第百三十八話自分の役割を全うする
好むと好まざるとにかかわらず。
会社では部長や課長という役職を背負い、家では、父や母、夫や妻という顔を持ち、舞台が変われば違う役を演じる俳優のように、いくつもの仮面とともに生きていく。仮面には、役割がついてきます。
ここに、一度つけた仮面を、生涯はずすことが許されなかった役者がいます。
渥美清。彼は、フーテンの寅さんで人気を博し、日本を代表する名優として語り継がれていますが、一時期、その車寅次郎という役割から逃れようとしたことがあります。
渥美清イコール寅さんというイメージを払拭したかったのです。
悪役にもエントリーされました。
横溝正史原作の金田一耕助もやりました。
でも、結局、街を歩けば、「寅さん!この間の映画も、よかったよ!」「寅さん、今度はいつ、柴又に帰るんだい?」と声をかけられるのです。」
ある時期、彼はもがくのをやめました。
「これが自分に与えられた役割ならば、それを全うするしかない」
以来、寅さんのイメージを壊すような役は、断りました。
どんなに親しいひとにも、プライベートをいっさい知らせず、自宅も明かしませんでした。
映画の撮影終わり、ハイヤーでおくられても、自宅のずいぶん前で、「あ、このへんでいいや、ここでおろしてください」とクルマを降りました。
徹底した自己管理と、ストイックな日常生活。
晩年、体は満身創痍で立っていられず、すぐに小道具のトランクに座ってしまうほどでしたが、周囲に悟られないように歯を食いしばりました。
亡くなるときも、「オレのやせ細った死に顔を、誰にも見せたくないんだ。お願いだから、骨にしてから世間に知らせてくれないか」と遺言を残しました。
今もひとびとの心に生き続けるフーテンの寅さんを演じきった、俳優・渥美清が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
渥美清は、今からちょうど90年前、1928年3月10日、現在の東京都台東区に生まれた。本名、田所康雄。
幼い頃から病弱だった。幼児関節炎。小児腎臓炎。膀胱カタル。
病魔は休むことなく彼を襲い、小学校は長期欠席。
たまに学校に出ても、勉強にはついていけない。
知らない漢字ばかりで、読めない。同級生に馬鹿にされる。激しいコンプレックス。
「ボクは、ダメな人間なんだな、きっと。生きていてもいいことなんか、ないのかな」。
学校を休んでいるとき、たまたまラジオから落語が流れてきた。
面白かった。ひきこまれた。徳川無声(とくがわ・むせい)という弁士による宮本武蔵にも、夢中になった。
語りに癒され、語りに希望をもらう。
学校の休み時間に、友達に話芸を披露するようになった。
雨の日が、うれしかった。
というのは、雨が降ると体育の時間は「お話の時間」に変わる。
担任の先生が「田所、今日もなにかひとつ、頼むよ」という。
クラスのみんなが「待ってました!」と手を叩く。
うれしかった。唯一の優越感。そらで覚えた落語を話した。
ウケた。笑ってくれた。田所少年は、ぼんやりと思った。
「これが、ボクの生きる道なのかもしれない」
名優・渥美清が、子どもの頃なりたかった職業は、船乗りだった。
下町育ち。近所の豆腐屋の息子が、マドロスのような恰好をして世界中の港の話をした。
どこそこでは砂糖なんか珍しくないから雨に流されても誰も拾わないんだ、とか、どこそこの空は高く青く、鳥なんか飛んでてすごいんだ、とか、どこそこの国ではみんな裸で暮らしているんだ、などとウットリ語る。
聴いているだけでワクワクした。世界中を旅してみたい。
物心ついてからずっと病気がちだったので、見知らぬ世界に飛びだしたいという強い欲求があった。
でも、母親に激しく反対された。泣いて怒る。
「20歳になれば、どうせ兵隊にひっぱられちまうんだから、何もわざわざ、自分から志願して船乗りになることなんかない!お母さんはね、そんな危ない仕事は、ゼッタイ許さないからね!」
父親は賛成してくれた。
「どうしても、こいつがなりたいなら、いいじゃねえか。なりたいもんがあるだけ上等ってもんよ」。
後年、渥美が俳優になりたいと言ったときは、両親の意見が逆転した。
「役者かい、いいんじゃないか、おまえがどうしてもやりたいなら。命をとられる危険な仕事じゃなさそうだし」と母親は言い、父親はこう言った。「役者だぁ?ダメだダメだ!いつだったか、白塗りの顔をして農家に風呂をもらいにくる、ドサ回りの役者を見たことがある。あれはフツウの人間のする技じゃねえ。やめとけ、やめとけ!」
結局、渥美は、役者の道を志す。
幼い頃、自分に生きるチカラをくれた、フィクションの世界に飛び込む覚悟をもった。
渥美清の本名は、田所康雄。17か、18の頃読んだ小説に、渥美悦郎(あつみ・えつろう)という登場人物がいて、カッコいい名前だなと思った。
特に、悦郎という響きに洗練さを感じた。
下町育ちの彼は、いつもみんなから「ヤッチン」と呼ばれた。
「悦郎なら、エッチャンかあ…エッチャン、いいなあ、よし芸名は、渥美悦郎だ!」
浅草のストリップ劇場の幕間に芝居をする劇団に入る。
座長が挨拶して、「ただいまより演じますのは」、と紹介するときに、「渥美…渥美…」。なぜか、悦郎という名前を忘れ、とっさに、こう言った。
「渥美、清でございます」。
以来、芸名は、渥美清になった。
渥美は、踊り子たちに人気があった。誰のことも下に見ない。
わけ隔てしない。笑顔で声をかけ、励ます。
役者として目が出ない渥美が落ち込んでいると、ある踊り子が「すっごく当たる占い師さんがいるから、一緒にいこうよ」と誘った。
彼女は、渥美を元気づけたかった。
その占い師は、悪い事を言わないので有名だった。
二人で浅草の裏路地を目指す。しかし、占い師の男性はこう言った。
「あんた、役者は諦めたほうがいいなあ。芽は出ないよ」
落ち込む渥美に、踊り子は泣いて謝った。「ごめんね、ごめんね」。
彼は言った。「いいんだよ、誰に望まれて始めたことじゃない。オレはオレの気が済むまでやってみるよ」。
浅草で演じている舞台を、ある広告代理店のひとが見て、テレビにひっぱってくれた。初めての映像の世界。
渥美は、かつての先輩の言葉を思い出していた。
「おまえは泥棒には向かねえ顔だ。一度見たら、忘れらんねえからな」
頑張った。夢中で演じた。やがて渥美は、車寅次郎に出会う。
そこには、自分がいた。自分の役割があった。
世の中からはじかれそうになり、まっとうに生きられない。
それでも、誰かを笑顔にしたくてたまらない。
葛飾柴又。『寅さん記念館』には、今日も多くのファンが足を運ぶ。
生涯、役割を全うした、あのひとに背中を押してもらいたくて。
【ON AIR LIST】
Forever Young / 竹原ピストル
Sloop John B / The Beach Boys
Come Fly With Me / Frank Sinatra
さすらい / 奥田民生
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