第三百三十話反発する心を忘れない
小林亜星(こばやし・あせい)。
生涯に作った曲は、8000曲を越えると言われています。
『ワンサカ娘』や『この木なんの木』などのCM曲、都はるみの大ヒット曲『北の宿から』などの歌謡曲、『科学忍者隊ガッチャマン』『ひみつのアッコちゃん』などのアニメソング。
さらにはレコード売り上げが200万枚を超す大ヒットとなった『ピンポンパン体操』など、その作品のジャンルは多岐にわたり、枚挙にいとまがありません。
作曲家・作詞家以外にも、『寺内貫太郎一家』で俳優デビュー。
マルチタレントとして、多くのひとに愛されました。
亜星は、父の希望を受け、慶応大学医学部に入りますが、そもそも医者になる気はなく、大好きな音楽を続けるため、親に内緒で経済学部に転部。
以来、自身が「あまのじゃく」だと認めるように、反発、反骨精神のもと、自分がほんとうに「溺れられる」世界で生きようとしました。
作曲の師である服部正(はっとり・ただし)から、「芸術家なんて、誰かに言われるもので、ゆめゆめ自分から名乗ってはいけない。まずは最高の職人になれ!」と教えられ、身なりもキチンとして、時間に遅れたり、破天荒な態度をとることはありませんでした。
誰に対しても公平に接し、ひととのつながりを大切にしました。
ただ、好きな音楽には、とことんのめりこむ。
常に海外の音楽を聴き込み、映画をたくさん見て、さまざまな分野のひとに積極的に会う労力を惜しみませんでした。
作曲では、自分なりの方程式を構築。
「せ~の、ハイ!」で始まる曲は、ヒットしない。
息継ぎ直前の音程に、「ド」「レ」「ソ」は使わない。
いちばん高い音程を出すのは、1か所だけ。
そんな方程式の根底にあるのは、彼が目指した、誰もが口ずさめるシンプルで優しいメロディでした。
水中で必死に足を動かし、水上では優雅に泳ぐ白鳥のように、88年の人生を生き抜いたレジェンド・小林亜星が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
作曲家・小林亜星は、1932年8月11日、現在の東京都渋谷区に生まれた。
父は、郵政省の官吏だったが、若い頃、劇作家を目指していた。
母もまた、女子大を出ると、築地小劇場で女優をしていて、芝居好きが二人の縁をとりもった。
父の実家は、新潟で病院を経営。
父は、自分が医学の道を歩かなかったにも関わらず、亜星を医者にしようとした。
亜星は、幼い頃から反発心が強い子どもだった。
親にやれ!と言われれば、やりたくない。
むしろ反対のことをやろうとした。
母は、自身が女優で身を立てられなかった反動か、現実的なもの、科学的なものを重視。
小学3年生の亜星が、古本屋で見つけたルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を読んでいると、ぽかりと頭を叩かれた。
「おまえはこんな本を読んでいるからダメなんですよ。いいですか、世の中には不思議なんてものはありません。科学的に物事を考えるくせをつけなさい!」
これに亜星は、猛反発。
ルイス・キャロルは数学の先生だし、この世に不思議がないなんて嘘だ!
逆に、不思議なことが大好きな少年になった。
小学4年生から、江戸川乱歩にのめり込む。
この世をつかさどる、説明のつかない出来事、抑えきれない衝動や情念を知った。
そんなとき、7歳のときに初めて聴いたジャズの音色が、頭の中でよみがえった。
父の弟が新宿でやっていたカフェ。
そこでかかっていた、『アラビアの唄』。
お店の妖しいネオン、そこで働く女性たちの香り、あでやかな口紅の色…。
音楽と、不思議なこと。
のちの小林亜星を造る原点が、そこにあった。
今年、88歳で亡くなった小林亜星が、小学6年生の頃、戦争は激しさを増し、空襲警報が頻繁に響き渡った。
長野に疎開。
小諸のお寺に30人くらいで生活した。
本堂での雑魚寝。
亜星は夜な夜な、同級生たちに丸暗記した江戸川乱歩の艶めかしい小説を聞かせた。
それを先生に見つかる。
母は学校に呼ばれ、先生は言った。
「お宅の息子さん、不良になる可能性が高いですよ」
“不良”…その言葉に、どこか恍惚を感じる自分がいた。
ダメだと言われたら、もっとその世界を極めたくなる。
ハーモニカが得意で、友だちの前で軍歌や唱歌を吹いた。
みんなが喜んでくれる。うれしかった。
音楽のおかげで、すぐに仲良くなれる。
「なぜだろう…言葉を100個並べてもわかり合えないのに、たった1曲でつながれる。音楽って、不思議だ」。
東京に戻り、慶応の普通部に入るが、さらに戦火は激しさを増す。
名前が亜星。亜米利加の亜に、星条旗の星。
からかわれた。
先生にも冗談を言われる。
悔しかった。
挙句の果てには、スパイではないかと本気で疑われる始末。
何もかもがバカバカしい。
でもいちばん腹が立ったのは、敵国の音楽だということで、大好きなジャズが聴けなくなったこと。
このときの渇望が、彼の音楽熱を爆発させる。
終戦後、中学生の小林亜星は、ラジオのスイッチを入れた。
流れてくる、ジャズにハワイアン!
「ああ、これだ、ボクは、これがやりたい!!」
すぐにバンドを結成。
音楽にドップリのめり込んだ。
近所の家では、「小林さんの息子さん、とうとう不良になったわねえ」と陰口をたたかれたが、言われれば言われるほど燃えた。
幸い、慶応という学校は、音楽を含め、芸術的な活動を弾圧したりしなかった。
でも、進駐軍のクラブで演奏したのがバレると、さすがに停学処分。
ただ、勉強もしないでギターばかり弾いている亜星に怒った父は、ギターを叩き壊し、お風呂のたきつけにくべてしまった。
「おまえは医者になるんだ、いいな、医学部だ、医学部に入るんだ!」
高校でも音楽を続ける。
好きなことなら、どんな苦労も努力も苦にならない。
彼は、エッセイ『亜星流!~ちんどん商売ハンセイ記』でこんなふうに書いている。
「僕は音楽を道楽でやってきた。
音楽を勉強したいと思ってやったことは一度もない。
ただ、自分がわからないところを、道楽だからとにかく解明しなきゃならないというので、それこそ毎日音楽に溺れ、体で覚えてきました」
小林亜星は、守った。
自分のほんとうに好きなものを、反発することで、必死に守った。
そして、誰もが忘れない、誰もが笑顔になる音楽を創った。
【ON AIR LIST】
北の宿から / 都はるみ
アラビアの唄 / 二村定一
キャラバン / デューク・エリントン
魔法使いサリー / ダイヤモンド・シスターズ、園田憲一とデキシーキング
すきすきソング(『ひみつのアッコちゃん』より) / 水森亜土
ピンポンパン体操 / 杉並児童合唱団、お兄さん(金森勢)
この木なんの木 / INSPi
閉じる