第五十一話自力で動く
しかも、総理大臣の通算の在任期間も、全国で最長。
なにより、初代総理大臣の伊藤博文こそ、山口県出身です。
伊藤博文は、44歳という最年少で就任し、通算四度総理大臣の任を得ました。
長州藩の私塾だった吉田松陰の松下村塾に学び、幕末の尊王攘夷や倒幕運動に参加、イギリスへの留学で見聞を拡げ、いち早く開国の必要性に気づきました。
彼のふるさと、光市には、伊藤公記念公園があり、萩市の松陰神社の近くには、国指定史跡の伊藤博文旧宅があります。
旧宅は、生け垣に囲まれた藁ぶき屋根の、どちらかというと、質素なたたずまいです。
もともとは、貧しい生まれでした。
でも、素直な心を持ち、何でも吸収し、いつも行動することで、検証しました。
彼は、こんな言葉を残しています。
「いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命がけのことは、始終ある。とにかくも、依頼心を起こしてはならぬ。自力でやりなさい!」
自力でやる。誰かの意見、どこかの評判に流されず、自分の力でやってみる。
結局人間は、自分の眼で見たもの、自分の体験の中からしか学べない。
誰かの経験を知ったつもりになって使おうと思っても、ギリギリのところでは、役に立たない。
伊藤博文は、何も持っていなかったからこそ、何かを得ようと必死に動いた。
自力だけを流儀とした。
そんな伊藤博文の、明日へのyesとは?
日本の初代総理大臣、伊藤博文は、1841年、天保12年の9月に、山口県の山村に生まれた。
父は農家。貧しかった。
博文が5歳のときに、親は破産。
彼は養子に出される。
生涯、名前が何度も変わった。
食べていくために、養ってくれる先を転々としたからだ。
16歳の時、江戸湾の警備の職につく。
そこで知り合った上司に、松下村塾を紹介してもらう。
ただ、身分の低さゆえに、吉田松陰の授業は、立ったまま、塾の外で聞いた。
向学心、向上心はずば抜けて高かった。松陰は、伊藤をこう評した。
「才、劣り、学、幼し。しかし、性格は素直で華美になびかず、僕すこぶる之を愛す」
松陰は早くから博文の才能に気づいていた。
「伊藤には、政治の才あり!」
必死になんでも興味を持ち、実践していく姿に、応援するひとも増えてきた。
桂小五郎につくことができた。
長州藩の江戸屋敷に住まわせてもらう。
その縁で、のちに第一次伊藤内閣で外務大臣を務めることになる井上馨との親交が生まれた。
その井上馨が、倒幕運動の最中、刺客に襲われたとき、誰よりも早く駆け付けたのが、伊藤だった。
彼は、井上の枕もとでボタボタと涙を流した。
「まだ、刺客がひそんでいるかもしれぬ。早くここを立ち去れ」
井上がいくら言っても、彼はそこを動かなかった。
伊藤博文は、情の人だった。
吉田松陰が安政の大獄で命を奪われ、その亡骸を引き取ったとき、自分の帯をほどき、遺体に巻いた。
深くこうべを垂れ、手を合わせた。
松陰がいなければ、今の自分はいない。
そのことをいちばん知っているのは伊藤本人だった。
彼は常日頃、こんな言葉を発していた。
「大いに屈する人を恐れよ。いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ」
言動、特に自ら動くことの大切さを説いた。
イギリス留学への思いは強く、22歳で志願した。
当時、海外への渡航は、死と隣り合わせ。
二度と戻ってこられないリスクがついてまわった。
それでも、彼は諦めなかった。
彼がロンドンに向かう船に持ち込んだのは、英語の辞書と寝間着だけだったという。
航海中も苦行を強いられた。下働きの水兵のように働かされる。
それでも、伊藤は、異国をこの目で見たいという思いを貫いた。
「自分で選び、自分でつかんだもの以外、心にはしみこまない」
伊藤博文は、ふぐ料理を初めて食べた人だと言われている。
ふぐは、毒のある魚として、明治維新後も食べることは禁止されていた。
でも、下関に行った際、周囲の反対を押し切り、伊藤はふぐを食べた。
そのあまりの美味しさに感動し、山口県の知事に、解禁するよう申し出た。
なんでも自分で試す人だった。
やることは陽気で大胆。用意周到のようで、行き当たりばったり。
ただ、人の懐に入るのがうまかった。
彼は幼い頃の貧しさを覚えていた。
自分は何者でもない。
たまたま運よく、ここまできた。
たくさんの人に後ろ盾になってもらった。
そんな恩を忘れなかった。
こうべを垂れることを厭わない。
ただ、自力で動こうとしないものには、容赦なく檄を飛ばした。
「今日の学問は全てみな、実学である。昔の学問は、十中八九、虚学である」
実践、実学を重んじた。
女子教育の必要性を説いたのも、伊藤博文が最初だと言われている。
自らが創立委員長となり、「女子教育奨励会創立委員会」をつくった。
女子教育者だった津田梅子とは、岩倉使節団で同じ船に乗った。
「これからは、女性の活躍が望まれる」
梅子を励まし、自分の娘の家庭教師にも選んだ。
伊藤博文は、華美な生活を望まなかった。
住むところも、質素。
食べるものも、最低限でいい。
着るものにも、頓着しなかった。
大事なことは、国のために何ができるか。
苦難を経たからこそ、今の平和が愛おしい。
彼は言う。
「本当の愛国心とか勇気というものは、肩をそびやかしたり、目を怒らせたりするようなものではない」
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