第二百四十六話他人と分かち合う
早坂暁(はやさか・あきら)。
テレビや映画の脚本、舞台の戯曲、ドキュメンタリーに小説、書いた作品は1000本以上と言われています。
ライフスタイルは、極めてシンプル。
敬愛する俳人、種田山頭火のように、ものを持たないことを流儀としました。
劇作家の三谷幸喜は、早坂の『天下御免』という作品を見て、脚本家を目指したとコメントしています。
「笑いを表地にすれば、同じほどの悲しみの裏地を付けなければならない」
そんな思いが、早坂脚本全てに通底しています。
代表作のひとつに、1981年2月からNHKで放送されたテレビドラマ『夢千代日記』があります。
主人公の夢千代は、母親の胎内にいたときに広島で被爆した胎内被爆者。
主演の吉永小百合は、夢千代を演じたことがきっかけで、のちにライフワークとなる原爆の詩の朗読を始めました。
早坂にとって原爆は、人生を通して向き合ったテーマでした。
最愛の妹を被ばくで亡くし、終戦後、焼野原の広島を見たときの衝撃は、生涯、彼の創作の根幹に根差したのです。
もうひとつ、早坂作品をひもとく重要な因子に、お遍路があります。
彼の生家は遍路道に面していて、生まれて最初に聴いた音は、通り過ぎていくお遍路さんの鈴の音だったと言います。
その音は、傷ついた心の音。
その音は、弱きもの、儚きものの音。
終生、平和の大切さを謳い、温かい眼差しで人間を見つめた偉大な脚本家・早坂暁が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
『夢千代の日記』や『花へんろ』の脚本家・早坂暁は、1929年8月11日、愛媛県温泉郡北条町、現在の愛媛県松山市に生まれた。
瀬戸内海に面した、小さな港町。
生家は、商いをしていた。
お店は、四国八十八ヶ所をめぐるお遍路さんの通り道に面していたので、絶えず白装束のひとたちが行き交う。
お遍路さん…病を治したい、大切なひとを供養したい、家族の幸せを願う…
中には表立って言えない悩みを抱えるひとも多数いて、遍路道には、哀しみや祈り、願いや葛藤が渦巻いていた。
早坂は、生まれながらの虚弱児。産声もなかった。
3歳になっても歩けず、母は心配した。
実家の菩提寺に相談に行くと、住職は言った。
「できるだけ早く、八十八ヶ所、寺を回りなさい」
母は、早坂を乳母車にのせ、およそ2ヶ月半、1200キロの旅に出た。
出発は薫風が心地よい春だったが、やがて陽射しはキツクなる。
早坂の記憶は、知らない男性におんぶしてもらったこと、知らない女性にもらい乳のおせったいを受けたこと。
たくさんのひとたちの世話になり、助けられ、ひとさまのおかげで、母は八十八ヶ所周り切った。
帰るとすぐに我が息子は歩いた。
その姿を見て母は、号泣した。
愛媛県出身の脚本家の巨匠、早坂暁が3歳のとき、妹ができた。
できたと言っても、母の子ではない。
お遍路道に、そっと置かれた捨て子だった。
早坂の家が大きな商店だったからか、前にも捨て子が置かれた。
そのときは母親がほどなく現れたので、今度もそうだろうと、母は面倒を見ることにした。
季節が春だったので、春子と名付ける。
結局、親が店を訪れることはなかった。
早坂と春子は仲がよかった。
早坂は実の妹ではないことを知っていたが、春子は知らずに育つ。
二人の成長と共に、戦争が激化。
早坂は、海軍兵学校に入隊した。
長崎から山口県防府市の部隊に移る。
春子は母に、「お兄ちゃんに、どうしても、どうしても会いたい」と言った。
空襲警報が鳴り響く中、母は春子に、早坂がほんとうの兄でないことを告げた。
春子は、目を輝かせて喜んだ。
「好きになってもいいのね、あたし、お兄ちゃんを好きになってもいいのね」
1945年8月。
大好きな兄に会うため、防府に向かう春子。
広島駅に着いたのが、8月6日だった。
原爆投下。
早坂は二度と、春子に会うことはできなかった。
防府から焼野原の広島に降り立ったときは、夜だった。
無数の燐が空中に浮かぶのを見た。
そのひとつが、春子だと思った。
早坂暁は、50歳のとき、癌で余命1年半の宣告を受ける。
病の源が、被ばくにあると確信した。
「そうか、オレは死ぬんだ」
ビバルディの「四季」を聴けば気持ちが安まるかと思ったが、泣けた。
上野に出て、博物館に入ろうとするが、やけになって展示物を壊したら大変だ。
ふらふらと辿り着いた池袋。
高層ビルの水族館に入った。
そこには、水槽から出られないのに、悠々と堂々と生きている魚たちがいた。
ただただ群泳するアジ。ひらひら泳ぐエイ。
中でも感動したのが、タカアシガニだった。
海底にたたずんで、動かない。
見事に平気な顔をして生きている。
平気で生きていければ、平気で死ねるのではないか。
そう思った。
以来、38年間。
病の苦痛と寄り添いながら、早坂暁は書き続けた。
たくさんの賞をもらい、多くの賛辞に包まれても、関心があるのは次の作品だけだった。
血の執着より、水の連帯を重んじた。
『夢千代日記』では、家族より、たまたま知り合った他人同士の情愛を丁寧に描いた。
早坂暁は、中学生にこんなメッセージを残した。
「人間が一番学ばなければならないことは、どうやって助け合い、どうやって分かち合うかということです」。
【ON AIR LIST】
船出の歌 / 山口崇、林隆三、津坂匡章(『天下御免』主題歌)
みんな夢の中 / 玉置浩二(『花へんろ 特別編「春子の人形」』エンディング)
夢千代日記 / 吉永小百合
平和の鐘が鳴る / サザンオールスターズ
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