第七十八話己の役割を全うする
彼女は、北海道函館市に生まれました。
実家は、祖父の代からの蕎麦屋料亭。
祖父はかなりの実業家で、料亭以外にも、劇場やカフェなどを経営していました。
5歳から天才子役として世間を驚かせた高峰秀子。
しかし、子役から大人の女優へと転身していくのは、至難の技です。
高峰と同時期に、アメリカで大絶賛された子役・シャーリー・テンプルや、終戦後のマーガレット・オブライエンも、その姿を消していきました。
子役は大成しない、そんなジンクスを覆し、50年もの間、女優として君臨し続けた彼女の人生は、決して平板なものではありませんでした。
母の急死、幾人も現れる養父や養母。
「私の養子にならないか」。
実の親の愛を十分に受けられぬまま、人間不信に陥っていきます。
「私は女優でなくてもいい、いますぐ辞めてもいい」。
そう言いながら、辞めることが許されない境遇がありました。
子役時代に、すでに家族親戚を養わねばならなかった彼女にとって、女優とは、己の役割を全うする手段でもありました。
でも、高峰秀子は、心の底から映画を愛しました。
『二十四の瞳』で見せた大石先生の優しいまなざし、『浮雲』で印象的だった愛人に向ける鋭い目つき、彼女ほどさまざまな役をこなし、その役のたびにあらたな顔を見せた女優がいたでしょうか。
彼女は、こんなふうに語ったといいます。
「自分のお財布からお金を払って、私が出た映画をわざわざ観に来て下さった方、その一人一人が、私の勲章です」。
どんな困難に出会っても毅然と己の役割を全うした稀代の女優、高峰秀子が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
女優・高峰秀子は、1924年、北海道函館市に生まれた。
その愛くるしさは、幼い頃から際立っていた。
祖父が経営する料亭で、芸者衆から可愛がられた。
三味線の音と、きらびやかな着物。その中にあってニコニコと笑い、お座敷を歩きまわる女の子。
彼女の人生が大きく変わったのは、4歳のとき。
母が病気で他界。かねてから養女にほしいとせがまれていた、父の妹、志げにもらわれる。
志げは、函館にやってきた活動弁士と駆け落ちして東京にいた。
長い時間汽車に揺られ、上京する。
養母 志げは、幼い高峰に「かあさん」と呼ぶようにきつく命令した。
彼女は混乱する。自分にとって母は、ひとりしかいない。
このひとは、私のお母さんじゃない。
養母は怖かった。鬼の形相で叱られる。
「かあさんと呼びなさい!」。
仕方なく、泣きながら「かあさん」と言った。
亡くなった母への強烈な背徳感、後悔、懺悔。
その言葉を口にした途端、彼女に肉親はいなくなったのかもしれない。
信じられるものを完全に失ったのかもしれない。
こうして、本来の自分と、こうあらねばならない自分との共生が始まった。
ひとは自分の中に矛盾を抱えるとき、最も繊細になる。
彼女は繊細ささえも封印して、己の役割を意識した。
女優・高峰秀子は、5歳のとき、養父と一緒に映画の蒲田撮影所を見学した。
その日、たまたま『母』という映画の子役のオーディションをやっていた。
養父は、飛び入りで参加するように促す。
仕方なく最後尾に並ぶ、高峰。
結果は、見事合格。
しかも、映画は大ヒット。高峰の演技が評価された。
以来、彼女にはオファーが殺到する。
天才子役と評され、引くてあまた。
男の子の役も平然とこなす度胸も、大人たちの度肝を抜いた。
肉親の愛を知らない高峰は、自分の居場所を探していたのかもしれない。
幼くして、プロ意識は高かった。
ある作品で名女優、岡田嘉子(おかだ・よしこ)と共演。
岡田に折檻されるシーンで、8歳の高峰は、こう言ったという。
「そんな叩き方では、私、泣けません」。
岡田嘉子は、幼い高峰の瞳の奥にある、覚悟という言葉を見た。
1934年、函館に大火事があり、祖父の家が全て焼けてしまった。
幼い高峰を頼って上京。
気がつくと、10人あまりの家族が、彼女の稼ぎをあてにしていた。
本当は、女優など続けたくはない。
周りが言うほど、自分に才能があるとは思えない。
でも、彼女はもう引き返すことはできなくなっていた。
女優・高峰秀子の養母 志げは、彼女が稼いだ金を湯水のごとく浪費した。
稼いでも稼いでも、お金は貯まらない。
女優を辞めるという選択肢はない。嫌々ながら続けていた。
そんな高峰に転機が訪れる。
16歳のとき、『小島の春』という映画を観て、衝撃を受けた。
そこに出ている女優、杉村春子の演技のすさまじさに、打ちのめされた。
背中を向けているだけなのに、そこにまるで顔があるかのように、語っている。
スクリーンの中の杉村春子は、まるでこう言っているようだった。
「高峰秀子さん、あんたは人気があるかもしれないけど、それでも役者のつもり?」
高峰は気づいた。
そうか、ここまでやれなければ、女優とは言えない。
お金などもらってはいけない。
そこで初めて彼女は、家族のためではなく、自分のために役割を全うしようと思った。
そうして全作品に魂を込め、どんな役も厭(いと)わず真摯に向き合った。
あるとき、撮影用に注文した毛皮のコートが自宅に届いた。
はおってみると、ポケットに手紙が入っていた。
そこにはこう書かれていた。
「私は、毛皮のお針子です。このコートの注文主が私の大好きな高峰秀子さんだと聞いて、私は嬉しくて嬉しくて、一針一針に心を込めて縫い上げました。私が縫ったコートがあなたを暖かく包んでくれることを思うと、私はしあわせです」。
女優・高峰秀子は、5歳でデビューして50年間、ずっと愛され続けた。
世界中を探してもそんな女優にはお目にかかれない。
そこには彼女の、役割を全うしようとする覚悟と、必死なまでの存在証明の歴史があった。
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