第二百七十二話自由を手放さない
ふるさと鳥取県を活動の拠点とした、写真界のレジェンド、植田正治(うえだ・しょうじ)。
福山雅治のシングル『HELLO』のジャケット写真を撮影。
以来、植田の写真に感動した福山は、カメラの師匠として植田を慕い続けました。
鳥取県西伯郡伯耆町にある植田正治写真美術館を訪れると、彼の足跡がわかります。
コンクリート打ちっぱなしの美術館は、自然豊かな大山山麓にあり、建築家・高松伸の設計による館内からは、水面に映る“逆さ大山”が楽しめます。
植田の独特な写真は「植田調」と言われ、今でもフランスでは、アルファベットでUEDA-CHOとして写真家の間でリスペクトされています。
植田は、砂丘を愛しました。
「砂丘は、巨大なホリゾントである」という言葉どおり、海のそばの砂丘にさまざまなひとを配し、写真におさめたのです。
彼にとって、鳥取県の境港で生まれたことは、重要でした。
日本海側で最大の水産都市。
江戸時代は、千石船が行き来して、日本中の物資や文化が集まった場所。
写真がまだ日本で珍しかった頃に、港には、真新しいカメラが陳列されていました。
植田は19歳の若さで、この街に写真館を開くのです。
以来、70年間近く、彼は世界的に名を馳せても鳥取に残り、「写真屋のおじちゃん」として街の人々に愛され続けたのです。
えらそうにせず、撮りかたを聞かれれば、子どもだろうが老人だろうが懇切丁寧に教え、いつもカメラが大好きだった少年の心を忘れませんでした。
彼が最も大切にしたのは、プロ、アマチュアなど関係なく、自由に写真を撮る、ということだったのです。
鳥取が生んだ伝説の写真家・植田正治が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
今も世界にその名を刻む写真家・植田正治は、1913年、大正2年に、鳥取県西伯郡境町、現在の境港市に生まれた。
父は、履物を作り販売する店を営んでいた。
兄と妹がいたが、早くに他界。
ひとり息子のように育ったが、ともに成長することのできなかった兄と妹は、植田の心にしっかりと生き続けた。
小学校では、算数は苦手だったが、国語と図画工作が得意。
クレヨンをいつも持ち歩き、暇を見つけては絵を画いた。
10歳のとき、衝撃的な出会いがあった。
斜め向かいに住んでいる青年が、座敷に暗室を作っていた。
見学させてもらう。
電球にまかれる赤い布。
怪しい雰囲気の中、写真を焼き付ける。
何もない紙に、ふわっと人間の顔が浮かび上がってきた。
驚いた、魔法のようだと思った。
「これが写真だよ」
青年の優しい声が、耳に残った。
いま自分が見たものを、この世に残すことができる。
モノクロの風景に自分の好きな陰影をつけて。
写真の魔力に少年の心は、ふるえた。
写真の魅力にとりつかれた植田正治は、中学に入ると、さらに夢中になった。
授業中、カメラ雑誌を読んでいて、先生に怒られる。
家でも、台所の押し入れの中を暗室に見たて、現像。
父にひどく叱られた。
「写真は、道楽だ! そんなものにかまけてどうする!」
それでも、一日の大半を写真のことだけ考えて過ごした。
あまりの熱意に、父が折れた。
父が示したとおりの成績をおさめたので、カメラを買ってもらう。
うれしくてうれしくて、片時もカメラを離さなかった。
寝るときも、手をのばせば触れられるところに置いた。
被写体には困らない。
路地裏の猫、港で働く男たち、駄菓子屋の看板…。
写真の構図は、絵を画くことに似ていた。
ひとり息子だった植田にとって、職業として写真家になるという選択はなく、跡継ぎになるというレールを外れるわけにはいかない。
鳥取にいながら、カメラ雑誌の懸賞に応募。
18歳のとき、「浜の少年」で初入選を果たした。
フランスに新しい写真芸術の波が来ていることを知り、ワクワクする。
前衛的な写真。
そこには、なんでもありの自由な風が吹いていた。
ただ、自分はここにいるしかない。
今、ここでやれることはなんだろう…。
なんでもありだからこそ、何か原点になる場所がほしい。
植田は、砂丘に立った。
空と海と砂だけの世界。
「ここを自分のスタジオと考えよう」
そのとき、写真家・植田正治が誕生した。
世界的な写真家・植田正治は、19歳で地元・境港に写真館を開く。
七五三、入学や卒業式、お見合い写真や結婚の記念、さまざまなポートレートを撮りながら、時間があれば砂丘に出かけた。
興味を持った被写体は、子ども。
でも、そこに日常性や生活感、彼等の環境を映し出す気はない。
あくまで重要なのは、ただの被写体としての子どもだった。
植田は思っていた。
「僕は、汚いものは撮らない。可哀そうなものは撮れない」
対象を肯定すること。
泣きべそをかいた男の子を撮っても、構図がスタイリッシュでクール。
感情移入が目的ではなかった。
リアリズムの湿った空気感を排するには、砂丘というシンプルな舞台がちょうどいい。
灰色の空と、灰色の砂。
ここに立ってもらうと、被写体は素になった。
引き算の果てのモノクロ写真は、見るひとに不思議な想像力を与えた。
「ひとは、シンプルに削ぎ落された場所でこそ、最も自由になれる」
植田正治は、写真を撮り続けた。
鳥取の砂丘は、そんな彼を見守り続けた。
【ON AIR LIST】
HELLO / 福山雅治
KAMERA / Wilco
自由を求めて / Chris Rea
3びきのくま / 大貫妙子、坂本龍一
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