第二百六十二話不器用さを大切にする
雪舟(せっしゅう)。
個人の作家として、最も多く国宝に指定されていることから、絵の神様、画聖という名で呼ばれています。
総社市赤浜には、雪舟誕生の碑があり、そのほど近くには、彼が幼少期、修業した宝福寺があります。
宝福寺でのある逸話が、作品だけではなく、雪舟の名を現生にとどめました。
修行をちっともせずに、絵ばかり画いている、幼い雪舟。
和尚は怒って、彼をお堂の柱にしばりつけてしまいます。
もうそろそろ反省している頃かと様子を見に行くと、雪舟の足元にネズミがいます。
「こりゃ大変だ!」と和尚がネズミをつかまえようして、はたと気づきます。
ネズミは、雪舟が画いた絵だったのです。
哀しくてポタポタと床に落ちた涙。
それを墨代わりにして、足の指でネズミを画いた…。
これには和尚も感動し、以後、雪舟に絵を画くことを許した、というエピソードは、ひところ、学校の教科書にのっていました。
幼い頃から才能を発揮した彼は、順風満帆な芸術家人生を歩んだのでしょうか?
当時、水墨画の聖地だった京都を追われるように去り、自らの画風に悩んだ彼は、失意の日々を過ごします。
雪舟がようやく自分の作品に自信を持ち、画風を確立したのは、48歳のときだと言われています。
中国の繊細な模倣が主流だった時代に、大胆な構図や荒々しい筆づかいで立ち向かった背景には、おのれの不器用さがありました。
他のひとと同じようにできない。
その一見、マイナスとも思えるコンプレックスを、見事にプラスに転じさせたのです。
水墨画を確立させたレジェンド、国宝の代名詞、雪舟が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
水墨画の巨匠、雪舟は、備中国赤浜、現在の岡山県総社市に生まれた。
幼くして地元の宝福寺に入り、禅僧としての修業を積む。
とにかく、絵を画くのが大好き。
境内を掃くほうき、窓を拭く雑巾、気がつけば全てが絵筆になった。
室町時代は、文化・教養の継承や発展を禅僧が担っていた。
文芸の道で生きていくには、寺での修業がいちばんの近道。
雪舟は早くから絵の才能を認められ、10歳を過ぎたころには、京都の相国寺に移った。
この寺には、京都中にその名をとどろかす画僧がいた。
その名は、周文(しゅうぶん)。
細やかで繊細なタッチ。
特に大人気を博していた中国水墨画の巨匠・牧谿(もっけい)の作風を真似た絵は、高い評価を得ていた。
周文はまだ若い雪舟の実力を見抜き、絵の手ほどきをした。
だが、雪舟は、うまくできない。
綿密に計算された構図や、細かすぎる描写になじめない。
「牧谿風というのが、いちばん喜ばれるんだ。さあ、おまえならできる、画いてみなさい」
そう言われても、画けない。
不器用な自分が、情けなく思える。
結局、15年あまり、自分の才能のなさを思い知らされた。
35歳になったとき、山口の大大名、大内氏から誘いがくる。
ここから雪舟の第二の人生が始まった。
日本における水墨画を、芸術の域にまで高めた立役者、雪舟は、35歳を過ぎて山口に渡った。
当時の禅僧にとって、京都を去るというのは、まさしく都落ち。
失意がなかったとは言えない。
でも、雪舟はどこか晴れ晴れとしていた。
山口の大内氏は、雪舟になんでも画いてもらった。
殿様や家臣の肖像画。
花鳥の屏風。寺院の襖絵。
さらには、美濃や天橋立など、各地への旅を命じ、各地の風景や街道のたたずまいを模写するように頼んだ。
暗い部屋にこもり、ひたすらに細密画を書き続けてきた雪舟にとって、その仕事は、大いなるリハビリになった。
旅先の海岸でスケッチをしていると、村人が「あんた、絵がうまいねえ」と寄ってくる。
さらさらと似顔絵を画いてあげると、満面の笑みで喜んでくれた。
「そうか、僕は絵が好きなんだ。絵を画くことが、ほんとうに好きなんだ」
そう気づいたとき、涙がこぼれた。
お礼にと、村人が持ってきたにぎりめしを頬張りながら、雪舟は泣いた。
にじんだ風景の中に、画きたい絵のアイデアが浮かんできた。
山口にやってきて、十数年経ったころ。
48歳の雪舟にとって運命的なチャンスが訪れる。
中国への旅。
大内氏のはからいにより、遣明使のメンバーに選ばれたのだ。
彼の役割は、ある意味、随行カメラマン。
中国の街並みや文化をつぶさに写すことにあった。
スケッチ風の描き方は、たくさんのカメラが据えられているように多面的だった。
ドローンを飛ばしたような、天からの視点。
地を這うようなローアングル。
それらを融合し、一瞬で街をとらえる。
後の雪舟の特徴的な画風の礎を築いた。
さらに雪舟の心を開放したのは、本場で見る中国水墨画。
京都で教えてもらったのが、ごくごく一部でしかなかったことを知る。
「そうか、もっと自由でいいんだ」
荒々しく海をとらえたものがあるかと思えば、絵が右半分に偏る大胆な構図。
ワクワクした。
「心の目で見たままを画けば、それでいいんだ」
北京の、科挙が行われる礼部という官庁で、絵を画いた。
遠近法が違っていようが、樹木の枝が太い線で画かれようが、気にしない。
画きたい絵を、画きたいように描いた。
その絵を見た本場中国のひとたちは、笑顔で拍手した。
「私たちがずっと大切にしてきた水墨画を愛してくれて、ありがとうございます」
そう言われて雪舟は、初めて自分の画風を手に入れたことに気づいた。
絵を画き始めて、40年以上経っていた。
【ON AIR LIST】
コンティーゴ・エン・ラ・ディスタンシア / レイ・サンドバル(ギター) featuring.ガブリエル・ゴンザレ
LONELY LULLABY / Willie G.
EARTHY SMELLS / Shoko & The Akilla
SATISFIED FASHAWN / CHOOSEY & EXILE
閉じる