第三百二話天国に座席はいらない
平林たい子(ひらばやし・たいこ)。
女流文学会会長だった彼女は、姐御的な存在として後進の女性作家を育てる一方で、女傑と呼ばれ、男の論理が幅をきかす文壇に一石を投じました。
歯に衣着せぬ発言。エネルギッシュな創作欲。
さぞかし怖いイメージかと思いきや、会ったひとの脳裏に残っている彼女の印象は、皆一様に、美しい笑顔でした。
貧しい少女時代、アナーキストととの同棲、検挙。
朝鮮や満州への逃避行や病。
人生を翻弄するさまざまな出来事を、彼女は、小説にすることで前へ前へと進み続けました。
思うがままにならない人生や社会の理不尽から、目をそらさずに。
彼女の出身地、長野県諏訪市にある「平林たい子記念館」。
「郷里のために役に立つことをしたい」という遺志を継いで建てられました。
「地元の特徴のある建材を使った、出来るだけ質素なものを」という平林の願いどおり、屋根には諏訪特産の鉄平石を張りました。
展示室には使っていた居間の建具を利用し、遺品を展示しています。
開館は、基本日曜日だけ。
ただし予約をすれば、管理人さんが鍵を開けてくれて、中に入ることができます。
そんなどこか素朴なスタイルが、彼女の人格に重なるように思えます。
「記念館を建てるのなら、とにかく質素なものを」と願い、自らの私財を文学賞創設に捧げ、「文学に身を染めながら、なかなか日の目をみることがなかったひと」を、賞で讃えました。
記念館の前の石碑に刻まれた文字は、彼女の口癖だった言葉です。
「私は生きる」。
生前、彼女は言っていました。
「私は生きた、そしてなしとげた。だから、神様の右でも左でも、天国に座席はいらない」
来年没後50年を迎える小説家・平林たい子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
小説家・平林たい子は、1905年、長野県諏訪郡中洲村、現在の諏訪市に生まれた。
本名は、カタカナで「タイ」。
どうしてその名にしたのか、大人になって父に尋ねると、「ときの総理大臣のお妾さんの名前が『お鯛』と言ったからだ。女が政治の世界に入るには、政治家の妻か妾になるしかないからなあ」と真面目な顔で答えた。
たい子は、あまりの言い草に、怒りを通り越し、笑ってしまったという。
たい子の祖父は、諏訪で製糸工場を営んでいた。
当時、長野は、生糸の生産が盛んだった。
しかし、あえなく経営破綻。
裕福な暮らしは、一気に暗転。
祖父は、芸者を連れて東京に逃げてしまう。
貧しい家を切りもりしたのが、祖母だった。
たい子は、この勇猛果敢な祖母の血を受け継いだ。
父は、婿養子。
祖父の後始末に奔走した。
さらに出稼ぎでほとんど家にいない。
たい子は、母の影響を受けた。
母は、まだ羽振りのよかった頃の名残を受け、地元では珍しく英語を学び、洋書を読む、インテリだった。
なけなしの財産で「よろづや」を開店するが、借金は募るばかり。
母は、その教養を生かすこともなく、商いと子育て、農作業の手伝いに追われた。
でも、母は、愚痴ひとつ言わなかった。
たい子は、そんな母の背中を見て育つ。
そして、自分の人生に起こる出来事を、全て請け負う覚悟を持つことを知った。
長野県出身の反骨の作家・平林たい子は、小学校に入ると、「文学」を知った。
赴任してきた、まだ20歳の川上先生は、「既存の概念や体制に対抗できるのは芸術、なかでも文学しかない」という考えの教師。
ずば抜けて成績優秀だったたい子を、たいそう可愛がった。
「平林、この小説、読んでみろ。『貧しき人々の群れ』。18歳の女性が書いたんだ。すごいぞ、でもなあ、きっとおまえにだって書ける」。
天才少女と呼ばれたその18歳の小説家こそ、後にたい子の永遠のライバルになる、宮本百合子だった。
学校での川上先生との時間だけが、たい子にとっての幸せなひとときだった。
家に帰れば、「よろづや」の店番。
貧しさにどっぷりつかりながら、ひとびとのお金に対する執着を観察した。
「お金から自由になれないひとは、心も自由になれないのかな」
一方で、貧しくてもお金にとらわれていないひともいた。
同じ条件、同じ環境でも、醜いひともいれば、清らかなひともいる。
その違いはどこから来るのだろう…。
川上先生に尋ねると、それは「教養」だと言った。
「教養を高めるには、文学がいちばんなんだ。たくさんの人生を追体験しておけば、訪れる困難が初めてのものではなくなるからな」。
たい子は、夢中で小説を読んだ。
大地主の家にあがりこみ、ロシア文学の翻訳本を読み漁った。
ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ。
そこに、人生があった。
そこに、自分より過酷な運命の主人公がいた。
たい子の心に、小さな火がともる。
「私、小説家になりたい」
小説家・平林たい子は、小学校を出たら、近所の製紙工場に就職するものだと思っていた。
姉たちもそうしたし、母もそれを望んでいた。
家は火の車。
女学校に進むことは許されない。
でも、川上先生は、何度も何度も平林家に通う。
「たい子さんは、進学すべきです。こんなに優秀な娘さんを、今すぐ働かせるのはもったいない!」
あふれる教養を持ちながら、それを生かすことができずに、生活に疲れている母は、思った。
「女性が生きる道には、もっと可能性があるのかもしれない」。
父が出した条件は、一発でパスすればいいだろう。
たい子は見事、一番で諏訪高等女学校に合格する。
せっかく入った女学校だったが、たい子はいつも浮いていた。
授業をさぼって裏山に行き、ただひたすら本を読む。
諏訪図書館まで行って、閉館まで本をよみふけることもあった。
特に、志賀直哉の文章に魅了された。
小説を書くようになるが、文体は、いっさいの湿気を排する。
当時は、こんなふうに批評された。
「女性が書く文章とは思えないくらい、乾いている」
たい子は、鼻で笑った。
「文章に、女性も男性もない。あるのは、いい文章か、悪い文章かだけなのに…」
とにかく書いた。
書いて書いて、書き続けた。
自分に起こった出来事。
哀しいことが多かったが、書いた。
書くうちに、生きていることと書くことが一緒になっていった。
こうして、作家・平林たい子は、真の作家になっていった。
「全て出し切った、だから、天国に座席はいらない」
【ON AIR LIST】
SHOW ME / The Pretenders
わが母の教え給いし歌 / ドボルザーク(作曲)、ヨーヨー・マ(チェロ)
REASON TO BELIEVE / Aimee Mann and Michael Penn
moment~今を生きる~ / KOKIA
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