第十三話 恩を返す
その麓に今も残る、大邸宅があります。
文化遺産に登録されている、旧雨宮邸。
大きな構えの武家門をくぐると、森のように木々がそびえています。
広い庭のその先にあるのは、雨宮御殿と呼ばれた屋敷。
その持ち主だった雨宮敬次郎は、かの大隈重信に、畏怖と尊敬を持って「天下の雨敬」と呼ばれました。
実業家にして鉄道王。
雨宮は、軽井沢の風景を変えた男として、その名を後世に残しています。
今や軽井沢の風物となった落葉松。
荒涼とした大地、火山灰と岩に覆われた荒れ野に、700万本の落葉松を植えたのが、彼でした。
家畜を育てたり、ぶどう作りを試みたり、雨宮は、軽井沢を豊かな土地にするために、心血をそそぎました。
かつて病気だった自分を優しく迎えてくれた風、空、ひとびと。
彼なりの恩返しは、かなりスケールの大きなものでした。
美しい軽井沢の風景をつくった男、雨宮敬次郎が後世の我々に伝えたい、yesとは・・・。
実業家、甲州財閥のひとり、雨宮敬次郎の墓は、軽井沢にある。
亡くなったのは、明治44年1月。享年65歳。
晩年、彼は部下たちに、こう言ったという。
「いいか、男は、三つのものに惚れなくちゃ、いかん!
妻に惚れろ!家に惚れろ!そして、仕事に惚れろ!」
身長は180cmを超え、体重は90kg近く。
体も大きかったが、やることなすこと、スケールが大きかった。
その存在感、威圧感に、まともに顔が見られない者もいたという。
ただ実際の彼は、情にあつく、誰よりも思いやる気持ちに長けていた。
生まれたのは、山梨県甲州市塩山牛奥。
名主の次男だった彼は、幼い頃から季節の行商をして、お金を稼ぐことを覚えた。
14歳の時、1両を元手に、卵の販売を試みる。
これがうまくいき、父に金を借り、今度は繭を仕入れ、生糸の商いを始める。
これも成功して、17歳のときには、すでにひと財産を築いた。
胸に刻んだ教えは、武田信玄の風林火山。
即決即断、すばやく動いた。
彼は甲州を出て、江戸に向かう。
果てしない野望は、彼を、山の向こう側に連れていった。
実業家、雨宮敬次郎は、26歳のとき、生糸の中継ぎ問屋の娘、のぶと結婚する。
安定した商い。手堅い売り買い。雨宮には何か物足りない。
「オレは、このままでいいんだろうか?」
ある夜、のぶに話した。
のぶは、箪笥の奥からお金を出して、こう言った。
「ここに100円あります。これで好きなことをおやりなさい。
あなたは、立ち止まるひとじゃない」
雨宮は、生糸の相場をはることにした。
30歳のときには、ヨーロッパに渡り、生糸不足を肌で感じ、すかさず輸出。莫大な財産を得る。
彼は常に思っていた。
「ひとと同じ発想では、ひとなみで終わる。ひとが買えば、売り、ひとが売れば、買う。いつもみんなと逆の発想をすること。リスクを恐れていては、何も生まれない」
ヨーロッパを視察して気づいたもうひとつのことがあった。
それは、鉄道による土地の活性化、社会基盤の向上。
「オレには、まだまだやらねばならぬことが山ほどある!」
青雲の志はとどまることを知らなかった。その矢先、血を吐いた。激しい吐血。肺病だった。
絶望が彼を、むしばんだ。
「オレは、ここで終わるのか・・・」
結核を癒すため、雨宮敬次郎は、熱海を訪れた。
人力車でようやくたどり着いたそのときに、
「豊かな温泉、海、温暖な気候、こんなに素晴らしい保養地に、なぜ、ひとがいない。ここに鉄道さえひけば、熱海は発展する」
商いへの想いは、留まる事を知らなかった。
のちに彼は言葉どおり、熱海に鉄道を敷いた。
やがて、雨宮は夏の軽井沢を訪れる。
そして、その風の清廉さに心うたれた。
優しい空気と、真っ青な空。軽井沢のひとたちのあったかさに言い知れぬ癒しを得た。
お金を稼いできた。でも、それだけでは男子の本懐はとげられない。
誰かのために尽くすということ。恩を返す人生であること。
「ここを開墾しよう。この地には、何かがある」
妻、のぶは、いつものように反対しなかった。
火山灰に覆われた不毛の土地を、買い占めた。
ぶどうを作り、失敗。家畜を育てようとして、挫折。
でも、雨宮は諦めなかった。
ここでやめたら、それで終わり。
でもやめなければ、成功のチャンスは残る。
キャベツの栽培は、うまくいった。そして、枯れた土地にも強い、落葉松を植えた。
風景を変えたのは、野心でも野望でもなかった。
ただひとつの想い。優しさへの恩返し。
ひとは、やれることを精一杯やるべきだ、雨宮は教えてくれる。
どんなささやかなことでもいい。
諦めず、今やれることを、やるべきだ。
そこにしか、人生のyesは、ない。
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