第百八十八話旅することをやめない
古くから廻船問屋として栄え、海上交通の要としてにぎわったこの街に、ある有名な歌人が生を受けました。
若山牧水。
彼の生家の近くにある「牧水公園」では、ちょうどツツジが見ごろを迎えようとしています。
色鮮やかな、およそ3万本の圧倒的なツツジが、訪れるひとの目を楽しませてくれます。
その光景を見て「牧水ならどんな歌を詠んだだろう」と想像するのも、旅の楽しみのひとつです。
『幾山河 越えさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく』
牧水ほど、旅を好んだ歌人はいませんでした。
全国に作られた彼の歌碑は、およそ300と言われていて、その数は松尾芭蕉をも越えています。
旅は、人生。人生は、旅。
何か心に問題を抱えるたびに、あるいは詩作のヒントを得るために、彼は旅を続けました。
『けふもまた こころの鉦を うち鳴らし うち鳴らしつつ あくがれて行く』
「あくがれて行く」の「あくがれ」とは、「あこがれ」の古い言い回しで、居所を離れてさまよう、あるいは、何かに引きつけられて心を奪われるさまを表現した言葉です。
彼は26歳のとき、こう語っています。
「私は常に思って居る。人生は旅である。我らは忽然として無窮(むきゅう)より生まれ、忽然として無窮のおくに往ってしまう。その間の一歩一歩の歩みは、実にその時のみの一歩一歩で、一度往いては再びかえらない」
わずか43年の生涯で9000首あまりの歌を残した歌人、若山牧水が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
旅と酒を愛した歌人・若山牧水は、1885年、宮崎県東臼杵郡、現在の日向市に生まれた。
祖父の健海は、もともと埼玉県所沢市の生まれ。
江戸で薬問屋につとめたあと、長崎に渡り、医学を学ぶ。
江戸で知り合った友人が宮崎の出身だったことから、日向で開業した。
腕の立つ医師が来たことで村人は大歓迎。
若山医院はたちまち村のよりどころになった。
牧水の父、立蔵も、医師を目指し、大坂で学ぶ。
宮崎に戻り、祖父を手伝った。
延岡藩の士族の娘、マキと結婚。
女の子を3人授かり、切望の果てにようやく生まれた男の子が牧水だった。
村は深い渓谷にあり、美しい川が流れ、山々が四季を教えてくれる。
そんな豊かな自然と優しい母の記憶が、牧水の幼少期の感受性を育んだ。
『歯を痛み 泣けば背負ひてわが母は 峡の小川に 魚を釣りにき』
父、立蔵も、牧水を可愛がった。
父と母と3人で山に行くのが好きだった。
時間とともに風景が変わっていく。
風に葉が揺れ、陽の光がチラチラと顔をのぞかせる。
緑の香りを吸い込む。
どこかで鳥が鳴いている。
振り返ると、おむすびと酒瓶を持った母が笑っている。
18歳で号とした、牧水という名前。
牧は、母の名から、水は、ふるさとを流れる川を思い出してつけた。
若山牧水は、小学生のときから成績優秀。
父の自慢の息子だった。
担任の先生が文学好きだったことから、生徒に歌を詠ませた。
牧水の感性は、ずば抜けていた。先生も驚く。
小学校を首席で卒業。
息子によりよい学業を受けさせてやりたいと願い、父は牧水をふるさとから40キロ離れた延岡の中学に進ませた。
この中学の校長が詩歌に造詣が深く、牧水に西行や香川景樹の歌を教えた。
牧水は、学校の雑誌に短歌や散文を発表。
その完成度の高さに、校長も感動した。
進路を決めるとき、当然、父は我が息子が医者になるものと思っていた。
「お父さん、僕は医者にはならない。文学の道を極めたいんだ。お願いします。東京で本格的に文学を学ばせてください」
父は、頭から否定するわけではなかったが、反対した。
「文学で食べていけると思うのか? 冷静に考えてみなさい」
牧水は、手紙を書いた。
毎日毎日、父だけでなく、親戚や友人、まわりのひとを説得するために手紙を書いた。
親戚一同から止められる。
「おじい様から受け継いだこの病院を捨てるとは何事だ!」
牧水は、山の上にある大きな石に寝転んで、毎日毎日考えた。
ふるさとか、文学か。
やがて、なんとか許しが出て、彼は早稲田大学文学部に入った。
北原白秋に出会い、親交を深める。
東京で詩作にふける生活は刺激的で楽しかった。
ある日、一通の電報が届く。
「チチ キトク スグカエレ」
急いで宮崎に戻った若山牧水は、奥の座敷に眠る父を見た。
すっかり痩せ細った父の寝顔。
母が言った。
「なぜ、大事な跡取りを医者にもせず東京にやったって、そりゃあお父さん、親戚中から責められて責められて…。でも、おまえには言うなって。あいつは生きたいように生きればいいって」
牧水は、裏山に駆け上がった。
大きな石に寝転がる。
涙があふれた。
そこまでして、自分は文学をやりたいのか…。
医者になれば、お父さんもお母さんも幸せなのに…。
山々から牧水を責める声が聴こえてくるようだった。
それでも…。
それでも牧水は、歌を詠むことから離れられないと思った。
片手間に医者もできない、片手間に文学もできない。
「自分は、一生詠み続ける。目に見えるものを、父や母の思い出を。それが僕の生きる道だ」。
若山牧水に、休んでいる暇はなかった。
旅は、彼が彼自身を追い込む舞台だった。
ひとつとして安住できる場所をつくらない。
その哀しさ、寂しさで、歌をつくる。
それが、自分を心から愛してくれた父と母への、自分なりのけじめだった。
だから、若山牧水は生涯、旅をやめなかった。
【ON AIR LIST】
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CONFESSIN' A FEELING / Trish Toledo
DON'T LET NO ONE GET YOU DOWN / War
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