yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第八話 虹を見ていた   -芥川龍之介-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第八話虹を見ていた  

作家・芥川龍之介もまた、軽井沢に魅せられた芸術家でした。
室生犀星や堀辰雄と親交を持った芥川にとって、軽井沢の香りは、友情に満ちた、かけがえのない時間を与えてくれました。
そしてもうひとつ、軽井沢は、芥川にとって、最後の恋とでもいうべき出会いを用意しました。

片山 広子。

歌を詠む歌人にして、アイルランド文学の翻訳家。
芥川龍之介は、自作『或阿呆の一生』の中で、「才力の上にも格闘できる女性」としるしました。
外交官の長女として、東京・麻布に生まれ、東洋英和女学校を卒業した才色兼備。
彼女は42歳で銀行員だった夫を亡くし、その4年後に、軽井沢で芥川に出会います。
彼より、14歳年上。しかも、一男一女の母。
でも、広子の想いはあふれます。

「わたくしが女ではなく、男かあるいは他のものに、鳥でも獣でもかまいませんが、女でないものに出世しておつきあいはできないでしょうか」と手紙を綴りました。

広子は、誰よりも芥川の文学的な才能を確信していました。
芥川もまた、彼女の才覚、立ち居振る舞いに、魅かれていきます。
そんな二人が、軽井沢の地で見つめた風景とは?
それぞれが自分に言えなかったyesを言えた、あの夏の日。
誰にも、忘れられない風景があります。
誰にも、心に刻まれた、永遠の時間があります。
芥川龍之介が、死のふちで見つけた、最後の宝石とは?

生まれて間もなく、母が心を病んだ。
母の実家の芥川家に預けられる。叔母の名は、フキ。
龍之介が、11歳のとき、母が死んだ。
正式に、芥川家の養子になった。
芥川家はかつて徳川家に仕えた士族。茶の湯をつかさどった。
もともと芸術を好む土壌があった。
成績優秀者として第一高等学校に入学。
同期に、久米正雄や、菊池寛がいた。
1913年、難関を突破し、東京帝国大学英文科に入った。
同人誌をつくり、小説を書く。
夏目漱石の門下に入り、『羅生門』、『鼻』など、絶賛され、文壇にデビュー。創作に励む。
30歳を越えたころから、神経衰弱、腸カタルなど、心身を病む。
関東大震災を経験し、さらに不眠症がすすむ。
でも彼は創作をやめない。

「樹の枝にいる一匹の毛虫は、気温、天候、鳥類等のために絶えず生命の危険に迫られている。芸術家もその生命を保って行くために、この毛虫のとおりの危険をしのがなければならぬ。なかんずく恐るべきものは停滞だ。進歩しなければ、必ず退歩するのだ」

彼は体にむちうって、進むことをやめなかった。

芥川龍之介は、大正13年と、14年の夏、軽井沢を訪れた。
中山道軽井沢宿の旅籠だった「つるや」。
この旅館は、明治中頃から、文士たちのお気に入りの宿だった。
島崎藤村の紹介で室生犀星がやってきて、犀星の誘いで、萩原朔太郎や堀辰雄、そして芥川龍之介が訪れた。
大正13年の夏の一か月。
芥川は、歌人でアイルランド文学の翻訳者、片山広子に出会う。

彼女は未亡人で、長男と娘を連れてきていた。
14歳離れていたけれど、美しかった。気品がただよい、白い横顔には、文学的な陰影が見え隠れした。
芥川もまたアイルランド文学に魅かれ、イェイツの作品を翻訳したことがあった。
片山親子と、碓氷峠にかかる月を見にいったことがあった。
澄み渡る藍色に、薄い黄色の満月が浮かんでいた。
どうしても、広子の横顔を見てしまう。
何度も何度も、見てしまう。
月を見ているようで、広子を見ていた。
満月は、そんな二人をただ、眺めていた。

翌年、大正14年の夏。芥川龍之介は、再び、軽井沢を訪れた。
彼にとって広子は、同士であり、心の戦友であり、そして、人生最後の恋の相手だった。夏の間のたったの一か月。
芥川には妻子があった。
ある日、つるや旅館の主が、車を出してくれた。
「信濃追分まで、行こうじゃないか」
後部座席には、芥川と広子の二人だけだった。
村のはずれまでやってくる。
道が分かれるその場所で、車を降りた。
芥川と広子は、何かから逃げるように、二人で歩いた。
北の方角には、浅間山が見えた。雨雲をかぶっている。
赤茶けた山肌が、なぜか生々しい。
南に目を向けると、すっかり晴れていた。
二人は、ただ風に吹かれた。ひんやりした雨の匂いのする風。
広子の髪が揺れるのを、芥川は見ていた。
どれくらい、そこにたたずんでいただろう。

「まあ、綺麗」

広子が言った。指差す小山の上に、虹があった。
紫があり、青があり、黄色があり、赤があった。
天に向かっているので、虹がどこを目指しているのか、わからなかった。でも、確実に、どこかに向かっていた。

「綺麗だね」

芥川が目を細めて言った。
ただ二人で虹を見ていた。
やがて、それはどんどん薄くなっていき、空に消えた。
それでもまだ、二人は、そこを動かなかった。

「綺麗ね」

「ああ、ほんとに、綺麗だ」

その二年後、芥川龍之介は、自ら命を絶つ。
うすれゆく意識の中に、あの虹はあっただろうか。
あのときつぶやいた、広子の声は、聴こえていただろうか。

「綺麗ね」

天に向かう虹の行方は、誰にもわからない。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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