第三百九十七話自分のやることを愛する
1975年4月17日、イギリスのあるロックバンドが、初めて日本の地を踏みました。
その伝説のロックバンドの名は、クイーン。
JAL61便、羽田空港、午後6時25分すぎ。
集まった熱狂的なファンは、1000人とも3000人とも言われています。
響き渡る黄色い歓声。
あまりのヒートアップぶりに、空港関係者は、急遽、メンバーを税関横の裏口に誘導。
しかし、駐車場で待ち構えていた観衆に、あっという間に囲まれてしまったと言います。
この日を記念すべく、2015年に4月17日が「クイーンの日」に制定され、クイーン・ファンの聖地、羽田空港での音楽イベント「クイーン・デイ」を開催。
2023年は4月15日に、9回目となるイベントが行われます。
今年はクイーンのファースト・アルバム『戦慄の王女』のリリース50周年にちなんで、2人のトーク・ゲストを迎えます。
ひとりは、このアルバムの担当ディレクターだった加藤正文。
もうひとりは、日本でのクイーン人気を支え盛り上げた音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の元編集長、東郷かおる子。
今もなお、クイーンを愛してやまないファンの貴重な祭典になることでしょう。
さらに今年は、世界一と称されるクイーンのトリビュート・バンド「God Save the Queen」が、4年ぶりの来日を果たします。
ますますその火を大きく燃やす唯一無二のバンド、クイーン。
そんな彼らにとって、エポックとなった曲があります。
当時は、ラジオで流れないとヒットしないという鉄則があり、シングル1曲の長さは、ラジオでかけやすい3分から4分が基本でしたが、1975年10月にクイーンが世に出した曲は、なんと6分あまり。
プロデューサーやレコード関係者が反対する中、彼らはかたくなにこの曲を推しました。
ロックにオペラを持ち込んだ革命的な楽曲は、彼らが自分たちを信じていたからこその作品でした。
常に前に進むことをやめなかった伝説のバンド、クイーンのメンバーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
今もなお愛され続ける、イギリスのロックバンド、クイーン。
始まりは、誰も注目しない、埋もれたバンドだった。
ブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンド「スマイル」は、ボーカルの脱退により、存続の危機。
そこに現れたのは、インド洋に浮かぶザンジバル島出身の青年、フレディ・マーキュリーだった。
生まれ育ちや外見にコンプレックスを抱えていたフレディは、人種差別の渦の中で、ともすれば落ちそうになる心を、なんとか保っていた。
シャイで人見知りなフレディだったが、ただ、音楽に関してだけは、絶大な自信を持っていた。
ブライアンやロジャーに、いきなりのダメ出し。
生意気なもの言いに、かっとなるロジャーだったが、ブライアンは違った。
「ただのハッタリじゃない。この男には、自分がやることをとことん愛せる才能がある…」
1971年、ベーシスト、ジョン・ディーコンが加わり、クイーンが完成した。
大学院で天文学を専攻し、博士号を取得したブライアン。
メディカルカレッジで歯を扱う歯学をおさめ、生物学の学位を持つ、ロジャー。
チェルシーカレッジで電子工学を専攻し、首席で卒業した、ジョン。
そして、誰にも出せない声の持ち主、フレディ。
強烈すぎる4人の個性が、音楽の新しい扉を開いた。
1973年、アルバム『戦慄の王女』でデビューしたクイーンだったが、売れなかった。
「ロックなのに、曲構成が複雑すぎる」「ディープ・パープルの亜流にしかすぎない」などと酷評された。
貧しい生活。
フレディたちは、古着屋でバイトをしてなんとかしのぐ。
レコード会社との契約でもトラブルが発生し、やめたいと思うこともあったが、お金がなくてやめるにやめられなかった。
ただ、自分たちの音楽には自信があった。
楽曲制作から発売まで2年近くも要してしまったことで、時代遅れと揶揄されても仕方ない状況だった。
フレディ・マーキュリーは、決めていた。
「自分で自分を信用することから、はじめよう」
批評家も、レコード会社のプロデューサーも、新しいことをやれば批判する。
自分たちが知っているものと比べる。
でも、クイーンが歩こうとしたのは、誰も通っていない道。
そんな彼らをいち早く理解し、賞賛をおくったのが、日本だった。
東郷かおる子をはじめ、多くの音楽評論家が絶賛し、まず女性のファンがついた。
デビューアルバムが、本国イギリスで全く売れなかったクイーンは、アメリカ、ヨーロッパと遠征を続け、極東の国、日本に降り立った時、その歓迎ぶりに驚いた。
自分たちの音楽を待っていてくれた人たちが、ここにいた。
ブライアン・メイは、のちに、日本語の歌詞を入れ込んだ楽曲をつくり、日本に感謝の気持ちを伝えた。
クイーンを世界のどこよりも早く歓迎した日本。
多くのファンが10代の女性で、初めてのロック体験だった。
ややアイドル的な受け入れられ方も一部にあり、クイーンのメンバーは危機感を覚える。
自分たちの音楽は、世界を変えられる力を持っているはずだ。
『キラー・クイーン』の大ヒットを受け、似たような楽曲をレコード会社に求められても、NOを言い続ける。
前と同じことをやっても、つまらない。
前と同じことをやる自分を、愛せない。
4作目のアルバムには、多額のお金と長い時間をかけた。
こだわったのは、これまでに誰も聴いたことのないサウンド。
取り入れられるものは、何でも試した。
そうしてできたアルバム『オペラ座の夜』。
アルバムにおさめられた『ボヘミアン・ラプソディ』が、イギリスで9週連続ナンバーワンの偉業を達成した。
成功の秘訣を聞かれて、フレディはこう答えた。
「経験豊富な大人の意見を全くきかず、自分たちだけを信じたからだよ」
【ON AIR LIST】
ボヘミアン・ラプソディ / クイーン
キラー・クイーン / クイーン
手をとりあって / クイーン
マイ・ベスト・フレンド / クイーン
閉じる