第三百九十三話すべてのものと共に生きる
草野心平(くさの・しんぺい)。
文化功労者となり、今年生誕120周年を迎える草野は、生涯、カエルをモチーフに詩を書き続け、「カエルの詩人」と呼ばれています。
小学生の国語の教科書にも掲載されている『春のうた』。
ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。
ケルルン クック。
ケルルン クック。
冬の間、冬眠していたカエルが、春になって土の中から姿を現す様子が、優しく瑞々しく描かれています。
草野の生まれ故郷、福島県いわき市小川町に、「いわき市立草野心平記念文学館」があります。
常設展示室では、草野の生涯と作品を紹介。
室内は、時間の経過とともに音や光が変化し、カエルや虫たちの声、水のせせらぎと、さまざまな光の色の組み合わせによって、彼のテーマでもある「すべてのものと共に生きる」という世界観を体感することができます。
さらに企画展も開催し、絵本や草野の著作も読めるようになっており、市民の憩いの場所としても活用されているのです。
アトリウムロビーの窓ガラスには、彼の詩が印字され、まるで言葉が空に浮かんでいるように見えます。
草野の人生は、平坦なものではありませんでした。
学校は中退。中国への留学も頓挫。
職を何度も変え、貧困にあえぎ、夜逃げ同然で引っ越しを繰り返す日々。
でも、どんなときも、彼は自然と語らい、カエルに話しかけて、自らの思いを詩につづりました。
85年の生涯を終えた草野の自宅に、一匹の大きなガマガエルがやってきて、周囲のひとを驚かせたと言います。
書くことで自然とつながり、万物と一緒に生きている自分を感じることで苦難を乗り越えた詩人・草野心平が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
詩人・草野心平は、1903年5月12日、現在の福島県いわき市に生まれた。
5人兄弟の次男として生まれた草野は、家庭の都合で、祖父母に育てられる。
手の付けられない腕白だった。
幼少期を書いた、『噛む』という詩がある。
阿武隈山脈はなだらかだった。
だのに自分は。
よく噛んだ。
鉛筆の軸も。
鉛色の芯も。
阿武隈の天は青く。
雲は悠悠流れてゐた。
草野が生まれ育った村には、田園地帯が拡がっていた。
カエルの合唱が聴こえる。
裏の大きな椎の木からは、フクロウのほうほうという声が不気味に響いた。
小学校は、1年生から6年生を合わせても7、8人。
先生もひとりだけだった。
中学へは、10キロほどの道のりを歩いて通った。
まだ夜が明けきらないうちに歩き始める。
「こんばんは」と書かれた提灯を持つ。
雨や雪のときはロウソクが消えてしまうので、必死に傘をさすが、草野は傘が大嫌いだった。
空がさえぎられるのが我慢ならない。
長い通学路は、彼に多くのことを教えてくれた。
虫や木々のいとなみ、季節の移り変わり。
そこで感じた思いを誰かに言うことはなかった。
ただ、その頃から、カエルに話しかけた。
「おまえは、いいな、傘もささずに、濡れることが楽しそうで」
草野心平は、幼い頃、本や文学とは無縁だった。
野山をかけまわることが忙しく、本を読んでいる暇はない。
中学校への通学路に、清光堂という本屋があった。
本棚に『風は草木にささやいた』という本を見つける。
「なんだか長くて変な題だな。風は草木にささやいたりしないだろう」
中をぺらぺらめくると、空白が多い。
文字が少ししかない。
「印刷に失敗したのかな…」
それが、初めての詩集との出会いだった。
中学時代は、いたずらばかりしていた。
ラッキョウというあだ名で呼んでいた、博物の先生。
休み時間にクラスメートにいろんな昆虫を採ってきてもらい、ラッキョウ先生が壇上に立ち、授業が始まった途端、いっせいに放つ。
教室中を、蝶々やバッタやカナブンが飛び回った。
漢文の教師の授業では、机を器用に積み重ね、驚かせた。
職員室に呼ばれ、厳しく怒られても、いたずらをやめなかった。
でも、彼の心は、いっこうに晴れない。
小学6年生のときに、兄と母、中学に入ってすぐに姉を亡くした。
いずれも、肺結核だった。
3つの位牌を見ると、外でどんなに笑っていても、涙がこぼれた。
圧倒的な絶望感は、彼に安住の場を与えなかった。
カエルの詩人・草野心平は、中学で落第を経験。
4年生の2学期で、学校をやめてしまう。
死の影におびえ、病気の恐怖と闘う毎日が息苦しい。
父をたよって上京する。
父は、いわゆる変人。
生涯を通じてまともな職についたことはなく、政界のフィクサーをやったり、事業のプランメーカーだったり、樺太や台湾を渡り歩いたりしていた。
父は、築地の女将と一緒に暮らし、二人で破天荒に生きていた。
世間体やフツウの生活とは、無縁。
心平が来ても、彼らはスタイルを変えない。
最初は自由で楽かもしれないと思ったが、やがて、孤独に押しつぶされそうになる。
慶応普通部に編入したが、そこにも自分の居場所は見いだせない。
気がつくと、幼い頃に見た、3つの位牌が心に影を落とす。
何か変えなくてはいけない。何かを始めないと、自分はダメになる。
心平は、普通部に通うかわりに、外国語を習おうと決めた。
ここじゃないどこかに行ってしまえば、なんとかなるのではないか。
英語、中国語を集中して学ぶ。
やがて、中国への留学を果たした。
中国で、彼の心を揺り動かしたもの。
それは、日本から送られてきた一冊の本だった。
宮沢賢治『春と修羅』。
異国で読む賢治の世界。衝撃だった。
そこに、自分が抱えている全てがある。
すごい。
そうか、これが詩か、文学か…。
排日運動が激化して、4年後に帰国。
草野心平は、詩の世界に、ようやく自分の居場所を見つけた。
彼は、カエルの世界に、亡くしたひとたちの面影を見た。
すべてと共に生きる、そんな思いで自然を眺め、それを詩にすれば優しくなれる。
もう、孤独ではなかった。
春の日、地上に出たカエルが高らかに鳴く。
ケルルン クック。
ケルルン クック。
【ON AIR LIST】
三月の雨 / エリス・レジーナ
ア・ハン(蛙) / ジョアン・ドナート
フェアウェル / アサド兄弟
風待つ林に / 関口和之、大貫妙子
★今回の撮影は、「いわき市立草野心平記念文学館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
営業時間など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
いわき市立草野心平記念文学館 HP
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