第二百九十四話ないものを探し続ける
倉橋由美子(くらはし・ゆみこ)。
小説『パルタイ』で鮮烈なデビューを飾り、いきなり芥川賞候補になったのが、24歳の時。
以来45年間に及ぶ作家生活で、『暗い旅』『聖少女』というフランス文学に影響を受けた小説や、シェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』、サン=テグジュペリ『星の王子さま』の翻訳など、多くの作品を残しました。
『ぼくを探しに』の訳者あとがきに、彼女はこんな文章を書いています。
「いつまでも自分のmissing pieceを追いつづける、というよりその何かが『ない』という観念をもちつづけることが生きることのすべてであるような人間は芸術家であったり駄目な人間であったりして、とにかく特殊な人間に限られる」
何かがない。
通常、人間はその感覚をどこか別の場所に置き去り、日常生活の中に入り込まないようにしています。
でも、倉橋はその感覚を見つめることで、創作に向き合ったと言えるかもしれません。
彼女は、高校時代まで高知県で暮らしましたが、土佐人の気質をこう評しています。
「全体主義的な気分で組織とか統制とか固い結束とかを保持していくことがどちらかと言えば不得意」。
さらに、「個人主義的傾向が強い」。
倉橋自身、学生運動に身を置くこともありましたが、群れることが苦手で、作家になってからも文壇になじめませんでした。
男女についても、土佐人の特質をこんなふうに述べています。
土佐の男は「いごっそう」。
「いごっそう」の美点は、独善的であり、その善を他人に施す押しつけがましさをもっていない点にあるとし、土佐の女を表す「はちきん」を、男を男というだけで尊敬する気持ちは薄く、男のために耐え忍ぶ気などさらさらないと説明しています。
従来の純文学の中に描かれる女性像の偏りに注目し、男性の主人公の前に都合よく現れる女性を指摘しました。
いまあるものを疑い、ここにないものを探す旅。
それは茨の道だったに違いありません。
でも、困難な道を歩いたからこそ、多くの作家が彼女の足跡をたどり、励まされているのです。
唯一無二の小説家・倉橋由美子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
小説家・倉橋由美子は、1935年10月10日、高知県 土佐山田町、現在の香美市に生まれた。
同い年生まれの作家に、大江健三郎、柴田翔がいる。
倉橋の父は、歯科医。
5人兄弟の長女だった。
10歳のとき、高知市が空襲を受け、疎開。
香美郡の分校に転校する。
全校生徒20数名。
野山をめぐり、川で遊ぶ日々の中、終戦を迎えた。
野戦病院設営のため、家を離れていた父が、台風の日に戻ってきた。
そのときのことはよく覚えている。
父の不在が不安だった。
高知市にある私立土佐中学校に入学。
汽車に1時間揺られ、通学した。
車内で、本を読むのが楽しかった。
活字にふれると心が躍った。
中学では園芸部に所属し、焼け跡の中に建つ校舎の周りに花を植えた。
中学2年生の5月。
彼女の人生を作家に向かわせる最初の出来事が起きた。
遠足で大雨に遭った。
びしょ濡れになり、帰宅。
高熱が出て、しばらく下がらない。
その後、微熱が続き、9月まで学校を休むことになった。
家で床に臥す毎日。
他の生徒と違う自分を認識する。
読書だけが唯一のよりどころだった。
想像力を養い、働かせる機会を、彼女は逃さなかった。
小説家の種が、静かに、豊かな土壌に植えられた。
高知出身の小説家・倉橋由美子は、大学受験で苦労する。
不勉強がたたり、志望校に落ちた。
京都女子大学国文科に籍は置くが、予備校に通う。
どうしても医学部に入りたかった。
なぜ、医学部か。
医学部に入れば、自分の中の足りない何かをつかめそうな気がしたからなのか、それはわからない。
20歳のとき、国立、私立と、医学部を受験するが、全て失敗。
浪人は許さないと父に言われ、日本女子衛生短期大学 歯科衛生士コースに入学する。
父は、自分の歯科医院で働いてもらい、ゆくゆくは結婚して家庭に落ち着いてほしいと願った。
上京して住むことになった短大の寮は、六畳間に4人が暮らす、不自由なものだった。
歯科衛生士の国家試験に受かるが、やはり、自分の中の欠けたピースは埋まらない。
倉橋は、ふるさとに帰らず、東京に留まりたいと思い始めていた。
文学で食べていけるとは思えない。
でも、ここにいたい。ここで、足りない何かを探したい。
もしかしたら、探すということが心地よかったのかもしれない。
作家・倉橋由美子は、21歳のとき、明治大学文学部 フランス文学科を受け、合格。
歯科衛生士のアルバイトをしながら、大学に通った。
安保騒動の最中、神田、お茶の水界隈をめぐり、ジャズ喫茶や純喫茶で本を読んだ。
カフカ、カミュ、サルトル、ボードレール、ランボー。
古典や日本文学全集はとうに読破し、まだ足りないと思っていたので新しいものに飛びついた。
24歳のとき、明治大学学長賞の存在を知り、賞金目当てに、以前、思うままに書いた小説を応募。
佳作2席をとった。
ただ、内容に問題ありで、大学新聞には掲載できないと言われた。
先生に呼ばれる。
「倉橋、キミの小説はねえ、少々、風刺がききすぎるんだよ」
卒論に向き合いつつ、『パルタイ』という小説を書く。
この作品が学長賞を受賞した。
明治大学の教授が『パルタイ』を毎日新聞の文芸時評に掲載。
オリジナルな感覚、革命的なイメージを大絶賛した。
それが縁で「文学界」に転載され、芥川賞の候補にまでなる。
倉橋由美子の背中を常に押し続けたのは、己に欠けた、足りない「何か」。
大切なことは、その「何か」を得ることではなく、探し続けることである。
彼女は亡くなる直前まで書き続け、missing pieceを追いつづけた。
【ON AIR LIST】
SOMETHING'S MISSING / John Mayer
LA MADRAGUE / Brigitte Bardot
夜は千の眼を持つ / ジョン・コルトレーン
PIECE OF MY WISH / 今井美樹
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