第二百九十三話遊び心を持ち続ける
横山隆一(よこやま・りゅういち)。
日本の漫画史に名を刻む代表作『フクちゃん』は、『東京朝日新聞』東京版に連載された『江戸っ子健ちゃん』の脇役からスタートしました。
その腕白ぶりは多くのひとに愛され、主役となり、さまざまな活躍を経て、1956年、ついに全国紙『毎日新聞』で連載がスタートします。
以来、連載は15年間、5,534回にも及び、終了にあたっては、日本中に惜しむ声があふれました。
高知市にある「横山隆一記念まんが館」は、来年開館20周年を迎えます。
常設の「フクちゃん通り」では、ノスタルジックな昭和の世界にタイムスリップすることができます。
また、漫画を中心におよそ10,000冊以上が無料で閲覧できる「まんがライブラリー」も人気を博しています。
この記念館は、ただ単に漫画家・横山隆一の多岐にわたる活動の足跡を紹介するだけにとどまらず、漫画王国・高知の中心的な存在として、全国、そして世界に漫画文化を発信しているのです。
「横山隆一記念まんが館」の“まんが”という言葉が、ひらがなで表記されているのが象徴的に思えます。
横山が描く漫画は、素朴でシンプル。
戦争や災害など、有事にあっても、庶民の生活に根差した、あたたかいユーモアに包まれていました。
一方で人間が持つ哀しさや弱さを鋭く見つめ、シニカルな中にも「それでいいんだよ、そのままでいいんだよ」という視点を忘れなかったのです。
彼は自叙伝に『わが遊戯的人生』というタイトルをつけました。
遊ぶこと。
それこそが彼の人生の最大のテーマでした。
少年の心を持っていたから、遊び続けられたのか。
遊び続けたから、少年の心を持ち続けられたのか。
彼は晩年も、笑顔で語っています。
「忙しいときこそ、遊ぶ。それが最高に楽しいね」
漫画家として初の文化功労者に選ばれた、日本漫画界のレジェンド・横山隆一が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
戦前戦後の漫画界を牽引した、偉大な漫画家・横山隆一は、1909年5月17日、高知県高知市に生まれた。
実家は商家を営む。
裕福だった。
母が西郷隆盛を好きだったので、一字もらい、隆一という名になった。
父は商人だったが、店をそっちのけで、海辺に出て読書をするようなひとだった。
6人兄弟、10年ぶりに生まれた男の子。
大切にされて育つ。
ところが、小学生になる少し前、相場の大暴落で、横山家は大損害を受ける。
屋敷を売り払い、転居。
狭い庭で、毎朝、冷たい水をかぶる父の背中を覚えている。
父は、48歳で亡くなった。
天真爛漫な子どもというより、どちらかというと、ませた少年だった。
井戸端で話す大人たちに混じり、「ほうほう」とあいづちをうったり、「どうぜよ、景気はええかよ」などと話しかけたりした。
まわりの大人は驚き、「この子は将来、弁護士にでもするがいい」と言ったという。
横山が通う小学校の近くに、仲が悪い、敵対する小学校があり、喧嘩が絶えなかった。
外に出ると、他の小学校の生徒にいじめられる。怖い。
それでも、外の世界、商店街や横丁を歩いてみたい。
そう思った横山は、一計を案じた。ある同級生と親しくなる。
豆腐屋さんの息子。
当時、豆腐は庶民になくてはならないもの。
配達をする彼には、いじめっ子も手出しをしなかった。
彼と一緒なら、いじめられない。
横山は、豆腐の配達を手伝うという口実を得て、町に繰り出す。
知らない世界、ワクワクした。
通りを曲がる度に、夢の扉が開いた。
高知県出身の漫画家・横山隆一は14歳のとき、急病で父を亡くした。
番頭が、いきなり横山に用事を言いつける。
その偉そうな言い方が気に食わず、逆らうと逆に怒鳴られた。
「この家はもう、大将のものじゃないぞ!」
哀しかった。
涙を見せたくなくて、表に飛び出す。
暗い夜道で歯をくいしばって、泣いた。
毎月、伯父さんの家に、お金をもらいに行くのもつらかった。
母は42歳。子どもが6人。
我が家は親戚から、やっかいなお荷物になっていた。
伯父さんも、「隆ちゃん」と呼んでいたのに、急に「隆一」と呼び捨てにするようになった。
玄関でさんざん待たされてお金を受け取るとき、自分でも驚くくらい丁寧で、へりくだった言葉が次から次へと出た。
この姿だけは、母に見られたくない、そう思った。
「ひとはどうしてこうも、簡単に態度を変えてしまうんだろう。ひとはどうしてこんなふうに、へつらったり、偉そうにしたり、してしまうんだろう」
人間観察の眼は、屈辱的な体験の中で育まれた。
やがて、兄弟たちはバラバラに親戚に預けられる。
たったひとり、肩身の狭い思いをしながらの生活。
横山はそこで、生涯を共にすることになる、漫画と出会う。
孤独な少年の心を癒したのは、漫画を読むこと、そして、絵を画くことだった。
映画も大好きで、母からの送金を節約して、映画館に通った。
それでもお金が足りなくて、頭をしぼる。
学校の校舎の脇に、インク瓶がたくさん落ちているのを見つけた。
底のほうに、まだインクが残っている。
それを集めて、売った。
チョークに針でヌードを彫って、上級生に売ったこともあった。
ものを集め、手を動かし、お金を稼いでいると、不思議と貧乏が恥ずかしくなくなっていった。
むしろ他の誰より、毎日を遊んでいるように感じる。
「遊び心」。
日常がキラキラと光りだした。
これこそ、何かとキツイ人生を豊かにする魔法なのではないか。
彼はそう気づいた。
横山隆一は、漫画だけでなく、絵本、油絵、水墨画、さらに手作りのアニメーションなど、幅広く創作活動を行った一方、川端康成の胆石や、植村直己の足の豆など、奇妙奇天烈な蒐集家としても知られたが、その底辺にある思いは全て「遊び心」だった。
彼は自叙伝『わが遊戯的人生』をこんな言葉で締めくくっている。
「私のこれからの人生もふくめて、その作業は、いってみれば、海岸でせっせと砂でお城を作って遊んでいるようなものです。しかし、波が来て、すべてが流れ去った時、貝がらをみがいて作ったお城の瓦の一片を誰かに拾われて、捨てるのもおしいなと思われるような作品を作ることを画業にしたいと思っております」
偉大な漫画家・横山隆一は、今も私たちに問いかける。
「人生が深刻なのは、仕方がない。ならばここはひとつ、遊ぼうじゃありませんか」
【ON AIR LIST】
おんぶおばけの歌 / 前川陽子
潜水艦の台所(映画『フクちゃんの潜水艦』) / 古川ロッパ
いつも笑顔で / YO-KING
EVERYDAY IS A WINDING ROAD / Sheryl Crow
★高知市にある横山隆一記念まんが館にご協力いただきました。
http://www.kfca.jp/mangakan/
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