第二百四十七話感謝の心で生きる
種田山頭火(たねだ・さんとうか)。
今年、没後80年。
放浪の果てに広島から船に乗った山頭火は、瀬戸内海の夕陽を浴び、四国の地、松山を目にしてこう思いました。
「僕の死に場所は、ここしかない」
『酒飲めば 涙ながるゝ おろかな秋ぞ』
そう詠んだ山頭火は、広島で医者にみてもらいます。
病状はかんばしくありません。
心臓の衰弱。
聴診器からは木枯らしのようにヒューヒューと弁膜の悲鳴が聞こえます。
「僕の病は、申し分ないのですね」
山頭火が言うと、医者はこう返しました。
「あんたは、これまで旅を続け、酒をあおり、句を詠み、好き勝手に生きてきたんだから、いつ死んでも後悔はなかろう」
「はい、後悔はありません。ただ、これ以上ひとさまに迷惑はかけたくないので、ころり往生を願うばかりです」
愛媛の松山では友人たちが、山頭火が棲む庵を探してくれました。
御幸寺山の麓、寺の山門の近くの一軒家。
山頭火はここを、ひとつの草の庵、「一草庵」と名付けました。
『おちついて 死ねさうな草枯るる』
『おもひでがそれからそれへ 酒のこぼれて』
彼は亡くなる前、心が澄んでいくのを感じました。
何も持たず生まれてきて、何も持たず死んでいく。
そして、日記にこう記しました。
「芸術は、誠であり、信である。誠であり、信であるものの最高峰である感謝の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであらう」
孤高の俳人、種田山頭火が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
放浪の俳人、種田山頭火は、1882年12月3日、現在の山口県防府市に生まれた。
父は地主。大柄で大きな瞳、優しい性格でひとに好かれた。
酒は飲まなかったが、外に女性を囲う。
それも一人や二人ではなかった。
役場の助役になり、ますます地方政治にのめり込んでいく父。
家に近寄らず、別宅ばかりに帰るようになった。
山頭火が10歳を過ぎたころ、母は、自宅の古い井戸に身を投げた。
5人の子どもを残して。
まだ33歳だった。
山頭火は美しい母が自慢だった。
母に頭をなでられると、天にも昇る気持ちになった。
その母が、突然いなくなる。
その喪失感は、のちの人生観を決定づけた。
父はますます家に帰らなくなり、山頭火は祖母の家に預けられることになる。
学校での成績は、常に一番。
同級生が父や母のことで陰口をたたいたり、あざけりの言葉を投げても、淡々とやりすごす。
祖母の口癖は、こうだった。
「いいかい、人間にはねえ、業っていうもんがあるんだよ。誰もが自分の業から逃げることはできないんだよ」
種田山頭火にとって、母は己の全てだった。
絶対的な愛で全てを受け入れてくれる。
その母が、自ら命を絶った。
そのとき、父は温泉で芸者と遊び、すぐに駆け付けることもなかった。
心底、父を憎む。と同時に、母が不憫でならなかった。
幼くして、毎晩同じ夢を見た。
白い着物を着た母が、古井戸に腰掛けている。
白い顔。
濡れた黒髪が頬にまとわりつく。
山頭火を見て、はかなく微笑んだあと、後ろ向きに井戸に落ちていった。
大きな音がする。
ボッチャーーン。
その音は、目覚めてもなお耳の奥で響き続けた。
寂寥感にさいなまれ、夜、眠れなくなる。
中学に入り、俳句を知った。
歌を詠むと、すっと心が楽になった。
『大きな蝶を殺したり 真夜中』
自分のさみしさ、哀しさ、そして、業と向き合うことができた。
ただ、彼を最も苦しめたのは、早稲田大学に進学しても、その学費や生活費を父に払ってもらわなくてはならないこと。
20歳を過ぎ、酒を覚えた山頭火。酒におぼれた。
やがて、父が事業に失敗。
仕送りがなくなるころ、山頭火も神経衰弱でふるさとに戻らざるをえなくなった。
種田山頭火は、再起をかけて父が始めた酒造業を手伝う。
ふるさとの村人は、冷たかった。
女遊びが激しい父と、アルコール依存症で大学を辞めさせられた息子。
そんなレッテルがついてまわる。
早稲田大学では、小川未明か山頭火か、と言われるほど文才を認められていた。
もう一度、俳句をやろう。
句を詠み、ノートに記した。
定型の五七五ではない。自由律俳句。
詠めば詠むほど、傍らに母を感じた。
父と始めた酒造業はあっけなく、廃業。
山頭火は神経衰弱を悪化させ、父は行方不明になった。
「出家しかない」
山頭火は思った。
母を想いながらの巡礼の旅に出かけよう。
思えば、誰かに望まれた命ではない。
母はいなくなり、自分の存在理由を失った。
その日暮らしをしながら、施しの酒をあおり、句を詠んだ。
ある日、気がつく。
「こんな自分が、なぜ生き永らえ、句を詠めているのか」
そこには、誰かの優しさがあった。
誰かの思いやりが、彼の命を救っていた。
そのことに気がついたとき、山頭火は泣いた。
暗闇の境内で、大声をあげて泣いた。
「お母さん、僕はまだ生きていていいんだろうか。僕が詠む句は、誰かを幸せにするんだろうか」
感謝する。
それは放浪の果てに山頭火がたどり着いた新しい境地だった。
今、自分がここにいるのは、自分だけの力ではない。
その事実が、彼の背中を押した。
『この旅 果てもない旅の つくつくぼうし』
『どうしようもない 私が歩いている』
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