにコペルニクス的転回だった。
「そうか…誰かの枠で生きてるから窮屈なんだ。
右足が細くたっていいんだ、これが私だから。
これが私のフレームだから」
それ以来、彼女は、自分とひとを比べることをやめた。
「自分だけのフレーム」に気づいたフリーダ・カーロは、もうひとつ、自らを守る術を得た。
それは、「もうひとりの自分」を創造すること。
彼女は、自分の部屋の窓に息を吹きかける。
そこに浮かぶ顔。
それは自分のようで、自分ではない、別の人格。
心の友だち。
毎日、話しかける。一日の出来事を話す。
やがて、窓の向こうの自分も話しかけてくれる。
創造する力は、やがて、現実世界ではありえない世界を具現化できるエネルギーになった。
絵を画いた。
苦しいとき、痛みに耐えかねるときほど、震える手で絵を画いた。
1925年9月17日、18歳の時。
小雨が降っていた。
通学で乗っていたバスが、路面電車に激突した。
多くの死傷者が出た。
フリーダの腰に、バスの手すりが刺さった。
せっかく復活した右足は、12か所骨折。
脊髄と骨盤が損傷。
生死の境をさまよう。
死が、ベッドの周りを何度も回った。
なんとか一命はとりとめたが、3か月にわたる寝たきり生活。
痛みと不安にさいなまれる日々が、再び訪れた。
病床に父が持ち込んだのは、絵具箱だった。
「筆なんか使わなくていい、指に絵具をぬりたくって、ただ、白い紙になすりつけてごらん」
父の言うとおりにする。
楽しかった。痛みを忘れることができた。
やがて、もうひとりの自分が現れ、言った。
「絵を画きなさい。
あなたは、絵を画くことで痛みから解放され、痛みにようやく向き合える」
【ON AIR LIST】
ロング・ゴーン・ガール / フロール・デ・トロアチェ
エル・コネッホ / ロス・コホリーテス
ラ・ジョローナ(泣き女) / チャベーラ・バルガス
★今回の撮影は、「名古屋市美術館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
開館時間など、詳しくは公式HPよりご確認ください。
名古屋市美術館 HP
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