第三百十九話失敗という言葉を使わない
糸川英夫(いとかわ・ひでお)。
糸川の挑戦は、わずか長さ23cm、直径1.8cmのペンシルロケットの打ち上げから始まりました。
何度うまくいかなくても、彼はどこ吹く風。
集まった記者に「糸川さん、今回の失敗の原因は、どこにあると思われますか?」と訊かれると、こう答えた。
「あの、すみませんが、僕は、失敗という言葉を使いません。一生、使わないつもりです。全てが学び。明日への糧です。この世に、失敗はありません」
教え子たちには、消しゴムを使うことを禁じました。
「間違ったところを消しゴムで消すなんて、もったいない! 間違ったところにこそ、成長のヒントがあるんだよ」。
1955年に東京、国分寺で行われたペンシルロケットの打ち上げ。
当時、レーダーが完備されておらず、ロケットを打ち上げても、その行方を追うことは困難でした。
誰もが、ロケットの実験は無理だと諦めたとき、糸川は、こう言ったのです。
「天に向かって打つのがダメなら、どうかな、水平に飛ばしてみれば。そうすれば、どんなふうに飛んだか追えるんじゃないか?」
確かに、空気の抵抗や加速についての検証は、水平に飛ばしても可能です。
その発想に周りのスタッフは驚きました。
みんなが考え付くようで決して考え付かない。
そんな発想力こそ、日々の失敗が生み出した成功の賜物だったのです。
さらに糸川のイメージの源は、音楽にもたずねることができます。
60歳の時、バレエ団に入団。
チェロやヴァイオリンもたしなみ、自身の84歳の誕生日には、ついの棲み処と決めた長野県丸子町の信州国際音楽村でコンサートを企画。
亡くなる直前まで、新しいものへの挑戦をやめませんでした。
「失敗」という言葉を封印した、宇宙工学のレジェンド・糸川英夫が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる糸川英夫は、1912年7月20日、東京・西麻布に生まれた。
父は教師で、のちに高校の校長になるが、英夫は伸び伸び育つ。
近くの有栖川宮記念公園が遊び場だった。
鬱蒼(うっそう)とした森で虫をつかまえ、野山を駆け回る。
ある日、不思議な昆虫を見つけた。
じっとしていたかと思うと、いきなりお尻からジェットを吹き出し、逃げ去っていく。
それは、トンボの幼虫、ヤゴだった。
のちに、ロケット開発の最中、幼い日見たヤゴの動きを思い出したという。
4歳の糸川少年に、人生を決定づける一大事が起こる。
父に連れられて行った、青山練兵場。
アメリカのアート・スミスという飛行士が、大勢の観客が見守る中、アクロバット飛行を披露した。
プロペラ機は、何度も宙返りを繰り返す。
聞いたことのない飛行機のうなり声。
興奮した。父に肩車されながら、天に拳をつきあげる。
「お父さん! すごいね! 飛行機って、すごいね!!」
その夜、糸川は寝つけなかった。
陽の光を浴びて、銀色に光る物体。
乗りたい、飛行機に乗ってみたい。
少年の夢は、青空に放たれた。
日本宇宙工学の礎を築いた科学者・糸川英夫が、5歳の時だった。
夕闇迫る中、自宅に戻ると異変に気がつく。
家のガス灯が撤去されていた。
父は、英夫を居間にいざなう。
天井からガラス玉がぶら下がっていた。
母が声をかける、「3、2、1、それ!」
あたりがまぶしく照らされた。
その灯りは、今までとは比べ物にならないくらい明るかった。
部屋の隅々まで、くっきり見える。
いつも父は、手品をやってみせてくれた。
これも、父の手品だと思った。
でも、父は言った。
「電灯、というんだ。これからはもう、ガス灯は必要なくなるんだよ。スイッチひとつで、暗闇が消える」。
英夫は、尋ねた。
「お父さん、これ、いったい、だれがつくったの?」
「トーマス・エジソンという発明王だ」
そのときから、英夫の将来の夢は、エジソンになることになった。
科学に興味を持った彼は、さまざまな実験をしては母に叱られた。
虫眼鏡のレンズで、火を起こす。
磁石のN極とS極が反発することを知り、ものを弾き飛ばす。
学校の勉強などそっちのけで、危険な遊びばかりに明け暮れた。
小学校のテストでは、鉛筆を転がし、答えを書く。
成績はひどく、母は度々、学校に呼び出された。
しかし、母のあるひとことで、英夫の向学心に火がついた。
糸川英夫の母は、ある日、英夫少年にこんな話をした。
「あなたの隣の席の、五郎くん。耳が不自由でしょう。体も弱くてあまり学校に来ることができない。すごく勉強したいのに、学校に来られないのって、どんな気持ちかわかる? あなたが教えてあげなきゃね。五郎くんに、英夫がちゃんと教えてあげなきゃね」
英夫は、涙ぐんだ。
そうか…勉強は自分のためにやるものだと思っていた。
違うんだ。誰かのために、頑張る。
糸川英夫は、一生懸命、勉強に励むようになった。
学校から帰ると、五郎の家に一目散に駆けて行き、今日習ったことを伝えた。
ちゃぶ台で向かい合って勉強するので、字を逆さまに書く練習までした。
いつしか、英夫の成績はあがり、クラスで一番になった。
それでも驕(おご)ることはなく、五郎くんのおかげだと、生涯、感謝の気持ちを忘れなかった。
五郎くんは、何度も間違う。
字がうまく書けない。
そのたびに英夫は、逆さまから直していった。
決して自分からやめようと言わない五郎の心の強さに、教えられた。
間違ってもいい。
うまくできなくてもかまわない。
次があるから。
次、少しでもうまくなっていればいいから。
糸川英夫の心から、「失敗」という文字は消えていった。
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