第十九話諦めない心
湯川のせせらぎの音が聴こえます。鳥のさえずり、そして、緑の香り。
ここでは、気軽に身近に自然を感じることができます。
この地は、大正時代から文人やアーティストが集まる文化の街であり、自然との共生を果たした場所でした。
星野温泉 トンボの湯、軽井沢高原教会、石の教会 内村鑑三記念堂。
モダンでエコなこの小さな街に、ひとびとは集いました。
星野エリアが、いや、軽井沢が文化と自然を満喫できる場所になった、忘れてはならない施設があります。
それは、温泉。
もし軽井沢に温泉がなかったら、今とは違った風景になっていたかもしれません。
今からおよそ100年前。
1915年、大正4年に星野温泉が開湯。
草津で湯治を楽しんだひとが、最後の仕上げに訪れました。
1921年ころには、北原白秋や島崎藤村などの作家たちがこぞってこの温泉にやってきて、執筆に励みました。
さらに「芸術自由教育講習会」を開催し、この地に文化の香りをもたらしたのです。
昭和の中頃には、星野エリアに隣接する森林の野鳥に注目。
のちにこの森は「国設軽井沢野鳥の森」に指定され、自然を壊すリゾートではなく、自然と共生するリゾートの礎を築きました。
ここに温泉を開き、森を守った人物。
特に温泉に多大なる情熱を注いだのが、星野二代目嘉助、国次です。
ひとが集うコミュニティの創生と自然との共生。
その意志は、現在の星野リゾートを率いる、星野佳路に引き継がれています。
星野二代目嘉助が、温泉への挑戦の先に見た、yesとは?
初代 星野嘉助は、長野県佐久市で、生糸を生業とし財をなした。
その息子、国次、二代目嘉助の時代は、決して平板にはいかなかった。
生糸を営むかたわら、製材業を続けた。
それは、1910年のことだった。
8月9日から雨が激しく降り続けた。
17日まで豪雨はやむことなく、軽井沢一帯は大洪水の惨事にみまわれた。
湯川の上流の土は火山灰でできていて雨に弱い。
山津波に信越線の鉄橋も流れ、川沿いの製材所も押しつぶされた。
平坦な場所だった軽井沢の地は、瞬く間に湖と化した。
その様子を見て、二代目嘉助は思った。
「山には樹木を植えねばならない。樹木を育てねば、軽井沢に未来はない」
当時、軽井沢は一面、原野だった。
赤岩鉱泉・塩坪の湯を買い取り、二代目嘉助に目標ができた。
この地は、草津からの帰り道。温泉があれば、街は栄える。
しかし、お湯はほとんど出ない。
こうして、二代目嘉助の温泉掘削への戦いが始まった。
星野温泉をつくった男、星野二代目嘉助には信念があった。
浅間山は活火山。死火山もいくつかあり、流れる川の名は、湯の川と書いて、湯川。
温泉が出ないはずがない。
1913年には、上田から宮大工を呼び、浴場建設にとりかかる。
赤岩鉱泉を星野温泉と改名した。
もっと多くの熱いお湯を求めて、掘削を始める。千葉の君津から掘削の名人も呼んだ。
でも、地盤が堅く、思うようにいかない。
二代目嘉助は、諦めなかった。
前へ前へ進む。それ以外、道がないかのように。
掘削機を買った。それでも失敗。
学者の意見も聞き、自分でも地質を調べた。
当時は機械も粗末で、技術もともなっていなかった。
いたずらにかかる時間と経費。家財をなげうつ。
妻は、「お願いですから、もうやめてください!」と懇願した。
それでも、二代目嘉助は、諦めなかった。
1914年、優雅な浴場が完成した。続いて旅館を開業。
よりよい温泉を求めて、掘削は、やめなかった。
1915年、正式に開湯。
まだ完全な温度にいたらないお湯を、水力発電を駆使して引き上げた。
1919年、星野温泉の将来を左右する事件が起こる。
浅間山で世をはかなみ、死を決意したある男が、宿に泊まる。
彼は宿帳に、当時世間で知らぬひとはいない有名人の名前、鈴木三重吉と書いた。
鈴木三重吉は、『赤い鳥』という童謡・童話の雑誌を主宰する日本の児童文学の父だった。
彼が宿にいることが周りに知れ渡り、インタビューや講演の依頼まで来た。
にせの鈴木三重吉は、捨て鉢になっていたので、全部受けてなんとかこなしたが、本当の三重吉が東京にいることがわかり、小諸警察につかまった。
しかし、ここからが奇跡の始まりだった。
このにせ鈴木三重吉事件で、星野温泉の名は全国に広まり、しかも翌年の夏には、本物の三重吉が家族と共にやってきた。
教育雑誌の最先端だった『赤い鳥』には、多くの文人や芸術家が関わっていたので、三重吉が気に入った星野温泉を彼らも訪れるようになった。
こうして、軽井沢に文化の香りがやってきた。
その流れは、やがて軽井沢高原教会へと続いていく。
誰もが自由に集える場所。
そんな願いもまた、二代目嘉助の祈りにも似た夢だった。
二代目嘉助の温泉掘削は、やがて次世代へと継がれていく。
彼は、後戻りをしなかった。
諦めないこと、その想いがお湯を探り当てた。
今も星野の湯に、ひとが集う。
そのお湯につかり、希望を取り戻し、諦めない心を宿す。
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