第二百三話挫折を乗り越える
県内で通過する地点の中に、九十九里浜を有する山武市があります。
千葉県北東部に位置する、いちごの名産地。
この山武市出身の作家がいます。
何度も映画化された『野菊の墓』が有名な、伊藤左千夫(いとう・さちお)。
山武市には、生家も残っています。
築、およそ200年以上前の、かやぶき屋根の平屋。
敷地内には、伊藤が生前建てた茶室も移築されています。
歌人であり、小説家、そして茶の道にも精通していた文化人、伊藤左千夫のもともとの夢は政治家でした。
正義感が強く、議論好き。
富国強兵策を自ら論文にまとめ、時の元老院に送ったりしました。
明治法律専門学校、現在の明治大学に入学。
意気揚々と上京しますが、目の病を患ってしまいます。
学校に通えなくなるほどの重病。
結局、就学は断念して、実家に帰らざるを得なくなります。
そのときの挫折は、どれほどだったでしょう。
星雲の志があっけなく壊れてしまったとき、彼は何を頼りに立ち上がったのでしょうか。
『野菊の墓』は、彼が初めて書いた小説です。
「僕の家というのは、松戸から二里許り下って、矢切の渡を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所」という描写があるとおり、舞台は江戸川の矢切の渡しあたり。
静かな田園風景の中、十五の政夫と、十七の民子の純愛を描いた名作は、今も多くのひとに読み継がれています。
政治家志望の青年が、リリカルなロマンティシズムにあふれた小説を書くまでに至った経緯にこそ、彼が挫折を乗り越えた心の軌跡がうかがえるのです。
明治から大正時代に活躍した作家・伊藤左千夫が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
小説『野菊の墓』の作者、伊藤左千夫は、1864年9月18日、現在の千葉県山武市に生まれた。
上総の国は、文化の香りが色濃くあった。
実家は農家だったが、父は、農業の傍ら、漢学や和歌に精通。小学校の教員をするほどの知識人だった。
母は、武士の流れをくむ家系。気性は激しく、道理にはうるさかった。
特に躾には厳しく、我が子ばかりではなく、近所の子どもにも容赦なかった。
「まあまあ、子どもは、伸び伸びするのがいちばんだ」という穏やかでのんびりした父と、「子どものうちから礼儀作法を学ばないと、ろくな大人にはならないのよ!」という厳しい母。
左千夫は、父からは学問や文学の心得を、母からは正義感を受け継いだ。
10歳の頃、明治政府により学制が発布され、小学校ができた。
学校といっても、近くのお寺が教室だった。
論語や文章規範を学ぶ。
当時、全ての子どもが小学校に通えるわけではなかった。
同じ農家でも、「学問なんかいい、どうせ家を継ぐんだから」と学校に通えない子どももいた。
左千夫の家は、父に理解があり、経済的にも裕福だったので入学が許された。
左千夫は思った。
「どうして、こういう差が生まれてしまうんだろう」
それが政治に目覚めた、最初の瞬間だったのかもしれない。
作家・伊藤左千夫は、小学校に通いながら、佐瀬春圃(させ・しゅんぽ)という学者がやっている塾にも通った。
中国の古典や日本史、日本の外交史などを学ぶ。
佐瀬は、驚いた。他のどの子どもたちより、熱心で優秀。
わからないことがあると「なぜ?」「どうして?」と質問攻め。
自分が納得するまで先生を離さなかった。
中国戦国時代の政治家にして詩人の、屈原に傾倒。
敵の謀略を見抜いたにも関わらず、無念の死を遂げた屈原に、政治家としての資質と詩人としての哀しさを見た。
左千夫にとって屈原は、理想の男、目標になった。
18歳のとき、「富国強兵に関する建白書」を漢文体でかきあげる。国を憂える気持ちは、さながら屈原そのものだった。
父に「左千夫は、将来何になりたいんだ?」と聞かれ、迷わず「政治家になります」と答えた。
明治法律専門学校に入学。
上京して、いよいよこれからだという矢先、目に異常を感じた。
進行性近視眼。
医師に、このままでは失明の恐れあり、と診断された。
治療に専念するため、学校は辞め、ふるさとに帰るしかなかった。
失意の日々。悔しかった。情けなかった。
「どうして自分にだけ、こんな仕打ちが待っているのか…」
人生の理不尽に持って行き場のない怒りが押し寄せる。
結局、4年もの間、悶々とした日常の中にいた。
焦る。
もしあのまま学校に行っていれば…。
もう取り返しがつかないのではと、絶望した。
奇しくも、大好きだった屈原のように…。
伊藤左千夫は、絶望のふちである事実に気づく。
どんなに苦しくても、自分はこの世の中を見つめることが好きだ。
目をそむけようと思っても、結局、自分が好きな本を読み、好きな歌をそらんじている。
政局を憂い、己の哲学や思想を世に出したい。
「そうか、ひとは好きなものから逃れられない。ならば、そこに身を投じるしかないんだ」
農家を手伝いながら、野山を仰ぎ、思った。
やれることから始めよう。
一歩ずつ。
やりたいことをやろう。
どうせ、一度きりの人生だ。
近くの役所に、千葉の議会に、自分の意見書を送った。
ついには、家出。
「父上さま 母上さま 私は目のおかげで徴兵を免れました。どうか愚息は戦争に行ったと思い、お許しください」
東京に出た。
持っていたのは、1円と羽織1枚に、好きな書物を3冊だけ。
住み込みで働けるところを探す。
彼は牧場で働いているとき、短歌をたしなむ友人を得て、文学の世界に入った。
ひとは、自分の好きなことでしか救われない。
ひとは、行動することでしか挫折を乗り越えることができない。
50歳を待たずして亡くなった、伊藤左千夫。
彼の心に、後悔という文字は見当たらない。
【ON AIR LIST】
花一色~野菊のささやき~ / 松田聖子
政治家になりたい / ザ・バーズ
ひなぎくのジェーン / アメリカ
イン・ザ・カラーズ / ベン・ハーパー
【写真協力】
山武市歴史民俗資料館
閉じる