第百八十三話ひとを幸せにする仕事をする
昨年できた、北欧のライフスタイルが体験できる「メッツァビレッジ」に加え、今回の「ムーミンバレーパーク」の誕生で、より深くムーミンの世界に入り込める場所ができました。
もともと飯能市には、ムーミンの作者の名前がついた「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」がありました。
森の中をさらさらと流れる小川、木々の香り、爽やかな風。
この地は、フィンランドに似ていると、トーベ・ヤンソンサイドに以前から認められていたのです。
日本で『ムーミン』のアニメ化が決まり、1971年、トーベ・ヤンソンは初めて来日しました。
海が見たいと伊勢志摩をめぐったり、京都、奈良を旅しました。
彼女の傍らには、生涯を共にしたパートナー、グラフィックデザイナーのトゥーリッキ・ピエティラの姿がありました。
ムーミンの原型は、北欧の妖精、トロールだと言われています。
主人公、ムーミントロールは、両親と暮らしていますが、その家にはさまざまなひとたちが出入りします。
どんなひとがやってきても、ムーミン一家は彼らを受け入れ、温かいスープとふわふわのベッドを用意します。
この世界に、同じ時代に一緒に生きている、ただそれだけで受け入れるのです。
トーベ・ヤンソンは、14歳にして雑誌に挿絵と文章が掲載された、早熟な天才でした。
幼い頃から、ひたすら絵を描き、ひたすら文章を書きました。
それはまるで、「かくこと」が自分の生きるための仕事であるかのようです。
「仕事」…それは彼女の生涯を通してのテーマでした。
彼女はいつも、忙しく「仕事」をしました。
彼女の言葉に、こんな一節があります。
「思うのも、確かにエネルギーだけれど、思いはどんどん薄まってしまうもの。だから、思い立ったら行動すべき。思ったときが動くとき。その一瞬を逃さないで」
世界的に有名な童話『ムーミンシリーズ』の作者、トーベ・ヤンソンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
童話『ムーミン』の作者、トーベ・ヤンソンは、1914年8月9日、フィンランドの首都・ヘルシンキで生まれた。
父は彫刻家。母は画家。
母が絵を画く姿を見て育つ。
歩くより、絵を画くほうが早かったと言われている。
ナイーブでペシミストな父と、自由奔放で明るい母に愛され、トーベは芸術の洗礼を受けた。
温かく平和な家庭とは裏腹に、世界は戦争の渦に飲み込まれていく。
父だけがヘルシンキに残り、母とトーベはストックホルムに疎開。
家族はバラバラになってしまった。
父は、手紙と写真を頻繁に送ってきたが、やがて戦地に赴くことになる。
さみしがる娘に、母は絵を教えた。
物語を創造する楽しさを伝えた。
夜になると、小さな灯りだけを残し、昔話を聞かせた。
森には人間が知らない生き物がたくさんいる。
この世には、目に見えない力がどこかにある。
トーベは、物語の中に溶け込み、いつまでもそこで遊んだ。
内戦は、厳しいものだった。
恐怖と不安。目の前で繰り返される生と死。
戦地から戻った父は、別人のように変わり果てていた。
ひどくふさぎこみ、笑わない。
幼いトーベは思った。
「パパはきっと、魔法使いに魔法をかけられたんだ」
『ムーミン』の作者、トーベ・ヤンソンの絵の才能はずば抜けていた。
母は、なんとかその才能に光をあてたいと思った。
学校は嫌いだった。
ずっと絵を画いていたいと思う。
休み時間になると、彼女のまわりにクラスメートが集まる。
みんな「私の絵を画いて!」とせがんだ。
トーベは、ひとりひとり丁寧に描いてあげた。
学校の行き帰りの道は、お話を考える素敵な時間だった。
森の中の道なき道を行けば、そこに妖精がひそんでいるような気がする。
鳥に話しかければ、答えてくれそうな気がした。
家に帰れば、母は学校での勉強のことなどいっさい聞かずに、通学の間に思いついた話を熱心に聞いてくれた。
「トーベ、あなたは素晴らしいわ。そのお話、もっと先が聞きたいから、明日また聞かせてね」
彼女は思いついたことは、全部メモするようにした。
絵を描き、文を書いた。
そうしておけば、忘れない。
そうしておけば、続きが書ける。
14歳で初めて雑誌に掲載されたとき、いちばん嬉しかったのは、お金をもらったことだった。
「これで、ママを助けることができる」
彫刻家の父の収入は限られていた。
母がどれほどやりくりに困っていたかを感じていた。
「少しでも助けたい。ママを助けたい。私は書くことを仕事にしたい」
やがて彼女は15歳で学校を自主退学してしまう。
あえて退路を断ち、絵と文章だけで生きていくことを決めた。
15歳にして自主退学した、トーベ・ヤンソンは思った。
「これで私は自由の身。学校の門が背中で閉じる音を聴いた。私は歩き出す。後ろは振り返らない。思ったときが動くとき。私は、私の人生をただひたすら生きる」
トーベの母は、美術専門学校に入ることをすすめた。
授業料が高いことを気にする娘に、「そんなことはいいから、ちゃんと基礎を学んでおくことが大切なの」と入学を決めてしまった。
デッサンや決められたテーマで画くことは、苦痛でしかなかった。
やがて、自由な発想自体しぼんでしまう恐怖を覚える。
家に帰ると、ふらふらだった。
それでも、専門学校での4年間は貴重な体験になった。
何よりそこには芸術家の卵たちが集まっていた。
デザイナー、画家、彫刻家に、詩人。
これまで人と交わることの少なかった彼女にとって、同じ妖精を見ることのできる仲間は、宝物だった。
母は、あちこちから授業料を借りていた。
なんとか娘を一流の芸術家にしたいと奔走した。
仕事がしたい。
トーベは思った。
ただ作品を自分勝手に創るのではなく、ちゃんと本になり出版され、たくさんのひとに読んでほしい。
だからトーベは、出版社に通い、自分の作品をとことん売り込んだ。
仕事とは、誰かのために動くこと。
そうすれば自然とお金が入ってくるはずだ。
母を楽にさせてあげたい、その一心で、彼女はお話を考え、絵を描いた。
母を幸せにしたいと思ったトーベ・ヤンソンの仕事は、世界中のひとたちを幸せにしている。
【ON AIR LIST】
ねぇ!ムーミン / 藤田淑子
秋の歌 / トーベ・ヤンソン(詞)、ヨハンナ・グルスネル(歌)
春の予感 / アート・ガーファンクル
FROM MY HEART TO YOURS / Laura Izibor
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