yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第百九話 弱気は最大の敵 -【広島篇】元広島カープ投手 津田恒美-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第百九話弱気は最大の敵

9月18日、プロ野球セ・リーグでは、広島東洋カープが2年連続8度目の優勝を決めました。
カープの連覇は37年ぶりで2度目。
セ・リーグで複数回の連覇は、巨人に次いで2球団目で、2年続けることがいかに困難であるかを物語っています。
優勝を決めた阪神甲子園球場は、カープを応援する「赤」で埋め尽くされていました。
原爆によって焦土と化した広島という街に、わずか4年でつくりあげられた球団は、「広島市民に元気と勇気を届けたい!」という熱い思いがつまった復興のシンボルでした。
カープが市民球団と呼ばれるのは、他の球団と違い、親会社を持たず、独立採算制をとっているからです。
親会社からの赤字の補填がないため、設立当時は、厳しい台所事情を抱えていました。
それでも、広島を、広島カープを愛する多くのひとの助けにより、独自の道を歩んできたのです。
広島市民球場開設を前に広島財界も動きましたが、当時の東洋工業の社長、松田恒次は、こんな提案をしました。
「広く、球場建設資金を募集しようじゃないか。そうだ、名古屋城再建のときに居金箱を用いているが、あの手は面白い。広島市内のあらゆる料亭、飲食店、キャバレー、喫茶店にその箱を置いて、1ヶ月ごとに集計して、そのつど、中国新聞で発表すればいい。この方法は競争になるから効果があるよ。よし、その箱は僕が寄付しよう…」。
選手獲得に関しては、高い年棒を捻出するより、若手の育成に力を注ぎました。
そうしてできあがったチームは、揺るぎない結束力と地元からの大声援を得たのです。
そんな広島カープにあって、忘れられない伝説の投手がいます。
「炎のストッパー」、津田恒美(つだ・つねみ)。
悪性脳腫瘍のため、わずか32歳でこの世を去った津田は、闘志むき出しの投球でファンを魅了し、優勝を牽引しました。
彼はあらゆるものと闘ってきました。
怪我や病、そして己の弱気。
闘うひとだからこそ、ひとを励ますことができたのです。
剛速球投手、津田恒美が、短い人生でつかんだ明日へのyes!とは?

広島カープの抑えの切り札だった「炎のストッパー」、津田恒美は、1960年山口県、現在の周南市に生まれた。
杉林に囲まれた山間地を流れる島地川。
のどかな里山の風景は生涯、彼の心に生きていたに違いない。
「野球選手を引退したら、田舎に戻って農業、やろうかな。それでも、今までどおり仲良くしてくれるか?」
友人にそんなふうに語ったという。
津田は、幼いときから剛腕ぶりを発揮していた。
小学生のときは、ソフトボール。中学時代は軟式野球。
いずれも共通するのは、球は速いが、コントロールが定まらない。
監督やコーチも、どう指導していいか頭を悩ませた。
相手バッターは、フォアボールか三振。バットに当たらない。
そんな津田の投球を見て、南陽工業高校の監督が惚れた。
すらっと背が高く、針金みたいな体。
しなやかに繰り出す速球は、今まで聴いたことがない音を立ててミットに吸い込まれた。
速い。とにかく、速い。
強豪校の誘いもあったが、自宅から近かったこともあり、まだ甲子園で無名の南陽に進学を決めた。
野球部の坂本監督は、津田の凄さと同時に、脆さも知ることになる。
それは、彼の弱気だった。

