yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第二十四話 切り込む力 -随筆家・白洲正子-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第二十四話切り込む力

名門『軽井沢ゴルフ倶楽部』に、「PLAY FAST」と書いたシャツを着て現れる、伝説の男、白洲次郎。
その妻、白洲正子もまた、伝説の女性でした。
伯爵家の次女として生まれた正子は、ある意味で、夫次郎に負けるとも劣らない行動力と、強いプリンシパルを持ったひとだと言えるかもしれません。
正子の父方の祖父は、薩摩出身の軍人にして政治家、樺山資紀。
戊辰戦争や台湾出兵に参加し、警視総監や陸軍大臣を歴任した生粋の薩摩人でした。
ここに一枚の写真があります。
永田町の自宅の庭で、祖父、資紀の膝に抱かれる5歳の正子が写っています。
軍服にサーベルを下げ、椅子に座る祖父。
彼の帽子を手に持ち、カメラをにらむように見据える、白いワンピース姿の正子。
その真っ直ぐで大人びた眼差しは、後の正子の運命を暗示しているように思えます。
正子はおそらく、薩摩人である自分を意識していたのでしょう。
彼女にはただ単に、勝気、負けず嫌いでは片づけられないひとつの流儀がありました。
決めたことをやりぬく。欲しいものには粘り強くくらいつく。
その壁が高ければ高いほど、挑む。誰も入ったことのない場所に切り込む。
だからこその、伝説。それゆえの、唯一無二。
ただのお嬢様に留まらなかった彼女を突き動かした、心の中のyesとは?

随筆家、白洲正子は、1910年1月7日、東京に生まれた。
4歳のときに、能を習う。
それから10年後、14歳で、女性として初めて能の舞台に立つ。
女人禁制だった能楽堂。
そこで舞うために、彼女は常人では計り知れない努力をいとわなかった。
やるならとことんやる。面白そうだと、のめりこむ。切り込む。
能を舞うために、笛、鼓、太鼓など、お囃子まで勉強した。
後日彼女は語っている。
「お囃子をやってみて、わかった。知識なんて舞うことの役に立たない。舞うってことは、そのひとの間だから。自分には自分の間があって、それだけでいい。自我はいらない、自己がいるの」
自分を見せびらかす自我ではなく、自分がどうしたいのかという自己が重要。
白洲正子は、能を通して、自己表現とは何かを学んでいったに違いない。
切り込んで、ぶつかって転んで初めて見えてくる自分。
自己発見こそ、生きる醍醐味だ。
学習院初等科を卒業後、アメリカに渡り、ハートリッジ・スクールに入学、卒業して帰国。
19歳で白洲次郎と結婚する。
お互い、ひと目ぼれだった。
一筋縄ではいかない次郎だからこそ、正子は迷わなかった。
戦火を逃れ、鶴川村、現在の町田市に引っ越して、のんびりした生活をおくると思いきや、彼女の中のあふれる情熱は立ち止まることがなかった。
そこに、人生を左右する出会いが待っていた。

戦後、白洲正子は、評論家の小林秀雄、装丁家で美術評論家の青山二郎と出会う。
文学や骨董の世界の扉が開かれる。
なんとか彼らの友情の中に入りたくて切り込む。
男同士の友情に嫉妬を覚えた。
「オレたちとつき合うなら、酒くらい飲めよ」と小林に言われ、「ったくもう、何にも知らないお嬢ちゃんだな」と青山にけなされ、それでも正子はくじけなかった。
飲めない酒をあおり、必死に勉強した。
そのせいで、3度の胃潰瘍。血を吐くこともあった。
つき合い方は破天荒。壮絶だった。
小林も青山もやがて、そんな正子を認めるようになった。
ついたあだ名が『韋駄天お正』。
自ら行動しないと気が済まなかった。
自分の目で見て、五感で確かめたものしか信じない。
それは随筆の執筆にも徹底された。
銀座に染色工芸の店も開き、往復4時間を毎日通った。
朝から晩まで動き続け、自らの想いや体験を文章にぶつけた。

白洲正子は振り返る。
「私は、不機嫌な子供でした。今で云えば、自閉症に近かったのではないでしょうか。3歳になっても、ほとんど口をきかず、ひとりぼっちであることを好みました」。
おそらくそれは鋭い感受性。
おそらくそれは誰よりも強い衝動を抱える恐れ。
だからこそ、自分を抑えた。
でも、4歳で能に出会い、彼女の自己が解放された。
解き放たれたら、もう止まらない。もう抑えない。
正子は、走った。まるで泳ぐのをやめたら死ぬサメのように。
70を超えて、親しいひとの死に直面する。
青山二郎、小林秀雄、そして、最愛の夫、白洲次郎。
それでも、正子は歩みをやめない。
80にして、能楽師、友枝喜久夫を追いかけ、舞台を食い入るように見つめた。
好きな骨董を探し日本中を奔走した。
旺盛な執筆活動は名作を生んだ。
彼女は、頭で考えることよりも、運動神経を信じた。
自分が今、何をしたいのか、それを見つけるためにはどう動いたらいいのか。
常に切り込む力が彼女を突き動かした。
正子は自分が知りたかった。
自分が何者なのかを知るために、走り続けた。
「私は自分を発見することで、透明な心を得たいと思った」。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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