第五十二話日常に咲く花たち
「馬鹿」っていうと、「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと、「もう遊ばない」っていう。
そして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」っていうと、「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか。いいえ、誰でも。
2011年3月の東日本大震災。
そのとき、テレビから流れてくるこの詩に、心うたれたひとは数多くいるでしょう。
『こだまでしょうか』。
書いたのは、大正末期から昭和初期に活躍した童謡詩人、金子みすゞです。
金子みすゞのふるさとは、山口県長門市仙崎町。
日本海屈指の漁港を有するこの町は、かまぼこの産地としても知られています。
またここは、終戦後の引き上げ港として、40万人以上のひとたちを受け入れました。
金子みすゞが幼少期を過ごした場所には、みすゞ通りができて、生家跡地には、金子みすゞ記念館があります。
建物は、彼女が20歳ころまで過ごした書店「金子文英堂」を再現しています。
館内には、遺稿集や彼女が着ていた着物などが展示されていて、当時をしのぶことができます。
彼女は、ふるさと仙崎を愛し、山や海、港など、日常的な風景を詩に読みました。
わずか26年の生涯を駆け抜けた詩人が、今もなお、私たちの心に触れる言葉を紡ぐことができたのはなぜでしょうか。
金子みすゞが、人生で譲らなかった明日へのyesとは?
童謡詩人、金子みすゞは、1903年、山口県長門市仙崎町に生まれた。
本名は金子テル。カタカナで、テルと書いた。
彼女が生まれた仙崎は、萩と下関に挟まれた、日本海に面する漁師町だった。
子供から大人まで、一緒になって網を引く、みなが助け合うあたたかい町。
父は、大陸にも支店を持つ大きな書店、上山文英堂に勤めていた。
しかし、みすゞが3歳のとき、その父が突然亡くなる。
金子家は、上山文英堂の後押しもあり、地元に金子文英堂を始めた。
みすゞの弟は、上山文英堂の跡取りとして養子に出された。
彼は後に、劇団若草の創始者となる。
みすゞは、小学校でも中学校でも、成績は優秀。
でもそれを鼻にかけるようなことはなく、クラスの誰からも好かれる優しい人柄だったという。
色白でふっくらとした愛嬌のある顔。澄んだ瞳。
決して派手で目立つ存在ではなかったけれど、誰にでも寄り添う心を持っていた。
自分のさびしさを封じ込めて。
彼女はこんな詩を書いている。
『さびしいとき』
私がさびしいときに、よその人は知らないの。
私がさびしいときに、お友だちは笑うの。
私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに、佛(ほとけ)さまはさびしいの。
童謡詩人、金子みすゞは、母が上山文英堂の後妻に入ったことで、下関に移り住んだ。
成績優秀なみすゞに、女学校の先生は進学をすすめたが、断った。
みすゞは、上山文英堂商品館で働くことになる。
もともと本に囲まれて育った。
本を読み、お話を空想する時間が好きだった。
毎日、本とともに生きるうちに、創作の楽しさを知る。
童謡を書いた。
本名の金子テルではなく、ペンネーム、金子みすゞで、初めて書いた童謡を雑誌に投稿した。
みすゞという名は、信濃の国の枕詞、「みすずかる」からつけた。
スズタケという下草の竹を刈るという意味があるが、なにより言葉の響きが好きだった。
雑誌『童話』の西条八十は、彼女の作品に強く惹かれ、掲載。
「私は、金子さんの、ふっくりとした温かい情味が好きだ」。
西条の評を読み、みすゞは雑誌の通信欄にこう書いた。
「嬉しいのを通りこして、泣きたくなりました。ほんとうにありがとうございました」。
自分の頭の中にだけあったものが、羽を広げ、世界に飛び立つ瞬間を味わった。
わずか3年で、北原白秋や野口雨情と肩を並べる女流詩人となった。
彼女は壮大な哲学も高邁な思想も謳わない。
ただ日常を見つめ、日常を優しくすくい上げた。
そこに宇宙を見出し、そこに愛と哀しさを見つけた。
大切なものは、全部、自分の近くにある。
金子みすゞが生きた時代は、まだ女性には息苦しいことが多かった。
まわりの勧めに従い、結婚。上山文英堂の番頭格の人だった。
一人娘を授かるが、夫の素行に苦しめられる。
女性問題を起こし、離職。
さらに放蕩は続き、やがて、みすゞにいっさいの創作活動、詩人との交友を禁じた。
それでも当時、簡単に離縁はできず、みすゞはいったん、筆を折る。
娘との時間だけが生きがいだった。
娘の幼い言葉を聞くだけで心が癒された。
夫は遊郭を遊び歩き、みすゞに病気をうつすこともあった。
ついに離婚を決意する。
娘と二人で生きていこう。
でも、そう簡単にはいかなかった。
夫は離婚には承諾したものの、娘をよこせという。
ついに、夫が娘を奪いにくるというその日に、みすゞは、遺書を残し、自害した。
26歳だった。
遺書には、こうあった。
「娘は心豊かな子に育てたいので、母に育ててほしいのです。先立つ不幸をお許しください。今夜の月のように私の心も静かです」。
金子みすゞは、父を知らなかったが、母の愛に育まれた。
全国各地を旅することはできなかったが、ふるさとの海を、山を、そこで暮らす人たちを愛し、心の旅を繰り返した。
彼女の言葉は教えてくれる。
人生で必要なものは、全て、自分の中にそろっている。
あとはそれを、どれだけ見つけることができるかだけだ。
【ON AIR LIST】
み空 / 金延幸子
寂しくて眠れない夜は / Aimer
Free As A Bird / The Beatles
瞳を閉じて / 荒井由実
閉じる