第二百五十一話異端を極める
秋元松代(あきもと・まつよ)。
秋元は、30歳を過ぎてから戯曲を書き始めた、いわば遅咲きとも言える作家でしたが、東北の民間信仰と戦中戦後の日本人の生き方を重ね合わせて描いた『常陸坊海尊』で芸術祭賞、田村俊子賞、和泉式部伝説と庶民の暮らしを哀しく綴った『かさぶた式部考』で毎日芸術賞、『七人みさき』では読売文学賞を、それぞれ受賞。
唯一無二の世界観と方言を駆使した香り高い芸術性で数々の賞を受けますが、彼女は、演劇界の王道には足を踏み入れませんでした。
あくまでも、異端。
「新劇の中にあって、非常に特殊な位置にいますか?」
という問いに、秋元はこう答えています。
「そうです。自分は落伍者みたいな者だと思っています。今は殆ど新劇の人たちから相手にされておりません」
彼女は、ときに「怨念の作家」だと評されます。
自身の日記に「転落の生活から燃えた怨念の詩、これが私の唄だ」と綴りました。
時代や環境に翻弄される人間の悲劇から目をそらさず、運命や業に真摯に向き合い続ける行程は、自らの心を切り刻む修羅場。
彼女は、そこから逃げるどころか、あえてそこへ飛び込んでいったのです。
誰にも似ていないやりかたで。
「書く」という、たったひとつの武器を持って。
商業演劇での執筆をあまりしていなかった彼女が、このひとならば書いてもいい、と心動いた演出家がいました。
その演出家の名前は、蜷川幸雄。
ある意味、彼もまた異端児。
秋元が書き、蜷川が演出した『近松心中物語』は、帝国劇場で上演され、大成功をおさめました。
彼女はその賞賛に浮き立つこともなく、人間をギリギリまで突き詰める作業を、生涯やめませんでした。
どんなに従来の枠組みから外れてしまっても自分の限界に挑む、孤高の完全主義者、秋元松代が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
戦後を代表する劇作家・秋元松代は、1911年1月2日、神奈川県横浜市に生まれた。
秋元家は、名家の系譜を継いでいたが、3歳のとき、父が他界。
残された母は子どもたちを抱え、途方にくれる。
あっという間に生活は困窮。
母は、昼間は和裁の内職、夜は行商をして、家計を支えた。
秋元は、病弱で神経質。
よく泣く子どもだった。
母は彼女を溺愛する一方で、精神のバランスを崩し、癇癪(かんしゃく)を起し、拒絶する。
不安定な母の心に、秋元は、幼心に思った。
「人生っていうのは、誰かが自分を守ってくれるわけではないんだ」
兄や姉も、貧しさゆえに進学できず、不満を抱え、家の中は常にピリピリとしていた。
小学4年生のときの作文にはこう書いた。
「萩の花を植えた静かな家にたった一人で住みたい」
母が愛してくれる自分は、ほんとうの自分ではない。
そんなすれ違いが、深い孤独を生んだ。
12歳のときには、自ら命を絶とうとする。
彼女を死の淵から救ったもの…それは、読書だった。
古典と現代を見事に融合した秀作で知られる劇作家・秋元松代は、心の枯渇を読書で埋めた。
小学生のとき、すでにトルストイ、ドストエフスキーを読む。
わからない場所は飛ばして、乱読。
兄の本棚から文学書のみならず、哲学書や『資本論』まで手をのばした。
そういえば…お嬢様育ちだった母は、芝居を観るのが好きだった。
幼い秋元は、よく連れていかれた。
さみしがり屋の泣き虫なので、家にひとりで置いておけなかったからだ。
秋元は、芝居が好きではなかった。
怖かった。
ひとが切られ、心中したり、裏切ってののしったり、大きな音が鳴ったり。
でも、成長するにつれ、自らの演劇体験がいかに貴重であったかを痛感する。
小学1年生で観た『にごりえ』。
ひとりの女性の哀しくも美しいさまに、心うたれた。
松井須磨子主演のトルストイ原作の『復活』では、牢獄の場面でも激しい言葉をぶつける女性の姿に感銘を受けた。
読書とは違う、五感を刺激される演劇体験は、秋元の創作の原点になった。
劇作家・秋元松代にとって戦時中の体験は、外的に押し寄せる孤独だけではなく、身近に死を感じる強烈な非現実だった。
空襲警報が鳴り響く。
東京で独り暮らしをしていた秋元は、ひとり防空壕に入る。
そのときも本を手放さない。
誰かが捨てた野菜をコンロで煮るときは、岩波の特製本『トルストイ全集』を読んでは千切り読んでは千切り、火にくべた。
体が弱り、立ち上がることができなくなっても、本を読んだ。
最も琴線に触れたのが、近松の心中もの。
死を前にした限界での心情に嘘がなかった。
トルストイ全集があらかた燃えつくした頃、終戦を迎える。
玉音放送を聴いたとき、涙が流れた。
生き延びた。
なんとか、私は生き残った。
のちの人生をどうするか…
彼女は読む側ではなく、書く側にまわることを決意する。
三好十郎が主宰した、劇作家を育てる戯曲研究会に入る。
死を前にしても揺るがない、心に訴えるものを書きたい。
自分があらためて書く以上、今までにないものを書きたい。
ジャンルや定説は、どうでもいい。
たとえ異端だと言われようとも、私は私の孤独に嘘はつかない。
【ON AIR LIST】
愛の夢 / リスト(作曲)、横山幸雄(ピアノ)
ロンリー・ワン / 美空ひばり
道行 / 寺尾紗穂
サムシング・リアル / フィービ・スノウ
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