yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第百二十七話 おかげさまで、を大切にする -【島根篇】陶芸家 バーナード・リーチ-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第百二十七話おかげさまで、を大切にする

世界的な陶芸家、バーナード・リーチは、昨年、生誕130年。
千葉県我孫子市に窯を築いて、ちょうど100周年にあたります。
リーチは、島根県出雲地方を頻繁に訪れました。
雑誌「ひととき」で「『リーチ先生』が愛した出雲」という特集が組まれるほど、日本神話の里は、イギリス人である彼の魂を激しく揺さぶったのです。
イギリス領だった頃の香港に生まれたリーチは、幼い頃、日本に住んだこともありました。
イギリスに戻ってからも日本への憧憬は強く、たびたび来日して、全国の窯元を歩きました。
そして、出雲は彼に陶芸の道を示した場所です。
彼の目に映った宍道湖は、たとえようもなく美しく、いくつもの作品のモチーフになりました。
彼は窯元で土に向き合う陶芸家に、流暢な日本語で、こんなふうに説いたと言います。
「いいですか、天狗になってはいけません。うまくいったからといって、それはあなたの手柄じゃあ、ないんです。全部、自分以外の誰かのおかげ。他のひとのおかげ、土のおかげ。みんな、おかげさまなんです」。
かつて、日本人の多くが口にした言葉、「おかげさまで」。
それは世界中探してもどこにも見当たらない素敵な言葉だと、リーチは思いました。
万物と寄り添う心。異文化と混じり合う優しさ。
目の前に戦争があった時代に、東洋と西洋の交流を心から臨んだ芸術家、バーナード・リーチ。
彼は、美術品としての陶器より、日用品としての陶器を重んじました。
器は、使われてこそ味が出る。
コーヒーカップを口にあてたときに「唇が喜んでいるか」を大切にしたと言われています。
陶芸を通して東と西の融合を目指した芸術家、バーナード・リーチが人生でつかんだ明日へのyes!とは?

世界的な陶芸家、バーナード・リーチは、1887年イギリス領の香港で生まれた。
母は出産で命を落とす。
この事実は、リーチの生涯に暗い影を落とし続けることになる。
「僕が産まれなければ、お母さんは死なずにすんだ。お母さん、ごめんなさい。生まれてごめんなさい」。
望まれて生まれて来るはずの赤ん坊。
でも、誕生日は永遠に母の命日だった。

父はオックスフォード大学を出た秀才。香港で弁護士をしていた。
忙しい。とても子どもの面倒などみることはできない。
リーチは、日本で英語教師をしている母方の祖父に預けられた。
冬の京都が、最初の記憶。和室があり、畳があり、床の間があった。
4年後、父が再婚することになり、香港に連れ戻される。
しかしほどなくして父はシンガポールに転勤。
継母とは、うまくいかなかった。
繊細で敏感すぎる我が子に継母はとまどい、リーチもまた、なつかなかった。
彼の心の中にはいつも、亡くなった母だけがいた。
彼が心を許したのは、アイルランド人と中国人の血を受け継ぐ乳母だけだった。
乳母は、異国の昔話をしてくれた。
自分がいったい何人(なにじん)で、どこがふるさとなのか、わからなくなった。
父は教育に熱心で、リーチが10歳になると、イギリスの寄宿学校に入れた。
学校では、いじめられた。
大英帝国の庇護(ひご)のもと、貴族の末裔として何の苦労もなく育ってきた同級生にとって、異国の匂いを漂わす、暗い目をしたリーチは異様に見えたのだろう。
侮蔑的な愛称で呼ばれる。
誰も彼に優しい言葉をかけることはなかった。
追い打ちをかけるように継母から手紙が届く。
「将来のために一生懸命、勉学に励みなさい。くれぐれも、お父様の顔を汚すようなことのなきように。社交的でありなさい。明るく、生きなさい」
リーチにとって憩いの時間は、絵を画いているときと本を読んでいるときだけになった。
この孤独で濃密な時間が、彼の才能を開花させることになる。

