第二百十三話ひとと違うことを怖れない
坂口安吾。
彼の石碑は、新潟市中央区西船見町の、海を見下ろす砂丘に建っています。
石碑に書かれた言葉は、「ふるさとは、語ることなし」。
安吾らしい、自虐にも似た、およそ石碑にふさわしくない言葉です。
彼は、生まれたこの場所についての思い出をこんなふうに語っています。
「中学校をどうしても休んで 海の松林でひっくりかえって 空を眺めて暮さねばならなくなってから、私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった。……学校を休み、松の下の茱萸(ぐみ)の藪陰にねて 空を見ている私は、虚しく、いつも切なかった」。
彼の人生は、いわば、偉大なる落伍者のそれでした。
学校も落第、同人誌に加わっても、自分だけ日の目を見ない。
酒や薬に頼り、なんとか踏みとどまりつつ、彼が目指したのは、ひとと違う人生でした。
睡眠時間をいきなり4時間に限定したり、仏教書を読みあさり、ひたすら勉学にいそしんだり、思いつくと、実行。
周囲の反対や困惑もお構いなしでした。
そんな傍若無人なふるまいで有名になる一方で、友達と認めた相手には、とことん寄り添いました。
新潟の『安吾 風の館』では、現在、檀一雄展が開催されていますが、檀一雄との交友が安吾の情の深さを物語っています。
安吾は、檀を人一倍可愛がり、彼の才能を絶賛し、文筆活動を励まし続けました。
檀は終生、「安吾さん」と慕い、砂丘に建つ石碑の発起人にもなったのです。
安吾は、日常を笑い飛ばします。
「何を恐れているんだよ! 結局、人間は死んじまうんだから、それ以上、怖いことはないんだよ!」
48年の人生を駆け抜けた作家・坂口安吾が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
デカダンの作家・坂口安吾は、1906年10月20日、新潟市に生まれた。
実家は代々、大富豪。
「阿賀野川の水が尽きても、坂口家の富は尽きぬ」と言われた。
しかし、祖父が投機に失敗。明治以後には没落した。
それでも、父は代議士になり、大隈重信に仕えた。
政治資金のため、家計は傾いた。
父は、明治の知識人。
広い教養と進歩的な考えの持ち主だった。
漢詩もたしなみ、短歌も詠んだ。
子どもは、13人。
安吾は、その12番目だった。
安吾は、幼い頃から癇癪(かんしゃく)持ち。
姉が父兄参観に来てくれないと、殴りかかり、気に入らないおかずが食卓に並ぶと、ぶちキレた。
父が、せっかく作った模型飛行機を踏み潰したときは、つかみかかって離さなかった。
安吾が怒ると、父は、正座させ、墨をすらせた。
「おまえは、辛抱が足りん。文学を知るのがいい。文学はひとの心を知る最善の道を教えてくれる。ひとの心を知れば、おのずと、いたわりの心が芽生えるはずだ」
父は、安吾に本を与えた。
確かに、物語は、安吾にやすらぎと理性を与えた。
「いいか、安吾、人間は本来、理性的な生き物なんだ。理性に従うから、秩序が生まれる。この世で最も忌み嫌うべきは、衝動的、動物的な行動なんだ」
そのときから、安吾は父の言葉にかすかな違和感を持っていた。
『堕落論』の著者、坂口安吾は、幼い時から行動のひとだった。
頭で考えるより、体が動く。
猿飛佐助や霧隠才蔵の物語を読んでは、自分も忍術を使いたいと思い、布団を山のように重ね、そこから目をつぶり、飛び降りた。
足や腕に傷を負いながら、いつまでもやめない。
姉たちが止めに入る。
「なにやってるの! やめなさい! 大怪我するわよ!」
「あのね、お姉ちゃん、ボク、今度こそ飛べそうな気がするんだ」
「飛べるわけないじゃない!」
「そんなのわからないよ。やってみなきゃね」
ひとができないということほど、やってみたくなる。
できないと決めつけるのは、たいてい大人だ。
やる前からできないというのは、逃げじゃないか。
子ども心に、反発心を持った。
学校は、ことごとくサボった。
暇さえあれば、海辺にいく。砂浜に寝転び、空を眺めた。
「ひとと同じように勉強したって、ひとと同じになるだけだ。僕は、自分だけの人生を歩みたい」。
頭上をカモメが飛んでいく。
彼には疑問があった。
「ひとりひとり違うのに、どうして同じ教科書をみんなで読まなきゃいけないんだろう」。
問いかけても、カモメは答えてはくれなかった。
坂口安吾の父は、政治家活動に忙しい。
母は、父への不満ばかり口にして、事あるごとに安吾を叱った。
幼いながら、安吾は思った。
「お母さんが僕を叱るのは、僕のためじゃない、不満のはけ口なんだ」
ただ、祖母だけは違った。
心の底から安吾を可愛がった。
「あたしはねえ、おまえほど心の綺麗な子を知らないよ。神様のようだよ」
安吾も、祖母を慕った。
祖母の言葉だけは信じることができた。
中学を落第して、相変わらず海辺で寝転んでいても、祖母はニコニコ笑って安吾を褒めた。
「おまえは、器が大きいねえ。そうだよ、何も無理してひとに合わせる必要はない。おまえはおまえだけの人生を歩めばいいよ」
安吾は、頑張って中くらいの成績なら、いっそ最下位を選んだ。
フツウってなんだろう。それってすごいことなんだろうか。
落ちるところまで落ちれば、いろんなことが見えてくる。
いいじゃないか、落ちたって。
あとは、上がるだけなんだから。
作家・坂口安吾は、教えてくれる。
「みんな、まわりを気にしすぎだよ。いいんだよ、浮いたって。だって、ひとはみんな違うんだから。浮くのが当たりまえなんだよ」
【ON AIR LIST】
空にまいあがれ / 真心ブラザーズ
Don't Know What It Means / Puss N Boots
防波堤 / 友部正人&矢野誠
(You're So Square) Baby,I Don't Care / Joni Mitchell
【撮影協力】
安吾 風の館
https://www.city.niigata.lg.jp/kanko/bunka/yukari/kazenoyakata/
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