元広島カープの剛速球投手・津田恒美。
高校時代の野球部の監督は彼の凄さと同時に脆さも知った。
性格が、弱い。優しすぎる。内気で目立つことが嫌い。
ひと前に出ると、自分を見失うことが多かった。
大事な試合の前には、一睡もできない。
監督は、彼を鍛えるため、いろいろ試みた。
大勢の前で歌を歌わせたり、スピーチをさせたりした。
でも、彼の弱気は治らない。
あるとき監督は津田に透明な袋に入れた小麦粉を「これ、精神安定剤だ。これ飲んだら眠れるぞ」と試合前に渡した。
全く効果はなかった。
いちばん辛かったのは、本人だ。
大好きな野球。力を出し切れば、誰にも打たれない自信がある。
でも、ドキドキする。
眠れない。弱気が体中に拡がり、彼に襲いかかる。
殻を破るきっかけは、2年の夏の地区予選。
そこで津田は、完全試合をやってのける。
完全試合とは、一本のヒットどころか、フォアボールも含めてだれひとり一塁ベースを踏ませないということ。
最後の打者をファーストフライに打ち取り、マウンドにいる津田のまわりにナインが集まる。
でも、彼は冷静だった。
「落ちるカーブが決まってくれたんで楽でした」。
インタビューにも淡々と答えた。
はしゃぐことはないが、自らを振り返っていた。
「結局、自分の弱気を振り払えるのは自分しかいない。少しずつでも、こうやって自分に自信をつけていくしか道はない。『弱気は最大の敵』。オレは、この言葉と一生つきあっていく」。

津田恒美のプロ野球選手としての人生は、順調にスタートした。
ドラフト1位で、広島カープに入団。
古葉監督の期待通り、1年目で11勝をあげ、見事、球団初の新人王に輝く。
しかし、2年目の後半から、暗雲がたちこめる。
右手中指の血行障害。登板できなくなり、手術を余儀なくされる。
野球ができないことも辛かったが、まわりの冷たい反応もきつかった。
ちやほやしてくれたひとも怪我をすれば、あっという間に去っていく。
ひとの気持ちの移ろいやすさに、傷ついた。
2軍落ち。野球をやめる選択も考えた。
背番号を「15」から「14」に替え、名前も、恒美の「み」を美しいという字から実力の実に改名。
美しさではなく、実をとる。
なにふりかまわず、もう一度野球に魂を捧げたいという決意の表れだった。
やがて抑え投手として、復活。
抑えという役割が、彼に合っていた。
闘志を前面に押し出し、ストレートをガンガン投げまくる。
ついた名前が「炎のストッパー」。
1986年のシーズンは、チーム5度目の優勝に貢献し、カムバック賞を獲得した。
しかし、ストッパーには先発投手にはないプレッシャーがかかる。
自分が打たれれば、前半を頑張って投げ抜いた投手の勝ち星を消してしまう。
実際、津田は自分が打たれてしまったときは、先発投手のもとに30分おきにあやまりにいったこともあったという。
さらに翌日は早めに球場に入り、誰もいない外野スタンドの階段を黙々とランニングした。
その姿は応援してくれたお客さんへの懺悔にも見えたらしい。
気の弱さと優しさは、生涯変わらなかった。
でも、それを知っていたからこそ、彼はどんな苦境も乗り越え、奇跡的な復活を遂げることができた。
弱さが敵なのではない。
弱い自分から目を背けることが敵なのだ。
彼がいまだに若きカープ選手の目標であり続けるのは、いつも彼が教えてくれるからだ。
「一球一球に魂を込めることでしか、ひとは強くなれない」

【ON AIR LIST】
ロックンロール / くるり
Stop This Train / John Mayer
Walk / Foo Fighters
イージュー★ライダー / 奥田民生

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけと里芋・蓮根の揚げだし

今回は、津田恒美の生まれ故郷、現在の周南市の特産野菜、里芋を使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけと里芋・蓮根の揚げだし
カロリー
368kcal (1人分)
調理時間
25分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • 里芋
  • 5個
  • 蓮根
  • 100g
  • 片栗粉
  • 大さじ5
  • 適量
  • 大根おろし、万能ネギ、
    糸唐辛子
  • 適量
  • 【合わせ出汁】
  • 出汁
  • 3カップ
  • しょう油
  • 大さじ3
  • 大さじ2
  • みりん
  • 大さじ2
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは小房にほぐし、里芋は皮をむき、10分下茹でする。
  • 2.
  • 蓮根は5mm幅の食べやすい大きさに切る。
  • 3.
  • 里芋、蓮根に片栗粉をまぶし、深めのフライパンに2cm程の油を入れ、里芋、蓮根、霜降りひらたけをサッと揚げる。
  • 4.
  • 合わせ出汁の材料を鍋に入れて、中火にかけ沸いたら火を止めて(3)を加える。
  • 5.
  • 器に盛り、大根おろし、万能ネギ、糸唐辛子をのせる。
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番組へのメッセージ

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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