第二百二話見たままをうつす力
この店で働いたとされる、放浪の画家がいます。
山下清(やました・きよし)。
弥生軒は、昭和3年に創業。当初は、我孫子駅構内で弁当を販売していました。
山下清は、昭和17年からおよそ5年間、住み込みで働いていたと言われています。
弥生軒の初代社長は、戦中、戦後の食べ物がない時代を経験。
来るものは拒まずの精神で、ただお腹いっぱい食べられそうだ という目的だけでやってきた山下を、こころよく受け入れました。
山下は、3歳のとき、病で生死の境をさまよい、その後遺症で軽い言語障害、知的障害を患います。
弥生軒でまかされたのは、弁当を売ることでもお金を勘定することでもなく、たとえば、大根切り。
店のひとにお願いされると、包丁を華麗に操り、最後の芯のところギリギリまで切ったそうです。
繊細でひとなつっこく、いつも笑顔で、周囲を和ませました。
突然、ふらりといなくなったかと思うと、必ず半年後に戻ってくる。それを5年間、繰り返したといいます。
その間に、山下は、画家として脚光を浴び、画伯になっていました。
弥生軒のみんなが「すごいねえ、立派になったねえ」と言っても、どこ吹く風。
「ボクは何も変わらないんだけどなあ」と、必死に大根を切ります。
弁当に掛ける掛け紙に絵を画くことになり、春夏秋冬、我孫子の自然を描きました。
手賀沼公園の秋を画いたあと、病に倒れ、49歳で他界。
冬の掛け紙は、永遠に描かれることはありませんでした。
放浪に出かける前の晩は、決まってこう言ったそうです。
「今夜は、月がきれいですね。星もきれいですね」
半ズボンに坊主頭、リュックを背負っておにぎりを食べる、放浪の画家・山下清が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
裸の大将、日本のゴッホと言われる放浪の画家・山下清は、1922年3月10日、東京・浅草で生まれた。
翌年の関東大震災で一家は焼きだされ、両親の郷里、新潟市に移り住む。
3歳のとき、重い消化不良になる。
歩けない。動けない。
何度も命の危険にさらされるが、持ちこたえる。
半年後、病気は治ったが、軽い言語障害を患う。
うまく話すことができない。
一家は戻り、山下清は浅草の小学校に入った。
知的障害も患っていることがわかった。
いじめられた。
クラスのひと、まわりの大人、みんな、彼の言葉、動きを真似て笑った。
腹が立つ、悔しい、という感情より、恥ずかしい、哀しい、が先にやってきた。
「どうして、ボクはひとと違うんだろうな」
あまりに侮辱を受けるので、コンプレックスは怒りに変わった。
言葉ではなく、手を出してしまう。
暴れた。
そのことで返って周囲との溝を深めてしまう。
10歳で、大好きだった父が亡くなる。
そのショックも重なり、彼はますます孤独になっていった。
父は、満足に字が書けない彼に、絵を教えた。
「清、字なんてどうでもいいよ。絵を画いてごらん。おまえが見て感じたことを、ただ、この紙に移せばいい」
絵を画いているときだけ、世界とつながることができた。
絵を画いているときだけ、大好きな父さんに会えた。
放浪の画家・山下清の母は、すぐに再婚した。
新しい父は、清に、「いじめたやつには、こいつで制裁を加えればいい」とナイフを渡した。
清はナイフを振り回し、学校にいられなくなる。
やがてたどり着いたのが、千葉県八幡町の養護施設、八幡学園だった。
そこでの授業で、山下清は運命的な出会いをする。
「ちぎり絵」。
赤、青、黄色、色とりどりの折り紙を好きなように千切って、画用紙に貼る。
他の生徒がハサミで切るのに、山下は手で千切った。
細かく、細かく、指で千切る。
夢中になる。誰よりも熱心に向き合った。
しかも、その絵の完成度、配色の素晴らしさに先生が驚いた。
「この子は、いったいどこでこれを学んだんだろう…」
難しいことは考えない。
山下はただ、父の言葉を反芻していただけだった。
「おまえが見て感じたことを、ただ、この紙に移せばいい」
『お化け』、『花火』、『遠足』、『虫の集まり』。
黙々と折り紙を千切り、貼っていく。
「ちぎり絵」を始めてから、彼の性格がどんどん穏やかになっていった。
もともと、争いを好むタイプではない。
ようやく、本来の場所に戻ることができた。
まわりのひとが、褒めてくれる。
うれしかった。
初めて、他人に、生きていることを認めてもらった。
何より、自分の絵を見て笑顔になってくれるひとがいると、ほっこりと、幸せな気持ちになった。
山下清は、18歳から放浪を始めた。
きっかけは、徴兵検査。
戦争に行くのが嫌だった。
誰かが大声で怒鳴ったり、強くいがみあったりするのが嫌いだった。
逃げる。嫌なことから、とことん逃げる。かつて自分を苦しめたものから逃げる。
旅は、よかった。
世界は色であふれている。
どんな町にも、絵にしたい風景があった。
特に花火が好きだった。
夜空に舞う、たくさんの色たち。
花火大会があると聞けば、すぐに出向いた。
その場で画くことはほとんどない。
宿や家に戻り、記憶力を頼りに画いた。
思い出すと、幸せな気持ちになった。
それを絵に残すと、さらに幸せが何倍にもふくらんだ。
後年、八幡学園にゲストとして呼ばれた。
園長に、生徒たちの「ちぎり絵」を見て、批評してやってくださいと頼まれる。
全ての絵を丁寧に見たあと、彼はただひとこと、こう言った。
「ぜんぶ、うまいです」
「いやいや、何かアドバイスか批評を」と言われても、「いや、ぜんぶうまいです」としか言わなかった。
彼は、のちに記している。
「放浪をやめるというと、お母さんや弟や妹が喜ぶので、放浪はあまりよくないことなのだと思います。でも、ボクは放浪をしてしまいます。気がつくと、外に飛び出してしまうのです。花火大会に行きたくなってしまうのです」
彼は、花火の向こうに、お父さんを見ていたのかもしれない。
画いた絵をほめてくれた、お父さんの笑顔に、会いたかったのかもしれない。
【ON AIR LIST】
旅をしませんか / 空気公団
YOU MAKE ME FEEL LIKE DANCING / Leo Sayer
LOVE OF MINE / Bardo Martinez
FREE UP / Los Lobos
【撮影協力】
あびこの魅力発信室・アビシルベ
https://www.city.abiko.chiba.jp/miryoku/
閉じる