我が息子リーチが寄宿学校を卒業したら、政治家か法律家の道を歩ませようと父は思っていた。
しかし、シンガポールからやってきた父に、リーチは言った。
「お父さん、僕はね、絵描きになりたいんだ。美術学校に行かせてください。お願いします」
父は怒った。
「そんな勝手は許さない!おまえは、私と同じようにオックスフォードを出なくちゃいけないんだ」
しかし、ロンドンのスレード美術学校が、ぜひ我が校に来てほしいと言ってきた。
16歳での最年少入学。これには父も驚く。
いつの間にか素晴らしい絵を画くようになっていた我が子を、止めることはできなかった。

美術学校の図書館で、バーナード・リーチは運命的な書物に出会う。
ラフカディオ・ハーン、小泉八雲の本だった。
ハーンもまた、幼少期に母を亡くし、辛く暗い少年時代を過ごした。
何より二人に共通していたのは、日本への憧れだった。
「ああ、日本に行きたい。もう一度、日本の風土に体と心をゆだねたい」
ハーンの本を読めば読むほど、日本への思いがつのる。
そんなとき、もうひとつの出会いが待っていた。
「ねえ君、君は日本の書物ばかり読んでいるようだけど、好きなのかい?日本が」
リーチに話しかけてきた青年こそ、のちの偉大な彫刻家、高村光太郎だった。

留学していた高村光太郎は、この日本好きのイギリス人を面白がった。
当時、大英帝国といえば、沈まぬ国。
極東の小国・日本など、下に見るのが常だった。
でも、バーナード・リーチは違った。
母を知らぬ彼は、父性ではなく母性を求めた。
奪い、統治する西欧の父性文化ではなく、優しく万物を包み込む母性に根差した芸術を愛した。
高村光太郎は、いくつも紹介状を書いた。
「日本にいったら、このひとたちに会えばいい。きっと力になってくれるはずだ」
言葉どおり、日本に行くとあったかく迎えてもらった。
リーチが謙虚で物静かだったのもよかったのだろう。
どの街にいっても、「リーチ先生!」と慕われた。
リーチは思った。
「こんな素敵な出会いを用意してくれたのは、亡くなったお母さんではないだろうか。おまえを抱くことができなくてごめんねとあやまる、お母さんの優しさではないだろうか」
特に柳宗悦・武者小路実篤・志賀直哉たち、白樺派の面々との出会いは、リーチに新しい世界を見せてくれた。
日本に窯を築き、バーナード・リーチは思った。
「僕は幼い頃、西欧と東洋、二つの文化に親しんだ。そんな僕だからこそ、西と東の架け橋になりたい。それがお世話になったひとたちへの、恩返しだと思うから。今、僕が陶器を作れているのは、出会ったひとたち、みんなのおかげ。そして…そして…僕を産んでくれた、お母さんのおかげ」。

【ON AIR LIST】
One Day At A Time / Sam Smith
The Cave / Mumford & Sons
道程 / タテタカコ
僕が一番欲しかったもの / 槇原敬之

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけとレンコンのそぼろ煮

島根県出雲地方を頻繁に訪れていたという、陶芸家 バーナード・リーチ。今回は、そんな出雲の特産でもある、しょうがを使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけとレンコンのそぼろ煮
カロリー
136kcal (1人分)
調理時間
15分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【4人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • れんこん
  • 60g
  • いんげん
  • 4本
  • 鶏ひき肉
  • 80g
  • しょうが
  • 1/2片
  • 【A】だし
  • 1カップ
  • 【A】しょうゆ
  • 大さじ1
  • 【A】砂糖
  • 大さじ1/2
  • 【A】酒
  • 大さじ1
  • 水溶き片栗粉
  • 大さじ1と1/2
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは食べやすくほぐす。
  • 2.
  • れんこんは1cm幅の半月切りにし、水にさらす。いんげんは斜め切りにし、しょうがはすりおろす。
  • 3.
  • 鍋に【A】、ひき肉、しょうがを入れ、箸でひき肉をほぐし、れんこんを加えて煮立ったらフタをし、5分煮る。
  • 4.
  • 霜降りひらたけを加えて更に5分煮る。水溶き片栗粉を加えてとろみをつけ、いんげんを加えて2分ほど煮て火を止める。
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番組へのメッセージ

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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