第百十話負けず嫌いという才覚
将棋を指す子どもたちの真剣な表情。
盤をのぞき込む大人たちの優しい眼差し。
中学生、藤井聡太四段の活躍は将棋界の追い風になり、将棋を習う子どもたちも増えたと言われています。
今から130年以上前に、将棋の虜になった少年がいました。
反骨の棋士、坂田三吉。
彼は貧しさの中から、天賦の才と努力により大阪将棋界の英雄になりました。
その破天荒で、エピソードに事欠かない戦い方や生涯は歌や戯曲になり、今もひとびとの記憶に残り続けています。
通天閣の足元、新世界・演芸劇場の入り口近くにある、王将の駒を模した石碑。
坂田三吉をたたえる碑には、こんな文言が刻まれています。
「王将・坂田三吉は、明治三年六月堺市に生まれる。幼少より将棋一筋に見きわめ恵まれた天分と努力は世の人をして鬼才といわしむ。性温厚にして妻小春と共に相扶け貧困とすべての逆境を克服する。昭和二十一年七月(七十七才)大阪市東住吉区に没す。同三十年十月生前の偉業をたたえられて日本将棋連盟より棋道最高の名人位、王将位を追贈される」
貧しかった若き日の坂田三吉にとって将棋は、生きる術。
賞金稼ぎの道具に近いものでした。
でも、あるときを境に、勝負師からプロの棋士に生まれ変わったのです。
そのきっかけは、後の永遠のライバル、関根金次郎に負けたことでした。
そのときの悔しさ、情けなさが、彼を一人前にしました。
将棋界伝説の男、坂田三吉が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
なにわの将棋名人、坂田三吉は、1870年、和泉国大鳥郡舳松村、現在の大阪府堺市で生まれた。
父は下駄の表側をつくる仕事をしていた。
竹の皮を割り、さらして白くしたものを下駄や草履の表面に貼る。
訪問先の民家の軒先で仕事をする「直し」が主な収入源だった。
当時の言葉にこういうのがあった。
「直し殺すにゃ刃物はいらん。雨の三日も降ればいい」。
軒先で直すので、雨が降ると仕事ができない。
天候に左右され、家はいつも貧しかった。
三吉は、尋常小学校に入るが、学校が嫌で嫌で仕方ない。
特に読み書きが大嫌いだった。半年通ったが、限界。
いきなり家に帰ってきて、粗末な紙に同じ言葉を書きなぐった。
そこには、たった二文字。「かき」とあった。
隣の家の庭になっている柿が欲しくて欲しくてたまらない気持ちを表現した。
親から「ひとのもんを盗んだら、あかん」と言われていた。
半年学校に通って覚えた字が、それだけだというと、親は呆れた。
本人にやる気がないなら、無理に行かせてもどうしようもない。
こうして坂田三吉は、学校に行くのをやめることができたが、字が読めないというハンデを背負うことになる。
三吉の負けず嫌いは、このころからだった。
体は小さいけれど、我が強い。
竹馬が得意で、近所の誰よりも高い竹馬に乗らないと気がすまなかった。
どんどん高くしていった竹馬は、やがて屋根に立てかけ、2階からでないと乗ることができないほどになっていた。
得意気に歩く。
あるとき、幼い子どもが竹馬にしがみつき、動けない。落下して大けがをした。
それでも彼は、得意なことで負けるのを最も嫌がった。
負けたときの悔しさをすぐに忘れられるひともいる。
でも三吉は、その悔しさこそを糧に生きる性格だった。
坂田三吉は、草履を編む仕事を手伝いながら、裏長屋で行われる縁台将棋に興味を示した。
将棋の駒の字はわからない。でも、形と動き方で覚える。
特に桂馬の動きが好きだった。
以来、「馬」という字だけ覚え、生涯、扇子や色紙には「馬」と書いた。
将棋はいい。年齢や収入に関係なく、強いものが勝ち、弱いものが負ける。
見ているうちに、自分だったらこうするのに、なんであんな動かし方をするんだろうともどかしくなる。
形勢が不利なほうに味方して、アドバイス。一気に逆転させた。
負けた大人から「そこの子ども、あっち行き!」と追い払われるほどになった。
十二歳になる頃には、大人が歯が立たないほど、上達した。
あまりに将棋に夢中になるので、心配した両親はまっとうな草履職人にするべく、奉公に行かせた。
しかし、奉公先の幼子をおぶったまま、街頭の将棋見物。
「おっちゃん、あかんあかん、そんなとこ指したら、あかん。ああ、下手やなあ、見てられへん」
などと夢中になるうちに、縁台に置いた赤子が地面に落ちて、大泣き。
奉公先の知るところとなって解雇された。
三吉が十六のとき、父が亡くなり、一家の家計は長男である三吉の肩にのしかかる。
彼は、草履職人ではなく、賭け将棋で生計を立てる道を選んだ。
相手を見つけ、掛け金を申し出る。負けなかった。強かった。
そのうち、「賞金稼ぎの堺の三吉」と呼ばれ、相手がいなくなってしまった。
そんな彼の前に、永遠のライバルが現れることになるとは、三吉自身、思いもよらなかったに違いない。
坂田三吉が、二十半ばの頃だった。
東京の将棋指しが、関西方面をまわって修行しているらしいと聞いた。
その青年と、堺の料亭「一力」で対峙する機会がやってきた。
色白の綺麗な顔立ち。青年は、名前を名乗らなかった。
三番勝負。三吉は、まるで歯が立たなかった。
なんとか一番だけものにしたが、それは青年が角を落として戦ってくれたからだった。
完敗どころか、屈辱を感じた。
悔しい。心底、悔しい。
あまりの悔しさに熱を出し、数日、寝込んだ。
その青年こそ、のちの十三世名人の関根金次郎だった。
坂田三吉は、変わった。先人の戦い方を学ぶ。
頭をたれ、教えを乞うた。
賞金稼ぎの勝負師が、品格ある棋士に生まれ変わった。
坂田三吉は、のちに弟子に語った。
「気持ちを入れて、自分を磨きなさい。何事も、魂を入れてやらんといかん。そして、高いところを目指しなさい」。
無頼で粗野なイメージは、後に描かれたフィクションの世界での話。
実際の三吉は、純粋で素直なひとだった。
ただ、好きなことを究めるために、一生を使った。
彼は、未練も執着もないように、己の負けず嫌いを全うして、この世を去った。
「悔しさを忘れたら、あかん。人間をいちばん、成長させるんは、負けたときの悔しさや」。
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笑えれば / ウルフルズ
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