第百二話失敗を尊ぶ
岩手県立美術館。
ひとたび中に入れば、そこは欧米のミュージアムのような佇まい。
広いエントランスに緩やかなスロープは、開放的な空間を演出しています。
庭に敷き詰められた芝の緑、そして、ひっそりと置かれたテーブルや椅子は、まるでそれ自体がオブジェのように、来館するひとを待っています。
美術館の中には、郷土ゆかりの作家たちの作品。
夭折(ようせつ)した画家、松本竣介、彫刻家、舟越保武、深沢紅子。
そしてひときわ目を引くのが、今年、没後90年を迎えた日本画壇の風雲児、萬鐵五郎です。
萬は、いち早く西欧絵画の技法を取り入れた作家のひとりとされています。
マチスなどに見られる、太いシンプルな線で輪郭を描く画法。
ピカソに代表されるようなキュビズム。
試しては苦しみ、苦しんでも試す。
彼は言っています。
「いまだかつてできなかったことを成し遂げようとする。僕にとって、失敗こそ尊い」。
彼の真骨頂は、自画像でした。
最も有名なのが、『赤い目の自画像』。
全体が赤いだけでなく、目も充血したように真っ赤です。
上目遣いに何かを見つめる、赤い目。
彼が見ているのは、不安か、焦りか、はたまた絶望か。
自分がこれだと思えば、なんでも試し、失敗を厭(いと)わなかった精神は、当時の画壇から揶揄(やゆ)されていました。
それでも彼は、自らの革命をやめませんでした。
鉄人と言われた画家、萬鐵五郎が42年の生涯でつかんだ、明日へのyes!とは?
画家、萬鐵五郎は、1885年11月17日、岩手県、現在の花巻市に生まれた。
家は、海産物や米を扱う問屋。しかも大地主。
村でいちばんの資産家だった。
鐵五郎は、初孫として、財をなした祖父から寵愛(ちょうあい)を受けた。
小さい頃からなんでもできた。勉強も運動も、そして絵もうまかった。
尋常高等小学校も首席で卒業。
祖父は、やがて鐵五郎が故郷を離れて東京に出ていくのではないかと案じ、学校に行くな!と言い出した。
それほど優秀だった。
16歳のとき、新聞を読んでいてある本の広告が目に入る。
『水彩画の栞』。さっそく買って読んでみる。
水彩画の用具、技法、作品のつくりかたが解説してあった。
今までやっていた日本画がつまらなく感じるほど、魅力的に感じた。
指定された道具を買い、風景画を1、2枚描いてみる。
「なんだ、あんがい、画けるもんだな」
本の巻末に、著者に作品を送れば批評してくれると書いてある。
送ってみた。
著者は、水彩画の大家、大下藤次郎だった。
大下は、驚いた。
「なんだ、この学生は…。誰かに画いてもらったのか…」
やればたいがいのことは、難なくこなせる。
鐵五郎の心に、不遜が宿った。
しかし、やがて鐵五郎の傲慢は、あっさり壊されることになる。
ひとは、失敗という洞窟から謙虚という宝石を発掘する。
画家、萬鐵五郎は、祖父の死をきっかけに東京への進学を決めた。
東京美術学校、現在の東京芸術大学西洋画科に、首席で入学。
大きくのびやかなデッサンの線。
キャンバスをいかに広く使うかに長けていた。
色彩の美しさは抜きん出ていて、明らかに他の学生と一線を画していた。
級長に選ばれるほど真面目かと思いきや、羽目をはずしたり、茶目っ気をだして、皆を笑わせた。
学校のストーブの石炭入れは、靴の形に似ていたので、それを履いて教室をガタンガタンと歩き回ったりした。
宴会では裸踊り。猫の物真似も得意だった。
そんな鐵五郎が、頭を殴られるような衝撃を受ける出来事があった。
ヨーロッパでセンセーションを巻き起こしたある画集を見た。
自然の光をそのままキャンバスに再現する印象派とは全く趣を異にする、画風。
後期印象派。
セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マチス。
画集はモノクロだったけれど、その線、フォルム、テーマ。
全てが既成概念をぶち破っていた。
「なんだこれは!この力はいったい、なんだ!?」
今までやってきた自分の水彩画が、急につまらないものに思えてきた。
「結局、自分が褒められる作品は、黒田清輝先生の真似じゃないのか?!」
綺麗に画くこと、うまく画くことなんか、くだらない。
大切なのは、そこに真実があるかだ。
少なくとも後期印象派の画家たちは、誰にも媚びていなかった。
自分の命に正直なだけだった。
画家、萬鐵五郎は、個展を成功させ、家族を持っても満ち足りなかった。
画風は、どんどん変わる。
『裸体美人』という作品は、草むらに身を横たえる女性を描いている。
上半身は裸で赤い布を巻いている。ゴッホやマチスの影響が見えた。
太い線の輪郭。燃え盛るような草の葉。不安をあおる背景。
『太陽の麦畑』はさらに、ゴッホを想起させた。
一度、自分の中に取り入れると、すぐに捨て去る。
「失敗だ!」と叫ぶ。キュビズムを真似して、これもまた捨て去る。
試しては破り捨て、破り捨てては新しい画法に挑戦した。
20代後半から、自画像を多く描くようになる。
自分とは、何か。自分とは、いったい何者なのか?
鏡を見続けて、描いた。
ふるさとの岩手に戻り、制作の現場とした。
孤独に身を置く。ひたすら絵と向き合う日々。
東京から訪れた友人は、鐵五郎のこんな言葉を聞いた。
「僕が目を開けている時はね、即、絵を画いているときだ」。
再び上京するが、睡眠不足と過労で神経衰弱になった。
神奈川の茅ヶ崎で療養。でも、創作の手をゆるめることはなかった。
彼は見舞いに来る親しいひとに語った。
「結局、自分という人間を高めないかぎり、作品も上にはあがってくれないんです。絵は、人です。失敗を繰り返し、それでも這い上がってまた失敗する。そういうことでしか、僕は自分を高めることができないんです」。
彼のアトリエには、絵があふれていた。
それは萬鐵五郎の闘いの歴史。ひたむきな追及が自らに向きすぎると、ひとの心は悲鳴をあげる。
それでも彼は、自分を見つめることをやめなかった。
『赤い目の自画像』。
たとえ、自分の目が血で染まっても、彼は失敗を尊ぶ勇気を持ち続けた。
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