第四十二話ジョン・レノンからもらったyes!
ジョンが亡くなる前に、平和でおだやかで何物にも代えがたい珠玉の時間を過ごした、軽井沢。
駅に降り立った途端、他のどこでもない空気が鼻孔をくすぐります。
「ここは特別な場所だ」。なぜかそれが納得できます。
これから出会う、ジョン・レノンを知るひとたち。ジョン・レノンが好きだった風景。
それらから、私、長塚圭史がもらう、人生のyes!とは?
梅雨の雨が緑を鮮やかにしています。
さぁ、私の旅がはじまります。
僕、長塚圭史が最初に向かったのは、FM軽井沢のスタジオでした。そこで待っていてくれたのは、かつて万平ホテルの会長をしていた、FM軽井沢の名誉会長、佐藤泰春さん。
大きな手で包み込むように握手してくれました。
佐藤:
今日は、ジョン・レノンが最初に万平ホテルにチェックインした時のレジスターカードを持ってきました。
国籍はブリティッシュって書いてあります。
長塚:
124号室だったんですね。
佐藤:
そう、最初お通ししたのは124号室だったんです。
でも、階段から上がってくる音が気になるということで、128号室に移りました。
それで128が伝説の部屋になってしまったんです。
これ、今初めて言います。
(レジスターカードのカタカナは)ヨーコさんにならったんだと思います。
そもそものご縁は、私がヨーコさんのお母様をよく存じ上げていて、お母様が、「うちの婿の部屋とれるかしら」と。
「小野さん、お婿さんって誰でしたっけ」「ジョンよ」なんて言われました。
それで、お母様に、まず部屋を見て頂いたんです。
私たちも、ジョン・レノン、ビートルズということで、どんな格好でくるんだろう、髪の毛はちゃんとカットしているのかなと思っていたら、もう爽やかにカットして、ふつうの外国人と変わらない恰好でいらっしゃいました。
地味でしたね。白いTシャツとジーパン、そしてゴム草履。
ロビーでジャパンタイムズを読んでいる彼に誰も気づきませんでした。
これはヨーコさんに言われたのですが、ジョン曰く、万平ホテルに似た建物が故郷のリバプールにたくさんあったんだそうです。
それが最初の彼の「万平ホテル」の第一印象だったんでしょうね。
僕自身、毎年来るもんだと思っていたから、ジョンのサインをもらっていませんでした。
実は1981年の3月、ニューヨークに行く予定があって、ダコタハウスでジョンとも会う予定だったのです。
ですからとてもショックを受けました。
残念です。
別荘が立ち並ぶ小道を歩くと緑の香りがします。
その香りは、つんと懐かしさを残します。
そうか、もしかしたらこれが、ジョン・レノンが感じた、リバプールの匂いかもしれません。
やがて、森の奥に瀟洒(しょうしゃ)なホテルが見えてきました。
『万平ホテル』。
ジョン・レノンが愛し、三島由紀夫、池波正太郎ら、文人が、こぞって宿泊し、軽井沢の西欧文化の象徴として威厳を保ち続けた、国内最初のリゾートホテルのひとつ。
佐藤万平というひとは、120年以上もの歴史を刻む、このホテルをつくりました。
ジョンが好んで泊まったというアルプス館、128号室を見せてもらいました。
長塚:
この建具、好きなんですよね。
空気は本当にいいですよね。駅前の通りから1本入るだけで、すぐに空気が変わって緑に包まれて。
駅からこんなに近いのに静かな場所があるんだ。
でもこの部屋が緑に向いているよりも、入り口に向いているのが面白いね。
人が入れ代わり立ち代わりくる様が面白かったのかな。
それでもこの場所自体が静かだから、部屋の中で書き物をしたくなるのかも。
音楽聴きながら、ゆっくり考え事したり。
ジョン・レノンも、散々隠れて暮らしてきた人だから、軽井沢では、逆にオープンなところでリラックスできた、そんなこともあるのかもしれない。
ジョンがこの部屋から見た風景を、同じように見る。
息子ショーンが遊び、オノ・ヨーコが笑う。
世界はつながっている…ひとつに。
大切なものは、たったひとつでいいんだ、そんなyes!が聴こえてきました。
僕、長塚圭史は、ジョン・レノンを感じるために、軽井沢にやって来ました。
僕が訪ねたのは、ジョンが大好きだった喫茶店『離山房』。
ジョンのエピソードを、『離山房』の奥様 大高晶子さんに話してもらいました。
大高:
お泊りが万平ホテルだったので、ジョンは、ホテルから当時舗装されていないデコボコ道を、ショーンを前に乗せた自転車で40分くらいかけて、汗をかきかきやってきました。
お庭の東屋が大好きだったので、ハンモックをつるしたり、お昼寝したりしていました。
とにかくすごくリラックスしていました。
長塚:
お店の中にはそんなジョンの写真が飾られていますね。
大高:
先代のご主人がもともと朝日新聞の報道カメラマンで、たまたまこの日だけ、お写真を撮らせていただいた。
それまで3年間ずっとお店来てもらっていたけど、お写真をお願いしたことはありませんでした。
ですが、この日に限り、ジョンの方から写真を撮ろうといってくれたんです。
それが1979年の夏の終わりのこと。
この写真を撮った翌日、ジョンは急にニューヨークに帰ることになりました。
東屋にタバコとライターを忘れていたのですが、来年また取りに来るよとメッセージを残されて、日本を離れてしまったのです。
でも、あくる年1980年の夏はお忙しくて、このお店に来ることはありませんでした。
そして、そのまま事件に巻き込まれてしまいました。
そのあと1987年に、ヨーコさんがこの店にいらしたときに、ジョンの忘れていったライターをお返ししました。
長塚:
ショーンの身長を木で測っているジョンの写真がありますね。
大高:
最初、ショーンの背丈にマジックで印をつけようとしたけど、消えてしまうので、ジョンが金具をハンマーで打ち付けて、それがそのまま今も残っています。
そういえば、ショーンが悪戯をしてお庭のお花を摘んでしまって、ヨーコさんが「こら!」っと叱ったんです。
それでショーンくんが泣いてしまったのですが、ジョンは「よしよし、ママこわいねぇ」と、もう本当に親ばかなパパだった、そんな姿が印象的でした。
軽井沢でジョン・レノンは、思いのほか開放的な気分に浸っていたようです。
軽井沢という町に抱かれながら、心からリラックスしているジョンの笑顔が想像できました。
リバプールに似た風景、リバプールと同じ風、同じ雨。
僕、長塚圭史も、そういえば子どものころ遊んだ小道に、吸い込まれるように引かれてついつい歩きにいってしまったりします。
もしかすると、それも、僕の「yes」につながっているのかもしれません。
【ON AIR LIST】
#9 Dream / John Lennon
Imagine / John Lennon
Watching The Wheels / John Lennon
Beautiful Boy / John Lennon
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