第三百七十話虚しさから逃げない
森鷗外(もり・おうがい)。
『舞姫』『山椒大夫』『高瀬舟』など、学校の教科書や夏休みの課題図書としてもおなじみの作品群。
ドイツ留学を経て医学の道に進み、医者と小説家の、いわゆる「二刀流」を貫いた唯一無二の賢人です。
晩年は、陸軍軍医のトップとして人事権も掌握、一方でゲーテの『ファウスト』を翻訳し話題になるなど、政治と芸術、双方の知識人として、その名を轟かせていました。
そんな超一流のエリート、森鷗外。
しかしながら、彼の心は、長らく深い闇に包まれていました。
鷗外の書いた随筆『空車(むなぐるま)』には、そんな彼の内面の哀しさが書かれています。
立派な大八車。
しかし、何も積んでいない。
空っぽ。
空の車を、彼は、むなしい車、むなぐるまと読んだのです。
それは、まさに自分自身のことでした。
ドイツで学んだ衛生学。
日本でもっと研究に没頭したいと願っても、「君の研究より、まずはドイツの文献の翻訳をやりたまえ」と言われ、小説を書こうと頑張って出版社にかけあっても、「あなたの小説より、ドイツの優れた小説を翻訳してもらえますか?」と告げられたのです。
やりたいことが、やれない。
いつも理不尽な風に吹かれ、本来の自分から遠ざかってしまう。
そんな虚しさを、彼は小説にぶつけました。
思うように生きられない人生に、意味はあるのか…。
その答えを必死で探したのです。
鷗外の『妄想』という作品の中に、こんな一節があります。
「生まれてから今日まで、自分は何をしているのか。
始終何物かに策うたれ駆られているように学問ということに齷齪している。
自分がしている事は、役者が舞台へ出てある役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。
その勤めている役の背後に、別に何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる」
苦悩の中、虚しさから逃げなかった文豪・森鷗外が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
軍医にして小説家・森鷗外は、1862年、石見国津和野、現在の島根県津和野町に生まれた。
父は津和野藩、おかかえの医者。裕福だった。
森家に生まれた待望の長男。
父も跡継ぎができた喜びに浸る。
幼いうちから、漢学、オランダ語を教えた。
鷗外は5歳にして、12歳レベルの能力を身につけた。
10歳で、父と二人で上京。
11歳を過ぎた頃、通常では14歳にならないと入学できない第一大学区医学校、のちの帝国大学医学部の予科に入学した。
父の期待を一身に背負う。
重責を果たすため、努力する。
それをあたりまえだと思っていた。
父の跡を継いで医者になる。
それを疑うことは、自分の全人生を否定することだと感じていた。
ささいな違和感は、日常の中に潜む。
鷗外は、通学路の草木に心うばわれ、ふと足をとめる。
そんなとき、すっと心に隙間風が通り抜け、問いかける。
「それでいいのか? ほんとうの自分は、どこにいる?」
文豪・森鷗外は、幼少の頃、大人に「この子は本が好きだねえ」と言われ、「自分は本が好きなんだ」と思った。
「いつも大人びているのね」と言われ、大人びていなくてはいけないと考え、凧揚げや独楽遊びをやめた。
父の跡を継いで医者になる道も、疑うことはなかった。
ただ、心は嘘をつけない。
ささいな違和感は、やがて虚しさとなって彼を襲う。
医学の道を志しても、何かが足りない。
それを埋めてくれたのが、文学だった。
東京医学校の本科の大事な卒業試験のときも、文学書をよみふけり、世話をしていた祖母を心配させた。
「僕は、医者でも教育者でも政治家でもなく、作家になりたい」
18歳で無事卒業。成績は、上位10位以内に入った。
しかも、他の卒業生より5歳も6歳も下だった。
ドイツ留学中も、絶えず、ほんとうの自分とは何かを問い続け、虚しくなった。
北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)と共に、感染症の権威、コッホ教授に師事。
帰国後、北里は研究者として着実に成果を出す一方、鷗外は文献の翻訳者として重宝され、やがて軍医になる。
出世すればするほど、物書きになりたい希望も遠のいていった。
もしかしたら、心の中の虚しさに目をつぶれば、鷗外は政治家として名を成したのかもしれない。
でも、彼は、虚しさから一時も目を離さなかった。
文京区立森鷗外記念館は、千駄木団子坂上にある。
鷗外が60歳で亡くなるまでの30年、家族と共に暮らしたゆかりの場所。
二階の書斎から品川沖の海が見えたことから「観潮楼」と名付けた家。
記念館には、当時をしのぶ大きなイチョウの木がある。
鷗外の娘、小堀杏奴(こぼり・あんぬ)は、著書『晩年の父』の中で、父のこんな言葉を書きしるしている。
「なんでもない事が楽しいようでなくてはいけない」
鷗外は、イチョウの木を見ながら、季節を感じ、ささいな日常の大切さを観たに違いない。
日常を楽しむことしか、虚しさから逃れる術はない。
それを知っていたからこそ、鷗外は散歩を好んだ。
子どもの手をひいて、千駄木界隈を歩くと、そこにささやかな発見がある。
そして、子どもの頃、名もなき草木に心惹かれた自分に出会うことができた。
森鷗外は、こうあらねばならぬ自分と、本来の自分の狭間で悩み、格闘し、いくつもの名作を残した。
【ON AIR LIST】
フレンドリー / サカナクション
THIS PLACE IS EMPTY(虚しい気持ち) / THE ROLLING STONES
始まりのサンセット / 斉藤和義
★今回の撮影は、「文京区立森鷗外記念館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
開催中の展示など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
文京区立森鷗外記念館 HP
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