第二百五十八話誰のためでもなく信念のために
井口阿くり(いのくち・あくり)。
明治3年生まれの彼女は、アメリカに留学し、当時 世界的に流行っていた「スウェーデン体操」を習得。
帰国後、日本の女子教育に生かしました。
当時の日本では、女性たるもの、貞節を守り、従順であれ、が常識でした。
でも井口は、「女性もスポーツをしていいんじゃないでしょうか」という信念のもと、バスケットボール、ダンスなどを女子教育に積極的に取り入れ、ブルマーという体操着も考案、さらに動きやすいように、通常の制服としてセーラー服の原型を創案したのです。
NHKの大河ドラマ『いだてん』でも少し触れられていましたが、スウェーデン体操は、論争や軋轢の渦の中にありました。
井口がボストンで学んだ体操を日本に広めている頃、本場スウェーデンから、永井道明という教育学者が帰国。
「我こそが、スウェーデン体操の正当な指導者である」と、井口を退けようとしたのです。
「アメリカで学んだスウェーデン体操? おかしいじゃないか!」
どんなに揶揄されても、世間から誹謗中傷を浴びても、井口は、一歩もひきませんでした。
彼女の信念は、スウェーデン体操にこだわることではなく、若き女子たちにもっと快活さや俊敏な決断力を手に入れてもらいたいという一心だったのです。
昨年 春から今年の1月にかけて、あきた芸術村のわらび劇場では、井口の人生を描いたミュージカルが上演されました。
今も市民に愛され続けている教育学者・井口阿くりが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
「日本女子体育の母」と言われる井口阿くりは、1871年1月12日、現在の秋田県秋田市に生まれた。
父は、秋田藩の国学者、井口糺(いのくち・ただす)。
学問に秀で、広い教養の持ち主だった。
母は、秋田藩士の娘。
礼節を重んじ、品格を備えていた。
裕福な井口家だったが、生まれた女の子が二人続けて亡くなる。
父は、次に生まれた女の子に、「あぐり」になぞらえ、あくりと名付けた。
かつて、女児ばかり生まれる家では、これが最後の女の子で、次は男の子であってくださいという願いをこめて、「あぐり」という名をつけたと言われている。
あるいは、「あぐり」とつければ元気で長生きする、という言い伝えもあったとされる。
井口阿くりが、「あくり」と名付けられたことは、まるで彼女の人生を暗示しているかのように思える。
男の子であってほしいと願ったのに生まれた女の子。
父は、阿くりを厳しく育てた。
水泳が得意で、近くの川では男子顔負けの泳ぎを見せる。
成績は、ずば抜けて優秀。
無口だったが、どこかで感じていた。
「お父さんは、きっと私のことを男の子だったらよかったのにと思っているに違いない」
セーラー服やブルマーの発案者と言われている井口阿くりは、家から遠い女学校に通わされる。
父の教育方針だった。
文武両道。
頭でっかちになってはいけない。
健やかな肉体がなくては、健全な精神は宿らない。
阿くりは、その躾(しつけ)をとことん守った。
父に女の子でよかったと言わせたい。
勉強も運動も完璧にこなした。
11歳で異例の飛び級。秋田女子師範学校に入学した。
15歳のときには、母校の女学校で教鞭をとる。
このときの体験が、彼女を変えた。
なんでもできると思っていた自分を打ち砕かれる。
ひとに教えることの難しさ。
ただ自分が自分のために学問をするのとは、わけが違う。
自分が10わかっているだけでは、教え子に10は伝わらない。
20わかっているから、10教えられる。
「私は、いつも思っていた。父を見返してやろうと…。でも、そんなちっぽけな気持ちを持った私に教わる生徒が可哀そうだ」
もう一度、教育を見つめよう。
またゼロから、学びなおそう。
阿くりは再び、高等師範科に入学した。
明治時代の教育学者・井口阿くりは、秋田の高等師範科の卒業を待たず、特待生として無試験で、東京女子師範学校、現在のお茶の水女子大学への入学を許された。
常に首席を争うほど勉学に励む。
答案用紙に名前を書くたびに、小さく胸がうずいた。
「もし私が男子に生まれていたら…阿くりは、あぐり。望まれて生まれたわけではない…」
時代が、少しずつ変わってきた。
欧米から伝わる婦人論、女子教育理論。
キリスト教系の学校も数多く開校した。
欧米各国に肩を並べるには、女子教育を考え直し、国を豊かにしなくてはいけないという機運が高まった。
阿くりに、アメリカ留学の話が来る。
マサチューセッツ州のスミス大学で、生理学と体育学を専攻。
校長のエイミー・ホーマンズは、熱心な阿くりを見て、感心した。
彼女は世界的な女子体育の先駆者だった。
「あなたに、スウェーデン体操を教えるわね。ぜひ、日本に持ち帰りなさい」
アメリカに行って驚いたのが、男女平等の精神。
今まで、父に抗って生きてきたしこりが、ふわっと消えてなくなった。
誰かに認められよう、誰かを打ち負かせようという邪心があるうちは、他人の意見が気になる。
おのれの決めた道をただひたすらに歩いていれば、誰かの野次に耳を貸す暇はなくなる。
井口阿くりは、帰国後、男性の教育者に、まずこう言った。
「日本の女性だからと申して、させて見ないで出来ぬ出来ぬというのはいけません。物は試しですから、なんでもさせて見るのがよろしいのです」
【ON AIR LIST】
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DANCE / 藤原さくら
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