第三百二十三話変化の中に変わらないものを見る
松尾芭蕉(まつお・ばしょう)。
『おくのほそ道』で知られる流浪の俳聖は、西行、宗祇と並んで、3大放浪詩人と呼ばれています。
三重県伊賀市には、芭蕉ゆかりの場所が点在し、国内はもとより、海外からも多くのひとが、類まれな芸術家の聖地を訪れています。
伊賀上野城の城内にある、「芭蕉翁記念館」。
芭蕉直筆の巻物や掛け軸、特に遺言状は必見です。
また、芭蕉五庵のひとつ、「蓑虫庵」や、旅する芭蕉の姿をモチーフにした「俳聖殿」は、趣のある木造建築で、当時の暮らしや在りし日の姿を想像することができます。
幼くして父を亡くした芭蕉は、伊賀上野の侍大将に仕えることになりました。
貧しく、みじめな生活。
でも、そこで彼は多くの蔵書に囲まれ、芸術の世界に触れたのです。
伊賀の郷には、句を詠む、京の文化が浸透していました。
和歌や俳句をたしなむことを覚えた彼は、あっという間に頭角を現します。
30歳を過ぎて、江戸に下った彼は、いかにして自分らしい俳句を作り上げるかに心を砕きます。
当時の俳句は、短歌に比べ、文学というより、どこか笑いと享楽の空気をまとっていました。
俳句で、世界のしくみを解き明かしたい。
俳句で、自然を写し出し、生きるとは何かという問いに答えを出したい。
そう願った彼が、選んだ修行の形。
それが、旅だったのです。
旅立ったのは、46歳。
およそ150日間かけた放浪の日々でした。
歌枕の聖地を辿り、日本中をめぐる旅の道中で、句を詠み、自然と対話しました。
そうして出来上がった『おくのほそ道』。
この不朽の名作誕生に至るまでには、あるいは、この日本文学史上、最も有名な旅に出るためには、いくつかの扉を開ける必要がありました。
その扉を開けることで、彼は「不易流行」という思想に到達できたのです。
現代にも通じるこの思想を、芭蕉は、いかにして獲得できたのでしょうか。
江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
『おくのほそ道』の旅から戻った松尾芭蕉は、「不易流行」を唱えるようになった。
芭蕉の言葉を弟子がまとめた『去来抄』によれば、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」
すなわち、「未来永劫、変わることがないものを知らなければ基礎を確立することができない、そして刻々と変化するものを知らなければ作風が新しくならない」ということ。
これが、「不易流行」。
のちに、この言葉はさまざまに解釈されたが、芭蕉はさらに、変化の中にこそ変化しないものを見抜く目が必要だと、強く説いたと言われている。
そもそも、なぜ、芭蕉は『おくのほそ道』の旅に出たのか。
御年、46歳。
江戸時代においては、決して無理がきく年齢ではない。
実際、芭蕉は、51歳でこの世を去っている。
彼が尊敬していた詩人、西行も宗祇も、旅の途上で亡くなった。
旅立つ彼には、もう決して生きて帰れないという思いがあったに違いない。
そうまでして旅に出た理由。
その衝動は、41歳のときの『野ざらし紀行』の旅に端を発する。
母の一周忌。
江戸を出た芭蕉は、ふるさと伊賀を目指した。
1684年の秋。
松尾芭蕉は、江戸を出て、東海道を西に進んだ。
富士山に近づけば近づくほど、富士の全容が見えなくなっていく。
それはまるで、真理に近づくほど迷走する心に似ていた。
富士川のほとりで、3歳くらいの男の子が大声で泣いていた。
この年は凶作続き。
置き去りにされたのかもしれないと思う。
ありったけの食べ物を子どもに渡す。
泣き止んだが、それが何の役にも立たないことを芭蕉は知っていた。旅を急がねばならない。
それ以上、どうすることもできず、その場を立ち去るしかなかった。
中国の詩人・杜甫のある作品を思い出す。
断崖絶壁の上で、亡くなった我が子を思い、鳴きわめく母猿について書かれた詩…。
ようやくあの詩が理解できた。
富士川の傍らに立つ子どもの姿が、どんどん小さくなっていく。
どうか、誰かに面倒を見てもらえますように…。
願いつつ、歩みを止めず、旅を続ける自分。
涙が流れる。
二度と後ろは、振り返らなかった。
心に沸き立つ複雑な感情、狂おしいまでの葛藤は、江戸・深川の住まいにいただけでは、決して味わえないものだった。
自分が、動くこと。
自ら、変化の中に身を置くこと。
そうでないと見えない人生の普遍がある。
「古池や蛙飛び込む水のおと」
ある句会で、松尾芭蕉は音を聴いた。
池に飛び込む、カエルの音。
でも、それがどんな池であったのか、わからない。
古池は、後付け。芭蕉が創作したフィクションだった。
フィクションとノンフィクションの融合。
それで何を描くか。
蕉風開眼の句と言われるこの作品で、芭蕉は、心を描こうと思った。
『野ざらし紀行』の旅で、さまざまな現実やリアルな自然に直面し、自分の句に足りないものがわかった。
それは、句に、心を刻むこと。
誰もが共感できる普遍的な思いを、事象の中に描くこと。
そのためには、自分が動かなくてはいけない。
変化しなくてはいけない。
最も容易く変化を得られる方法。
それが、旅だった。
旅という非日常が、日常を想起させ、旅という変化の中で、決して変わらぬものがあぶりだされる。
「古池や蛙飛び込む水のおと」という句を書いた3年後、松尾芭蕉は、命を賭けた旅に出発する。
『おくのほそ道』の旅。
芭蕉は、人生の摂理を、およそ150日の変化の中で見出した。
【ON AIR LIST】
JOURNEY / 桑田佳祐
Allah Leno / Omar Sosa、Seckou Keita
Dreams / アサド兄弟
Change / Monkey Majik + 吉田兄弟
閉じる