第百七十八話心に青春を持つ
連合国軍総司令部、いわゆるGHQの統治下におかれた戦後、マッカーサー元帥の執務室があった場所こそ、その「第一生命館」でした。
マッカーサーは、日本という未知の国、混沌の世界に飛び込むとき、ある一篇の詩を自らの支えにしました。
今も執務室には、その詩がレリーフとして掲げられています。
詩のタイトルは、青春や若さという意味の言葉「Youth」。
作者は、サムエル・ウルマン。
ウルマンの詩は、当時アメリカでも、そしてもちろん日本でも、知る人はほとんどいなかったといいます。
マッカーサーは、雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』にたまたま掲載されたこの詩を読んで深い感銘を得ます。
青春とは人生のある時期のことをいうのではなく、そのひとの心の持ち方をいう。
薔薇のたたずまい 赤い唇 しなやかな手足ではなく、強靭な意思、豊かな想像力、燃え盛る情熱をさす。
青春とは、人生の深い泉の清らかさをいうのだ。
この詩は、松下幸之助はじめ、実業家の心を動かし、あっという間に広まりました。
ある会社の社長は「戦後、意気消沈していたが、ここで終わりだと思えば、終わりだ。ウルマンの詩のように、心が青春であれば、まだまだ建て直せる、やり直せる。青春期は、心次第なんだ」と心機一転、自社をめざましい成長企業へと発展させました。
失意と混迷の中にあった日本の経営者を支え、いまなお多くのファンを持つ、サムエル・ウルマン。
彼もまた、ユダヤ人、移民という環境の中で、誰よりも傷つき、もがいた戦士でした。
壮絶な苦しみを経たからこそ、彼の魂の声は海を越えたのです。
実業家にして詩人、「青春」の作者、サムエル・ウルマンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
今なお愛される「青春」という詩の作者、サムエル・ウルマンは、1840年、ドイツのヘヒンゲンに生まれた。
両親ともに、ユダヤ人。
抑圧的な政府の制限により、結婚が許されるまで2年もかかった。
サムエルが生まれたとき、父は思った。
「この子には、安全で開かれた未来を与えてあげたい」。
一家は、多くのユダヤ人と同じように、フランスのアルザスに移った。
アルザスで4人の子どもをもうけたが、1848年になると、ヨーロッパ全土で民主革命が勃発。
いたるところで戦争が起きた。
慢性的な食糧不足。
サムエルの弟は、集中砲火に巻き込まれ、撃たれてしまう。
「ここでも、安心して暮らせない」
父は、アメリカへの移住を決意する。
1849年から1880年の間に、アメリカに渡ったヨーロッパのユダヤ人の数は、およそ25万人と言われている。
船の旅は、過酷だった。
狭い船室にあふれる人。
泣き叫ぶ子どもをどうすることもできない。
飢えと寒さ。
亡くなるひとも多くいた。
11歳だったサムエルは、暗い船の中で生と死を見続けた。
56日間に及ぶ航海の果て、一家は生き残り、1851年1月17日、アメリカ、ニューオーリンズに到着した。
赤茶けた大地が見えたとき、父も母も泣いた。
フランスからやってきたウルマン一家は、ニューオーリンズから、さらにミシシッピ川をさかのぼり、ポートギブソンという街に移り住んだ。
そこに、父の兄、アイザックがいたからだ。
アイザックは、精肉業を営んでいた。
しかし、ほどなくしてアイザック夫妻は病で亡くなってしまう。
13歳だったサムエルは、学校に通いながら精肉店を手伝った。
朝、早く起きて肉の仕入れにいき、終わるとすぐに学校に向かった。
同級生たちは、「おまえ、牛肉くさいぞ!」とサムエルをいじめる。
家業は順調だったが、彼は学校にいくのが辛くなった。
親にはいじめられていることを言わなかった。
“自分が学ぶ環境をよくするために、両親はあえて厳しい道を選択してきた。いろんなひとを巻き込んで、今、自分はここにいる。少しくらいいじめられたからってなんだ。”
サムエルは、哀しみを小さな心に留めた。
牧場を手伝い、精肉店の経営についても学ぶ。
15歳になると、父は、サムエルが伝統的なユダヤ教にふさわしい教育を受けていないことを怖れ、息子をケンタッキーの寄宿学校におくった。
外に出て、ウルマンは初めて自分が他の生徒と違うことを知る。
彼は、肉の売買や牧場の運営を通して、貴重な経験をしていた。
仕事の道徳・倫理、忍耐とは何か、家族の価値、そして自由であることの困難。
同い年の生徒が、幼く見える。
ウルマンは、父に感謝した。
「お父さん、ありがとう。生きることを教えてくれる先生は、学校以外にもたくさんいるんだね」
1861年1月9日、ミシシッピ州は、アメリカ連邦からの離脱を決める。
南北戦争の始まりだ。
サムエル・ウルマンは、住んでいる場所に忠誠を尽くすべく、当然のように南部軍に入隊した。
自分たち家族を受け入れてくれた南部のために、少しでも力になりたいと思った。
この戦争の背景には黒人奴隷解放運動があり、結果、南部は奴隷解放に反対という立場だということもよく理解できぬまま。
戦いは激しく、多くの死者を出した。
ヴァージニアに駐屯しているウルマンを父が面会にいく。
父は、驚いた。
雪の上を近づくウルマンの両足から真っ赤な血が流れている。
ウルマンのブーツはボロボロに破け、足を保護できなくなっていた。
「おまえ…その足、大丈夫なのか」
父が尋ねるとウルマンは微笑みながら言った。
「匍匐(ほふく)前進するから、平気だよ」
ある戦地で、北部の戦士が亡くなっているのをウルマンは見つけた。
その戦士のブーツを抜き取り、はく。
キャンプに戻ったとき、ブーツの中に手紙が入っているのを発見した。
恋人からもらった手紙だった。
ウルマンは、北部の戦士が最後まであなたのラブレターを大切にしていたと、手紙を書いた。
近くで砲弾が爆発。
ウルマンは、左耳の聴力を生涯失うことになる。
それでも、生き延びた。無事に帰ってきた。
たくさんの死に直面してきたウルマンは、休むことなく働いた。
たった一度の人生を悔いのないものにするために、走り続ける。
金物の小売り、不動産業を成功させ、バーミングハム市の教育委員長にもなった。
黒人も白人と同じような教育が受けられるよう、奔走した。
その必死な活動は、南北戦争の贖罪にも見えた。
彼は周りにすぐに諦めてしまうひとがいると、こう言った。
「気持ちひとつで前に進める。くじけるな。要は、心の持ち方ひとつなんだ。前に進みさえすれば、いつか風向きが変わる。誰もが狭い船に乗せられて、やがて小さな港に着く旅人なんだ。だったらその船で精一杯、生きよう」
【ON AIR LIST】
YOUNG AT HEART / Frank Sinatra
TEARS,TEARS AND MORE TEARS / Elvis Costello, Allen Toussaint
DON'T KNOW MUCH / Linda Ronstadt, Aaron Neville
BETTER WITH YOU / Jason Mraz
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