第二十話愛すること
そんな言葉を残した作家がいます。
フランス文学者にして西欧文学を日本に広めた小説家、福永武彦。
彼もまた、軽井沢の地にゆかりのある文人でした。
劇作家、加藤道夫から信濃追分の別荘を譲り受けました。
彼はその山荘を、玩具の玩に草に亭で『玩草亭』と名付け、軽井沢の四季に触れ、創作に励みました。
彼は随筆にこう書いています。
「別荘というより山小舎で、初めの年は井戸もなく、貰い水で一夏を暮らした。
それが不便でしかたがないから、無理をして二度ほど建て増しをし、見掛けだけはどうにか立派になった。
といっても、一昨年の夏の建て増しに、田舎大工を相手に大喧嘩をしてさんざん手古摺り、出来た家もよくみればあらだらけというお粗末な代物だ。
しかもそのお蔭で僕は胃を悪くして半年ばかり休養を余儀なくされた。
癇癪(かんしゃく)を起すのはたいへん胃に悪いそうだが、僕は大工とやり合ってまさにその見本を示したらしい。
そのためか近頃では人格円満になって、とんと癇癪を起すこともない。
妻が、あなた近頃は本当に感心だわ、と言ってほめるのも、雷が落ちることがなくなって少々退屈しているのではないかと僕は疑っている」
福永の神経質で繊細な部分と、独特のユーモアが垣間見られる文章です。
名作『草の花』や、『海市』にも描いた軽井沢。
福永武彦が、この地で見つめた生と死とは?
作家、福永武彦は、1918年3月18日、福岡に生まれた。
東京帝国大学を出て銀行員になった父と、日本聖公会の伝道師だった母の間に生まれた。
父はやがて母と離れ、福永は父に育てられる。
キリスト教の洗礼は受けなかったが、開成中学時代まで教会に通った。
東大の仏文科に入り、文学に傾倒していく。
中学、高校、大学と共に学んだ朋友が、後に日本の文壇を代表する作家になる、中村真一郎だった。
中村の誘いを受けて、福永が初めて軽井沢の地を訪れたのは、1941年、昭和16年の夏だった。
駅舎には、中村が迎えに来ていた。
「よう、よく来たな」
「ああ、ここは太陽が爽やかだ。でも、空気がひんやりして気持ちがいい。そして、緑の香りに満ちている」
「さっそく気にいったようだな」
福永は、愛宕山麓に立つベア・ハウスに滞在した。
濃い緑の中を歩く。木々が風に揺れる。
彼は言いようもない幸福感に満たされていた。
文化的な雰囲気と、キリスト教文化の空気。
それは彼自身のレーゾンデートル、存在理由につながっていた。
彼は道端の草木に挨拶した。
「はじめまして、どうぞ、よろしく」
作家、福永武彦は、軽井沢で運命的な出会いをする。
生涯の師匠、堀辰雄と過ごす夏。
福永は堀辰雄に魅了された。そのたたずまい、話しぶり。堀の別荘、1412番に通った。
多恵子夫人も、福永を可愛がってくれた。
家庭的な温かみを初めて感じた。
堀は福永に文学とは何かを身をもって伝えた。
それに応えようと、福永は懸命に詩作に励んだ。
しかし、思う様にはいかない。病魔が彼を苦しめた。
急性肋膜炎、そして肺結核。
当時、結核は不治の病だった。
29歳から35歳まで、東大病院や帯広、そして軽井沢。
さまざまな場所で療養生活をおくった。
いつもすぐ隣にある、死。
福永は痛みやだるさ、吐き気や絶望と闘いながら、書き続けた。
まるで病の合間を縫うように書かれる小説には、彼の覚悟や思いが、色濃く投影されている。
辛いとき、彼はこう書き記す。
「愛することは、愛されることよりも百倍も尊いし、愛の本質はあくまで愛することにある」。
作家、福永武彦が病床にあって、心のよりどころにしたものが、二つあった。
ひとつは、師匠、堀辰雄の言葉。
堀は、芥川龍之介の自殺に際して、自らこう決めた。
自分は、あくまで生きて生きて、書き続ける。
堀が亡くなり、遺品を整理していた福永は、堀のこんな言葉が書かれた原稿用紙を見つける。
『我々ハ ロマンヲ 書カカネバナラヌ』。
決意があった。いつも死に向き合ってきた堀先生の覚悟があった。
自分は、簡単に諦めてはいけない。
自分は、息絶えるまで、書き続ける。福永は心に誓った。
そして、もうひとつ、福永を救ったもの。それは、草花だった。
彼はスケッチブックに、水彩を描いた。
対象は、名もない草。彼は木に語りかけ、草に笑顔を見せた。
軽井沢の小道は、彼の心のふるさとになった。
四季折々の草木に向き合うと、隣にいる死までもが、友達に思えた。
いつ消えてもおかしくない命だから、愛おしい。
こちらが愛せば、応えてくれる。
死は、生の対局にあるのではない。いつも、隣に寄り添っている。
作家、福永武彦は、死ぬおよそ一年前、キリスト教の洗礼を受けた。
それは、甘えることができなかった母への最期の愛の言葉だったのかもしれない。
愛されることより、愛することを選ぶ。
そんな彼の思いが見える。
彼の小説には、どんなに孤独を感じることになっても、愛することをやめない主人公たちが登場する。
病に苦しみながら、書くこと、書き続けることを止めなかった作家は、追分の別荘に滞在中、倒れ、帰らぬひととなる。
享年、61歳。
彼を癒し、彼が愛した草花たちは、今日も軽井沢で揺れている。
閉じる