第三十三話角を捨てない
陶芸家、画家、篆刻家、料理家、美食家。
彼を表す言葉はさまざまですが、ひとことでいえば、当代きっての芸術家。
その多様さ、作品の多さ、領域の深さは、他に類をみません。
今もなお、ひとびとをひきつけてやまない、彼のチカラ。
しかし、旺盛な創作欲の中、彼には常に悪評がつきまとっていました。
傲慢、横柄、虚栄。
世界に名だたるピカソまでも罵倒する、雷のような物言いに、ひとびとは怖れをなし、また尻込みし、去っていくものも少なくありませんでした。
どんなに偉い社長や役人だろうと、容赦しない態度。
「馬鹿者!帰れ!貴様のようなやつに用はない!」
「なにやってんだ!この盗人が!」
「おまえの顔など、二度とみたくもない!」
その叱責や怒号は、ときに逆鱗に触れ、彼はさまざまなものを失ってきました。
それでも、彼は、自らの『角(かど)』を捨てませんでした。
魯山人の人生を丁寧に論じたことで知られる、美術評論家の白崎秀雄は、こんなふうに語っています。
「魯山人にとって生涯消えることがなかった性格、要素は、角ではないか。篆刻も、鈍角ではなく、鋭角に彫る。陶器も四方の鉢を好み、料理にも角を立てた」。
常人は、角を捨てます。
常人は、角をけずることで、世間と調和し、世界に溶け込みます。
しかし、ここに角を生涯持ち続けた男がいます。
どんなにけなされ、嫌われ、うとましく思われても、捨てなかったもの。
北大路魯山人が、自らの角を手放すことがなかったわけとは?
そこに見えてくる、彼にとってのyesとは?
北大路魯山人、本名、北大路房次郎は、1883年、京都の上賀茂神社のお社に生まれた。
魯山人は、母の不貞によって生まれた。
妻の妊娠を知った父は、自ら命を絶ってしまう。
「自分は、生まれてはいけない子供だった」。
その思いは、魯山人を生涯苦しめることになる。
母は、魯山人を生んだあと、失踪。行方不明になる。
彼は放置され、やがて、巡査にもらわれるが、その巡査もいなくなり、妻も病死する。
生まれながらにして、ひきとり先を転々とする魯山人。
そんな中、3歳のときに見たつつじが忘れられないと彼は言う。
養ってもらっていた家の姉に、手をとられのぼった上賀茂神社東側の山。
そこに咲き乱れる真っ赤なつつじの光景は、彼の目に、鮮烈な印象を残した。
もらわれていく先で、虐待も受けた。
信じるひと、絶対的に心をゆだねることができるひとが、どこにもいない。
最もそれを必要とするときにそれを得られないと、何かを損なうことがある。
魯山人の心に、角が育ち始めた。
龍が、ゆっくりと、首をもたげた。
北大路魯山人は、6歳のとき、ようやく養子になった。
京都竹屋町の木版師、福田武造にひきとられ、福田姓を名のった。
福田家では、率先して炊事を手伝った。
それが料理に触れるきっかけになった。
10歳で尋常小学校を出ると、丁稚奉公に出された。
ある日。奉公先からの使い走りの途中。
路地の先にある料理屋の行燈看板の文字に、心うたれた。
ひとふで書きの亀の絵と、流れるような文字。
「なんて綺麗なんだろう」。
そのフォルム、シンプルだけどひとの心をつかんで放さない存在感。
幼い魯山人は、いつまでもそこに立ち尽くした。
絵が画きたい、字を書きたい。
絵の学校に入るお金はない。
魯山人は、書道コンクールに作品を出した。
それが何万の中から見事選ばれ、受賞。
次々と応募して、賞金を稼ぎ、そのお金で絵筆を買った。
21歳のとき、日本美術協会主催の美術展覧会に出品した、千の文字の文と書く『千字文』が、1等2席を受賞。
初めて世間に認められる扉が開いた。
町の書家として名をなしていた、岡本太郎の祖父にあたる、岡本可亭の内弟子になった。
その腕の確かさで、あっという間に、師匠より稼ぐようになる。
稼いだ金は、道具や骨董、美味しいものの食べ歩きに使い果たした。
こうして、彼は自らの中に角を育て、補強していった。
北大路魯山人は、生涯に6度、結婚したが全て破綻した。
2人いた男の子は早くに亡くし、たったひとりの娘には裏切られ、晩年、会うこともなかった。
「オレは・・・さびしいんだ」
近しいものに、つぶやくように云う彼の姿があった。
ラジオから流れてくる心温まるホームドラマを聴いて、嗚咽するほど、泣いた。
あふれる涙をぬぐうことも忘れて、泣いた。
家庭が欲しかった。あったかい家族がほしかった。
でも、彼の中の龍は、吠え続け、他者を寄せ付けない。
彼が育んだ角は、家庭には余計なものだった。
龍を、角を、芸術に捧げること。
そうするしかなかった。
そうすることでなんとかバランスを保った。
誰にも愛されず、誰にも祝福されなかった幼少期が、彼を奮い立たせる。
魯山人は、必死に言い続けた。
yes、yesと。
「誰かが言ってくれないなら、オレは自分で自分に云ってやる!」
「おまえは、生まれてきてよかった。だから捨てるな。無くしてはいけない。角を。心の中でうごめく、龍を」
彼は、角をとらない。丸くしない。
魯山人は、最後まで、怒り、戦いぬいた。
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