第百四十四話自信と謙虚の間で生きる
高倉健最後の主演作品、映画『あなたへ』のラストシーンは、その漁港で撮影されました。
『あなたへ』が最後の映画作品になった、もうひとりの名優がいます。
大滝秀治。
高倉健は、大滝との平戸で撮られたシーンで、心から涙を流したと言います。
高倉健はこう振り返りました。
「あの芝居を間近で見て、あの芝居の相手でいられただけで、この映画に出て良かったと思ったくらい、僕はドキッとしたよ。あの大滝さんのセリフ。『久しぶりに綺麗な海ば見た』の中に、監督の思いも脚本家の思いもみんな入ってるんですよね」。
大滝は、劇団民藝の創設者、宇野重吉に常に言われていたことがありました。
「台本の台詞の活字が見えるうちは、まだまだ『台詞』だ。活字が見えなくなって初めて、台詞が『言葉』になる。つまり舞台は、言葉だ」
大滝は、とにかく台本を読みました。誰よりも、何度も何度も。
それでも、宇野に注意されます。
「おまえの台詞は、活字が見えるんだよ!」
以来、大滝の台本は、いつもボロボロになりました。
役をもらうと、必ず2冊もらうようにしたといいます。
読んで読んで読み込むうちに、やがてセリフが沁み込み、自分の体に同化していく、そんな瞬間をただひらすら待ったのです。
謙虚さを持って、台本に接し、やがて自信に変えていく。
それこそが大滝の演技の原点だったと言えるかもしれません。
謙虚さと自信の間で役者人生を生き抜いた、大滝秀治がつかんだ明日へのyes!とは?
名優・大滝秀治は、1925年6月6日、新潟県で生まれた。
直江津の先の柿崎という駅から、およそ8km山に入った六万部という村が、母のふるさと。
家族は東京に住んでいたが、医者に実家で産むように勧められた。
母は神経痛を患い、強い薬を飲んでいたという。
秀治が生まれたとき、取り上げた産婆が腰を抜かすほど驚いた。
髪が、真っ白だった。日を追うごとに色が濃くなると思われたが、薄い灰色になるくらいで眉まで白い。
東京の文京区根津で育ったが、誰一人、彼の髪が灰色だということを口にしなかった。
小学校で喧嘩をしても、髪の毛のことを言う生徒はいない。
下町特有のなんでも受け入れる優しさがあったのだろう。
そのおかげで、大滝は小学6年まで、自分の髪の毛が他のひとと違うことに気づかなかった。
さらに大滝は、母の大きな愛に包まれて成長した。
小学校を卒業する前に、担任の先生が「クラスみんなで富士山に登ろう!」と提案。
ワクワクした。積み立てをする。楽しみが膨らんでいく。
でも、いよいよ登山という3日前に、麻疹にかかってしまう。
泣いた。「行きたいよう、ボク、富士山、行きたいよう」。
母は、言った。「仕方ないねえ、じゃ、あたしが代わりに行ってあげる」。
子どもたちに交じって、母は登った。帰ってくるなり、大滝に話す。
「秀ちゃん、行かなくてよかったよ、行きも帰りも坂ばっかりだったよ」
大滝は、そのときの母の優しい声を、生涯、大切な思い出として心にしまった。
俳優・大滝秀治にはもうひとつ、大事な母の思い出があった。
小学校を卒業して、板橋にあったある中学を受験する。
筆記試験。一次、二次と合格。あとは面接だった。
母は、面接の前に大滝を便所に連れていき、マッチ箱を取り出し、マッチを数本すり、それで息子の眉を黒くした。
母と2人で面接の部屋に入る。
4、5人の試験官が、ずらっと椅子に座っていた。
その試験官の真ん中には、配属将校が軍刀を手にしながら、肘(ひじ)を張って、大滝親子を睨むように見る。
「おおたき、ひでじ、です」
大滝が言うと、将校は言った。
「キミ、眉、画いてるの?なんで眉、画いてるの?」
母はその言葉を聞くと、いきなり大滝の手をとり、面接の部屋を飛び出した。
長い廊下をただただ無言で歩く。つかまれた手が痛かった。
小学校の担任の先生に電話した。「あの学校、やめました!」
その夜、大滝の隣で眠る母の体は一晩中震え続けた。
母は、泣いていた。
背中合わせに眠る母の震えを、大滝はどうすることもできなかった。
そのときはじめて、自分がひとと違うということに気がついた。
「お母さん、ごめんなさい。僕が普通じゃなくて、ごめんなさい」
大滝秀治は、小学5年生のときに中耳炎になった。
耳の鼓膜を切開。そのときから、右耳は完全に聴こえなくなった。
よく聴こえないから、ひとの顔を見る。ひとの口元に集中する。
その積み重ねが、役者という職業の武器になった。
役者は、自分の演技を見せびらかすものではない。必ず、相手がいる。
独り芝居でも、誰かに語りかける。
誰かに接するとき、謙虚になる。
ただ謙虚なだけだと、舞台で演じるのが怖い。役者には自信が必要だ。
自信の上には、うぬぼれがある。謙虚の下には、卑屈がある。
自信と謙虚のあいだで、一生懸命生きていく。
耳がよく聴こえず、肺を病み、腰に持病を抱えた大滝秀治だからこそ、到達できた境地があった。
舞台に出るということは、借りを返すということ。
死ぬ思いで舞台をやり遂げるたびに、彼は思う。
「ああ、これでまたひとつ、借りを返せた」。感謝があった。
自信をつけるための、たゆまぬ努力があった。
自分はひとと違う。
だからこそ、頭(こうべ)を垂れて台本に向き合う。
ボロボロに擦り切れるまで、台本を読む。
それでようやく、借りを返す。
そして、それは自分の舞台をどこかで見ている母への手紙でもあった。
「お母さん、ごめんね、そして、ありがとう」
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