第二十五話相反するものを留める
『つるや旅館』。
江戸時代初期に中山道の宿場町軽井沢宿の旅籠として開業したこの宿は、大正時代から昭和初期にかけて多くの文人に愛されました。
芥川龍之介、室生犀星、堀辰雄。そして、谷崎潤一郎。
彼らは夏の間の避暑地として軽井沢を選び、交流を深めました。
執筆が目的でやってきた軽井沢ですが、あまりの快適さゆえ、むしろ筆がすすまず、散歩や友人との会食にあけくれた作家も少なくなかったといいます。
80年近い生涯で、40回以上も引っ越しを繰り返した谷崎潤一郎にとって、この『つるや旅館』は、そこにいけば自分を待っていてくれる心安らぐ場所であったに違いありません。
今年生誕130年を迎える谷崎は、女性の背中に女郎蜘蛛の入れ墨を彫ることで 彼女の悪女の心を暴き出す『刺青(しせい)』や、高圧的な女性、春琴に隷属的に仕える男を描いた『春琴抄』、良家の夫人の同性愛をモチーフにした『卍(まんじ)』など、ショッキングでスキャンダラスな作風でも知られていますが、ノーベル文学賞候補になるなど、日本文学で唯一無二の存在として今も君臨しています。
芥川龍之介や夏目漱石の作家としての創作期間がおよそ10年しかなかったのに比べて、谷崎は明治、大正、昭和と生き抜きました。
そんな彼にとっての、作風やルーツには、西欧と日本古来の伝統が調和してせめぎあっているのです。
それはどこか、軽井沢の成り立ちに似ています。
作家、谷崎潤一郎が「強く美しい」文章を書くために、心に秘めたyesとは?
作家、谷崎潤一郎は、1886年7月24日、東京日本橋に生まれた。彼はある随筆に書いている。
「自分が小説家として今日まで成し遂げた仕事は、従来考えていたよりも一層多く、自分の幼年時代の環境に負うところがあるのではあるまいか、と云うことである」。
谷崎が生まれた家は、母方の祖父、久右衛門が一代で財をなした屋敷だった。
この祖父の性格や生き方は、谷崎に色濃く継承された。
米相場などの物価をいちはやくキャッチしてそれを印刷して販売する。谷崎活版所は瞬く間に時代の波に乗った。
祖父は、いわゆるハイカラが好きだった。
銀座の街灯に火を灯す事業を始める。聖母マリア像を崇拝する。
銀座通りを闊歩する女性たちを眺めるのが好きだった。
その一方で、歌舞伎などの日本の伝統文化も愛した。
ハイカラと、純日本。
この2つの影響は、幼い谷崎に作家としての宿命を刻印した。
祖父、久右衛門の事業は次世代で傾いた。
せっかく祖父が築いた莫大な財産も、あっという間に無くなった。
谷崎が尋常高等小学校の上級に上がれないほど、一家は困窮した。
でも、谷崎潤一郎は、ずば抜けた秀才だった。先生方のはからいで、なんとか進学を果たす。
この頃から英語学と漢学を習った。
西欧と日本。谷崎にとって、それは相反するものではなく、両輪のように自分を牽引した。
府立一中から旧制一高、そして東京帝国大学。
学業の優秀さは群を抜き、階段をのぼった。
幼い頃から書いた漢詩や散文。
それはいつしか小説への傾倒につながった。
24歳のときに書いた『刺青』が、事実上のデビュー作となる。
ハイカラやモダニズムを有する文体。
探偵小説やミステリー、映画にも興味を示した。
そんな彼に大きな出来事が起こる。
1923年、大正12年9月1日。関東大震災。
谷崎は8歳の時、明治東京地震に遭遇。
以来、極度の地震恐怖症だった。
9月1日、彼は箱根に向かうバスに揺られていた。
激しく崖が崩れる様を見る。恐怖が身体中を突き抜け、ふるえた。
横浜にあった自宅を失い、彼は関西に引っ越すことを決める。
奇しくも、関東大震災後、彼の作風は変貌を遂げる。
ハイカラから日本の伝統への変化の鐘が鳴った。
作家、谷崎潤一郎の私生活は、まるで安定を排除するかのように転がり続けた。
3度の結婚、その他にも女性関係は数知れず。
友人に妻を差し出し、話題になった。
引っ越しも多く、京都、兵庫、熱海、湯河原、その回数は40にものぼる。
ただ、書くことだけは、ぶれなかった。
芥川龍之介との文学論争。芥川は、谷崎の書く小説の「話の筋」が、気にくわない。
「どうも、谷崎さんの物語はフィクションに片寄りすぎる。話の筋を追うことばかりに専念して、肝心の細やかな情感が描かれていない。これはもう芸術ではないですよ」
でも谷崎は決して芥川の挑発には乗らなかった。
ストーリーを捨て去ることなく、小さなエピソードを繋ぎ合わせ、パズルのように1枚の絵を完成させた。
むしろ芥川との論争がきっかけで、長編小説を書くようになる。
そして『源氏物語』や『伊勢物語』など日本古来の男女の姿や伝統に目を向けた。
谷崎は、相反するものをそのままそこに留めた。
西欧と日本、関東と関西、男と女。
思えば彼が愛した軽井沢には、いつも相反するものがそのままあった。
宣教師たちの教会と純和風な『つるや旅館』。
強い陽射しと、涼やかな風。
ともすれば敵対するものを同時に留める度量こそ、時代を造り、未来に残る。
谷崎潤一郎の作品は、今も色あせない。
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