第百六十二話哀しみと向き合う強さ
半田市で生まれ育った童話作家・新美南吉は、名作『ごんぎつね』の中でこう書いています。
「ひがん花が赤い布のように咲きつづいている」
今年、生誕105年、没後75年を迎える新美は、矢勝川沿いを散歩するのが大好きだったといいます。
わずか30年ほどの人生で、彼は数多くの童話、童謡、詩や短歌を残しました。
特に『ごんぎつね』『狐』『手袋を買いに』のキツネ三部作は、時代を越えて、ひとの心にしみわたり、たくさんのひとに読み継がれています。
彼の作品の何がそこまで、人々を惹きつけるのでしょうか。
新美南吉は、「かなしい」という二つの漢字を組み合わせた「悲哀」を大切にしました。
彼の15歳のときの日記には、すでにその決意が書かれています。
「やはり、ストーリィには、悲哀がなくてはならない。悲哀は、愛にかわる。けれどその愛は、芸術に関係あるかどうか。よし関係はなくてもよい。俺は、悲哀、即ち愛を含めるストーリィをかこう」
彼は幼少期に、親の愛を知らずに育ちました。
だからこそ、彼が書き続けたのは、母と子の絆、そして、愛するがゆえの哀しさでした。
哀しいというのが、人生の基本である。
だからこそ、ひとはお互いをいたわり合い、助け合い、つながって生きていく。
そんなメッセージは、今の時代こそ必要なのかもしれません。
夭折(ようせつ)の童話作家・新美南吉が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
童話作家・新美南吉は、1913年、愛知県知多郡半田町、現在の半田市に生まれた。
半田は、知多半島の中でも有数の港湾都市として栄えていた。
南吉の父は、農家の三男。畳職人に弟子入りして独立した。
街道沿いの畳屋は繁盛し、嫁ももらい長男も生まれ、幸せの絶頂にあったが、生後18日で長男を亡くす。
次に生まれたのが南吉だった。
南吉が4歳のとき、今度は、母・りゑ(りえ)が29歳の若さでこの世を去る。
父はほどなくして再婚し、子どもが生まれると、南吉をりゑの実家に預けてしまう。
こうして南吉は、父と母の愛を知らぬまま、幼少期を過ごした。
まわりの子どもが母に甘える姿を見る。父と連れ添う姿を見る。
さみしかった。哀しかった。
自分にはなぜ親がいないのか。
癇癪をおこして、祖母や叔父を困らせる。
でも、泣きわめいても、すねても、状況は変わらない。
南吉に手を焼いた祖母は、父のもとに南吉を返すが、ひとりぼっちだった哀しさは、生涯、彼の心から去ることはなかった。
母が恋しかった。母の残像を探した。
でも、それを紡ぐ思い出すら、残っていなかった。
彼は、小学3年のときの作文「冬が来た」にこんな一文を書いた。
「桜の木も寒かろう。寒い風に吹かれながら、ぼんやりと立っています」
童話作家・新美南吉は、線の細い病弱な子どもだった。
クラスの誰ともなじめない。
声も小さく、存在感が脆弱だった。
ただ、作文だけは、先生も驚くほどうまかった。
母の実家で叔父の講談本を隠れて読んでいた。語彙の多さ、感受性は、群を抜いていた。
担任は言った。
「面白く、先生は読みました。この分でいけば、小説家ですよ」
南吉自身も、自分の才能に気づき始めていた。
「物語は裏切らない。ボクがつらいと思っていることを書けば、読んだひともつらいとわかってくれる。小さいとき、さみしいといくら泣き叫んでも、大人は誰もわかってくれなかったのに…」
小学校の卒業式では、答辞を読んだ。
自分で書いた文章。場内は涙で包まれた。
成績はトップだったが、父は息子を中学に進学させるつもりはなかった。
担任の男の先生が畳屋に出向いて説得する。
「南吉君は、ぜったい進学させるべきです」
父は首を縦に振らない。
その頃、家は貧しく、継母は南吉にびた一文払うつもりはなかった。
でも、先生は何度も何度も通った。
「彼の将来を、閉じないでやってください!」
ようやく、父も折れた。
条件は、将来、学校の先生になること。
南吉は、中学を出ると、代用教員をしながら創作に励んだ。
やがて雑誌『赤い鳥』に童謡『窓』が掲載され、彼の作家人生が始まった。
新美南吉は、旺盛な創作欲で、童謡、童話を書き続けた。
でも、病魔が彼を襲う。
激しくせき込むと、白いハンカチに鮮血が散った。
彼岸花にも似た真っ赤な血。
結核だった。
当時は不治の病。絶望の中、彼は言葉を紡いだ。
テーマは、哀しみ、そして愛。
『狐』という童話では、こんな親子が描かれる。
祭りの夜、幼い文六という男の子は、家が貧しくて、お母さんの下駄をはいて出かける。
仲間の子どもたちは、歩きづらそうにしている文六をみかねて、下駄屋で新しい下駄を買うよう勧める。
「お金はあとでいい」という下駄屋のおかみさん。
ところがそこへ老婆が現れ、「夜、新しい下駄をおろすと、キツネに憑りつかれてしまうよ」と脅かされてしまう。
みんなで歩いていると、文六の様子が変だと言われ…。
結局、何事もなく終わるが、文六は家に帰ると母に言った。
「もし、ボクがほんとうに狐に憑りつかれたら、どうする?」
すると、母は言う。
「私とお父さんも、夜、下駄をおろして、一緒に狐になるよ」
「でも、村のひとから鉄砲で撃たれるよ」
と文六が言うと、
「じゃあ、お母さんが足を引きずるふりをして、おとりになり、お父さんとおまえを逃がすよ」
「そんなのやだ!」
文六は泣きわめく。
それが、南吉が過ごしたかった幼少期。見たかった景色。
人生のどうにもならぬ哀しみに、血を吐きながら彼は向き合い、愛に昇華した。
新美南吉は、母と同じ、29歳でこの世を去った。
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I Wanna Be Where You Are / Jose Feliciano
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