第百七十三話運命を味方につける
スティーブン・ホーキング博士。
一般相対性理論をさらに推し進め、宇宙とブラックホールの関係について、あるいは宇宙論から哲学に至るまで、学者のみならず、多くのひとに影響を与え続けました。
21歳で筋萎縮性側索硬化症、いわゆるALSを発症し、医師に余命は2年と宣告を受けましたが、それからおよそ55年間、精力的に科学者としての本分を全うしました。
彼は、あるインタビューでこんなふうに答えています。
「何かあったら、次の3つのことを思い出してください。
何か辛いことがあったら、まず星を見上げて、自分の足もとを見ないようにすること。
そして2番目に、仕事をあきらめないこと。仕事は、大切です。仕事はあなたに意義と生きる目的を与えてくれます。それがないと、人生は空っぽになってしまうんです。
最後、3番目はこうです。運よく愛を見つけられたなら、簡単に投げ捨てたりしないこと」
まさしく彼の人生は、その3つのことで成り立っていました。
理不尽な病にも、遥かかなたの星を見るように、希望を失わず、宇宙という果てしない課題に、一生の仕事として真摯に取り組みました。
病を発症したときに、ジェーンという女性に巡り合い、結婚したことで、愛について学んだと言います。
2014年、二人の関係は『博士と彼女のセオリー』という映画になりました。
彼自身の生き方は、彼が考えた人生の流儀をそのまま体現しているかのようです。
ホーキング博士は親日家としても知られ、六度の来日を果たし、東大の安田講堂で講演を行いました。
彼は、学生たちに呼びかけました。
「宇宙は、謎があるから面白い。なかなか結論にたどり着かないことを、どうか、面白がってください」
天才科学者・スティーブン・ホーキングが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
車椅子の物理学者・スティーブン・ホーキングは、奇しくも、ガリレオ・ガリレイの没後300年の当日にあたる1942年1月8日、イギリス・オックスフォードに生まれた。
父は熱帯医学を学ぶ、医師。母の実家は病院だった。
最初の記憶は、保育園。
泣き叫んだ。
知らないひとの中に放り出されることが、ひたすら怖い。
あまりの異常な泣き方に、両親はホーキングを連れ帰るしかなかった。
ホーキングが育った町は、科学畑の研究者や大学関係の教授たちが多く暮らすところ。
保育園も小学校も先進的で、詰込み主義の教育ではなかった。
学校に行っても、何も教えてくれない。
ホーキングは、8歳になっても満足に読み書きができなかった。
時は戦時中。
同じ並びの数軒先に、ロケット弾が落ちたこともあった。
だが子どもにとっては、遊び場があればいい。
ホーキングは焼け跡で友達と走り回った。
幼い彼が最初に夢中になったのは、模型機関車。
それも、木でできたフェイクではなく、自力で走るもの。
ゼンマイ仕掛けを手に入れるが、ちゃんと走らない。
どうしても電動機関車が欲しくなる。
親戚から誕生日や洗礼式にもらったお金を、両親は郵便貯金にしていた。
それを黙って、下ろしてしまう。
ワクワクして家に持ち帰る。
走らせてみて、ガッカリした。
思うような速度で走ってくれない。
仕方なく、自分で新しくモーターを買ってくる。
改良に改良を重ね、試験運転を何度しても、結局ダメだった。
彼は子ども心に、悟った。
「ひとから与えられるもので、満足できるひとと、できないひとがいる。ボクは、できれば全部、自分でつくりたい!」
ホーキング博士は、幼い頃、模型機関車にはまった。
その次は、模型の飛行機、そして船。
手先は器用ではなかったが、こだわりだしたら自分をとめられなかった。
彼が望んだのは、「自分の意のままに動かせるもの」。
そのためには、仕組みを知ることが必要だった。
なぜ走るのか、どうして飛ぶのか、いかにして浮くのか。
物事には全て、原理があるはずだ。
それを手に入れれば、宇宙は、自分の手のひらの中にある。
グルグル線路を回る電気機関車を見ながら、彼は、科学に目覚めていった。
イギリスの学校は、はっきりした階層に分かれていた。
父はホーキングを、パブリック・スクールの名門、ウェストミンスター校に行かせようとした。
父自身、満足な中等教育を受けなかったので、後に苦労したことを悔んでいた。
ただ、家は決して裕福ではなかった。
奨学金を得るための資格審査の日。
ホーキングは体調を崩してしまう。
結果、ウェストミンスターに入ることはできなかったが、そんなことは関係なかった。
ホーキングは思っていた。
「要は、どこの学校を出たかではなく、そこで何をするかだ」。
運命を味方につけること。
それは、その場にいることを嘆くのではなく、その場で何ができるかを考えることだ。
学校では決して優秀ではなかった。
学習態度も決してよくはなく、ミミズがはったような字を書いて、教師を困らせた。
でも、ひとつのことに徹底的にこだわる彼をクラスメートはいつしか、こう呼ぶようになった。
「アインシュタイン」。
ホーキング博士が、オックスフォード大学からケンブリッジの大学院に行こうとする頃、体に異変を感じた。
思うように動かない。
あるとき、階段から落ちた。
医者は、笑ってこう言った。
「ビールを少し、控えるんだな」
しかし、精密検査をして、不治の病であることがわかった。
深い絶望感。
そして苛立ち。
「なんでよりによって、ボクなんだ? やりたいこと、やらなくちゃいけないことがたくさんあるのに」
人生の理不尽さに打ちのめされる。
検査入院しているときに、向かいのベッドにいる少年が、白血病で亡くなった。
彼は、いつも優しく微笑みかけてくれていた。
天使のような、少年。
この世には、自分より不遇なひとはたくさんいる。
今、おかれている環境を嘆く前に、まず、いまやれることをやろう。
そう思った。
気持ちがくじけそうになると、いつも、向かいのベッドにいた少年の笑顔を思い出した。
一般相対性理論と、宇宙論。
研究はその2つにしぼる。
余命を告げられたがために、人生に無駄がなくなった。
全て、いとおしい。
全て、自分の生きる意味につながった。
運命の原理を知った。
そう、それは、いつも自分次第。
宇宙も自分の人生も、あると思えば全て手のひらの中にある。
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