第六十二話想像力という力
国内はもとより、海外からの観光客が時期を問わず訪れ、その中心である金沢駅は、アメリカの旅行雑誌で「世界で最も美しい駅」に選ばれました。
江戸時代、加賀百万石として栄えた伝統と、現代に通じる文化的なモダニズムが融和した街並みは、懐かしさと新しさが共存しています。
そして、日本海、いくつもの流麗な川、緑豊かな山々、金沢をとりまく自然も、魅力のひとつです。
この地に生まれ、この地の風土をこよなく愛した作家がいます。
浪漫主義の文豪、泉鏡花。
彼の作品には、多くの頻度で川が登場します。
その水は妖怪や魔界との接点であり、人間を清めるもの。
彼が幼少の頃から慣れ親しんだ浅野川の風景と無縁ではありません。
かつての花街・主計茶屋街(かずえちゃやがい)に向かう暗くて狭い石段の坂は、その名のとおり「暗がり坂」と呼ばれ、当時の旦那衆は、遊びに行く際、ひと目を避けられるこの道を好んで通ったそうです。
泉鏡花は、この坂を通り、小学校に通っていました。
鬱蒼(うっそう)とした木々に覆われた暗い道。
そこに彼は何を見たのでしょうか?
この世とあの世の境界線。
異形のものがたたずむ息遣い。
幼い頃から小説を読むことが好きだった彼には、物語の入り口だったに違いありません。
金沢に生まれ、金沢の土地の妖気をまとった作家・泉鏡花が、「暗がりの坂」の向こうに見つけた、人生のyes!とは?
作家・泉鏡花は、1873年11月4日に、石川県金沢市に生まれた。本名は、鏡太郎。
父は代々加賀藩に仕えた系譜の、腕の立つ彫金師。
母 すずは、やはり加賀藩専属の能楽師の家系だった。
父は、彫金で迷子札を作り「鏡太郎」と彫った。
この迷子札を鏡花は、終世大切にした。
幼い鏡花は、母が持っていた草双紙(くさぞうし)に興味を示した。
草双紙とは、江戸時代中期に流行った絵が入った娯楽本。
そこには雪女に代表されるような怪談から色恋、人情噺まで、エンターテインメントな読み物が詰まっていた。
鏡花は、いつも母のそばにいた。
長く寒い夜、母が語る物語を聴くのが好きだった。
彼の頭の中には空想や妄想が拡がり、やがて、街を歩き路地の角を曲がると、その先に登場人物たちが待っているような気持ちになった。
小学校に入るとさらに読書熱は高まり、『三国志』にのめりこんだ。
「お母さん、ボクもいつか、こんな物語を書いてみたいよ」
彼がそう言うと、母すずは言った。
「おまえはほんとうに本が好きなんだねえ。おまえなら、きっと物語が書けるようになるよ」
しかし、鏡花10歳の冬、母は病のため、亡くなった。
父と詣でた行善寺の摩耶夫人像(まやぶにんぞう)を見て、鏡花は思った。
「お母さんにそっくりだ」
以来、彼はこの摩耶夫人像を母と思い、度々寺を訪れ、さみしさを心の奥底に沈めていった。
「この世は理不尽で容赦ない。ならば、何で立ち向かおうか。ボクには想像力しかない。自分の傍らにはまだ母がいる、そう思う心の持ちようで、ボクは生きるしかない」
泉鏡花は、いつしか小説を書きたいと思うようになった。
それを決定づけたのが、尾崎紅葉との出会いだった。
友人の家の二階で、何気なく手にした『二人比丘尼色懺悔(ににんびくにいろざんげ)』。
二人の若い尼が出家した理由をそれぞれ話し合う。
実は二人とも同じ若者を愛していたことがわかる。そんな筋だった。
面白かった。最後までワクワクした。
これだ、こういう物語が書きたいんだ、鏡花は思った。
尾崎に手紙を書く。返事はない。
いてもたってもいられず、何のあてもなく、上京することを決める。
泉鏡花、16歳のときだった。
世間は甘くなかった。
結局、麻布、神田、浅草、鎌倉と1年あまり放浪する。
夜寝る場所がないときもあった。
いよいよ金沢に帰らざるをえないと見切りをつけ、最後にイチかバチか、尾崎先生を訪ねよう、そう思った。
「尾崎先生、ボクを弟子にしてください!」
尾崎は鏡花が持っていた原稿を読み、こう言った。
「玄関わきに小部屋がある、そこなら置いてやってもいい。それから、今日からおまえの名前は鏡花だ、泉鏡花。いいな」
こうして泉鏡花が誕生し、彼は小説の、いや人生の師匠を得た。
初志貫徹。強い思いこそ、ひとを動かし、自分を高みに押し上げる。
泉鏡花は、尾崎紅葉宅の玄関番をしたり、原稿の整理や時には口述筆記をして、信頼を得た。
紅葉も鏡花を可愛がった。やがて鏡花の小説が京都の『日出新聞(ひのでしんぶん)』に連載が決まった。
だが、連載は不評だった。落ち込む鏡花に紅葉は言った。
「そう、しょげるな。ひとはみんな言いたいことをいいやがる。存外、悪くないぞ、おまえの小説」。
この当時、金沢に大火が起こり、実家は全焼、すぐあとに鏡花の父も亡くなった。
失意の鏡花に、紅葉は小石川に部屋を与え、小説を書くことを続けさせた。
「なんだって先生はそこまでボクのことを想ってくださるんですか?」
「それは簡単なことだ。おまえが小説に見込まれた男だからだ」
尾崎紅葉は亡くなる最期まで、鏡花を案じた。
「泉、文学に専念しろよ」
紅葉は、37歳の生涯を閉じた。亡くなってから知った。
初めての連載を口利きしてくれたのも、先生だった。
連載が不評で打ち切りの話が出たとき、新聞社に頭を下げに行き、
「きっと面白くなりますから、もう少し続けさせてやってください」
と言ってくれたのも先生だった。
鏡花は弔辞を読んだ。
同じ弟子の徳田秋声が、酒に酔い、
「先生は甘いお菓子が大好きで、お菓子ばっかり食べたせいで胃をやられたんだ」
と笑うと、鏡花は火鉢を飛び越えて、秋声を殴った。
「先生を悪く言うやつは、オレが許さん!」
幼い頃、金沢という地で培った想像力という羽が、母の死で存在を増し、やがて泉鏡花にとって生きるために不可欠なものになった。
それを認めてくれた師匠。それを励ましてくれた先生。
ひとには、誰にもそなわっている。
この世の理不尽に勝つ道具。不条理に対峙する力。
泉鏡花の物語は、大事なひとを亡くす痛みを受け止める、覚悟がある。
【ON AIR LIST】
The Sound Of Silence / Simon & Garfunkel
Just My Imagination / The Temptations
Man In The Mirror / Michael Jackson
Imagine / John Lennon
閉じる