第百七十一話自分らしさに気づく
彼は、広島カープの優勝に何度も貢献し、連続試合出場の日本記録を塗り替えた『鉄人』として、多くの野球ファンに愛されました。
今もなお、彼の雄姿を心に刻み、励まされているひとが数多くいます。
彼がなぜ、そこまでひとびとの心をつかんだのか…。
有名な逸話があります。
1979年8月1日。広島対巨人戦。
試合は7対1で巨人リードのまま、7回の広島の攻撃を迎えました。
打席には、連続試合出場記録を更新中の衣笠。
西本は内角に得意のシュートを投げますが、衣笠の左肩にあたってしまいます。デッドボール。
怒った広島の選手たちがベンチから飛び出します。
衣笠に謝ろうと西本が駆け寄るのを、激痛に顔をゆがめながら、衣笠がこう制します。
「危ないからこっちに来るな、ベンチに下がれ、早く!」
結果、乱闘騒ぎになり、試合は中断。
そのときのショックで西本は調子を崩し、結局、試合は8対8の引き分けになりました。
夜、西本が謝罪の電話をすると、衣笠は「大丈夫、心配するな。それより勝てる試合で勝てなくて、損したなあ」と気遣ったといいます。
衣笠は左肩甲骨を骨折していました。
翌日、試合には出ないだろうと誰もが思っていました。
衣笠の連続試合出場記録も途絶えたか…。
しかし、代打衣笠を告げるアナウンスが流れ、球場にどよめきが起こります。
衣笠は、江川の投げる速球に、三球三振。
全てフルスイングでした。
試合後、彼は言いました。
「1球目は、ファンのみなさんのため、2球目は、自分のため、そして3球目は、西本くんのために振りました」
どんなときもまわりに気遣いを忘れない、謙虚な姿勢。
しかし、最初から彼が聖人君子だったわけではありません。
鉄人衣笠は、偶然がつくったものではなく、文字通り血と汗の努力の結晶だったのです。
野球人・衣笠祥雄が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
元広島カープの鉄人・衣笠祥雄は、1947年1月18日、京都市に生まれた。
体は決して大きくなかったが、スポーツが好きな活発な少年だった。
中学に入り、希望した柔道部がないので、仕方なく野球部に入る。
京都出身の野球選手に、阪神の吉田がいた。
吉田は子どもたちのあこがれだった。
新入部員は、みんな吉田と同じ、ショートというポジションを希望した。
衣笠少年も、ショートのポジション争いに参加。ノックの列に並ぶ。
監督の打ったノックの球は、想像より速かった。
うなり声をあげて飛んでくるゴロ。怖い。体が動かない。
ボールは股間を抜け、トンネル。
監督は言った。「衣笠!おまえは、キャッチャーだ!」
気がすすまないポジション、キャッチャー。
ガッカリした。
でも、冷静にまわりを見渡すと、自分がいちばん下手だ。
ポジションをもらえるだけでいい。試合に出られるだけでよかった。
バッティングは、楽しい。特にヒットを打ったときの拍手、歓声がうれしかった。
自分のバットひとつで、あんなにも喜んでくれるひとがいる。
その思いは、プロになっても変わることはなかった。
ただ、中学時代の衣笠はまだ、努力の大切さに気付いていなかった。
衣笠祥雄は、京都平安高校から広島カープに入団した。
入って早々、肩を痛めてしまう。
自慢の強肩でキャッチャーとしてつかんだプロの夢。
無茶な練習をしすぎて、壊してしまった。
鳴かず飛ばずの成績。それなのにオフには、契約金をつぎ込み、球団で誰も持っていないような外車を買い、乗り回す。
何度か事故を起こして叱責されるが、素直に聞く耳を持たなかった。
お酒が飲める年齢になると、飲み歩く。
生活は荒れ、試合でもときどき代打を言い渡されるくらいだった。
そんなある日、球団のひとに呼び出される。
応接室のドアを開けるなり、こう言われた。
「衣笠、このままじゃ、おまえクビだぞ」
頭から冷たい水を浴びたように感じた。
大好きな野球ができなくなる。
その喪失感は、自分でも意外なほど大きく、深かった。
監督にも言われた。
「おまえ、もう野球がやりたくないのか?やりたいんだろう?だったら、自分らしい野球をしてみろ。二軍で自分を見つめなおせ。いいか、一年かけて『衣笠』をつくってこい!」
『衣笠』をつくる。その監督の言葉が胸に刺さった。
今までの自分は、どこか不貞腐れていて、素直ではなかった。
自分を見つめ、自分にしかできない野球を見失っていた。
背も高くない、体も細い、飛びぬけて守備がうまいわけでもない。
そんな自分にできること。
まずは、生活を立て直す。愚直に努力するしかない。
急にうまくなどなれない。
日々の暮らし、毎日の練習こそ、大きな目標への近道だ。
体は柔らかい、バネがある。
フツウでいえば、巧打俊足を目指す。
器用なオールラウンドプレーヤー。
でも、それは自分が考える『衣笠』ではなかった。
「オレは、フルスイングがしたい。どんなにぶざまに三振しても、一振り一振りに、全身全霊を込めたい」
そう、思った。
衣笠は三振のとき、あまりの空振りに倒れ込む。
体制は崩れ、みっともない。かっこわるい。
それでも、フルスイングをやめなかった。
細い体でもホームランを打てる。
それこそが『衣笠』らしさだと確信したからだ。
迷わず、精進していく。
体ができてくれば、自然と心も整っていった。
努力、というと、ひとは大げさな印象を持つ。
でも、本当の努力とはささいなことの積み重ね。
ひとが3周グラウンドを走れば、4周走ってみる。
いつも枕元にバットを置いておき、イメージがわけば跳ね起きて、素振りをする。
自分らしさをつかんだとき、ひとは、最も強くなる。
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