第五十六話構想力を持つということ
開催にあたり、いくつかの競技場が作られました。
大会終了後、国際オリンピック委員会が、特別功労者として表彰した建築家がいました。
丹下健三。「世界の丹下」と呼ばれた、日本人として最初に世界にその名を轟かせた建築家。
彼がつくったオリンピックプールの評判は絶大で、アメリカ選手は、「将来、私の骨を飛び込み台の根元に埋めてほしい!」と言わしめたほどでした。
彼こそ、終戦の焼け野原から、高度経済成長期まで、数多くの国家プロジェクトにかかわり、今もなお、東京をはじめとする日本の景観を作った第一人者です。
1964年の代々木第一体育館や1991年の東京都庁第一本庁舎は、その存在感を多くのひとが記憶に留めていることでしょう。
彼は、こんな言葉を残しています。
「建築家はその構想力によって、民衆を把握していくことが出来る。-構想力のない建築家は、いくら民衆、民衆といっても、民衆を発展的につかむことは出来ない」。
丹下健三が言う、構想力。それは、あらゆる条件を飲み込んだ上で、それでも自らの美、理想のために最良のものを生み出す力。
そこに暮らし、集う人間の心に寄り添う力こそが、建築と都市を融合させる。
構想力の判断基準は、美しさでした。
彼の名言がそれを象徴しています。
「美しきもののみ、機能的である」。
20世紀建築の巨匠、ル・コルビュジエの影響を受けつつも彼を越え、自らの世界観を打ち出した建築家・丹下健三がつかんだ人生のyesとは?
建築家・丹下健三は、1913年大阪に生まれた。
銀行員だった父の転勤で幼くして上海に暮らす。愛媛県今治で中学時代を過ごし、旧制広島高校、現在の広島大学に進学する。
学校の図書館での運命的な出会いがあった。
外国の建築雑誌に心打たれた。そこに掲載されていた写真。それはル・コルビュジエの設計した建築物だった。
「これは…いったいなんだ!?」
シンプルで機能的、なにより、心をわしづかみにされるほど、美しい。
自分の道を建築家に定める。
しかし、東京帝国大学建築科の試験に、二度、落ちる。
東北帝国大学に欠員があると聞き、受験するがこれも失敗。
失意のうちに、日本大学芸術学部映画学科に籍を置く。
プルーストやドストエフスキーの小説を読み、美術や音楽について友人と語り合った。
この時期、芸術に触れた体験が彼にとっては、大きな財産になる。
1935年、22歳のときに、ようやく東京帝国大学建築科に入学。たちまち頭角を現した。
丹下には、あふれる思いがあった。やりたかったことがようやく学べる嬉しさが、彼を導いた。
在学中に名誉ある賞をもらい、モダニズム建築の旗手、前川國男建築事務所に入る。
そこで初代岸記念体育会館の設計にたずさわった。
「これだ、これこそ、オレがやりたかったことだ!」
彼には見えた。建築と都市の融合。
美しい建築が街をつくっていくという祈りにも似た願い。
遠回りは人間に、集中力と想像力を与えてくれる。
建築家・丹下健三は、広島平和記念公園のコンペに、万感の思いでのぞんだ。
広島は、自分がコルビュジエと出会った場所だ。
薄暗い図書館の片隅で見つけた建築雑誌。コルビュジエのソビエト・パレス計画案を知り、建築家を志した。
父、危篤の知らせを受けて、東京から実家に戻るその途中で、広島への原爆投下があった。焼け野原となった地平を見つめる。
父はすでに他界しており、同じ日にあった今治の空襲で母も失った。
残留放射能の怖れのある中、丹下は志願して、広島に入り、都市計画のために奔走した。
その成果もあり、広島市主催の広島平和記念公園のコンペに一位入選を果たした。
彼の設計案は、他の人と違っていた。
公園内だけの計画案ではなく、広島市を東西に結ぶ平和大通りを視野に入れたスケールの大きなものだった。
さらに廃墟としての位置づけしか与えられていなかった原爆ドームをシンボリックなものとして中心にすえた。
彼は信じていた。全体、そして未来を見極める構想力。それこそが都市を、人間を再生する。
建築家、丹下健三は、いった。
「平和は訪れて来るものではなく、闘いとらねばならないものである。この広島の平和を記念するための施設も与えられるものではなく、 人々が実践的に創り出してゆくものである。観念的に記念するものではなく、平和を創り出すという建設的な意味をもつものでなければならない」
実践的であること。それこそが、彼の規範だった。
建築とは、人間の尺度で測られるもの。
椅子の高さ、天井の高さ。ひとりの人間の座った姿、立った姿からあらゆる場面を想像するのが定説だった。
しかし、丹下はそこに、群衆というワードを投げかけた。
人は群れて動き、群れてたたずむ。都市には、群衆の尺度が必要ではないか。
それはある意味、神の尺度だった。
彼は、古代ローマ遺跡を見学したとき、そこに神の尺度を発見する。「自分は、間違っていない」。そう確信した。
大きなスケールでとらえる、動き、密度、配置。それらを構想すること。そこに新しい都市の姿が浮かびあがる。
そして、群衆の心に寄り添ったとき、デザインは美しくなる。機能性が美と一致する。
もっと広く、もっともっと広く、全体を構想してみること。そうすれば、見えてくる美しさがある。
なぜひとは、些末な部分にしか、価値を見出せないのだろう。
大事なのは、街だ、国だ、世界だ。
大きなスケールの構想力こそが、平和をよびこむ。
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