第三百二十六話自分で得たものしか使えない
衣笠貞之助(きぬがさ・ていのすけ)。
作品のタイトルは『地獄門』。
主演・長谷川一夫。
審査委員長のフランスの詩人・ジャン・コクトーは、衣笠の、平安時代の色彩美を再現した才能に、最大の賛辞をおくったと言われています。
カンヌ国際映画祭のグランプリは、のちにパルム・ドールと名を変えますが、次に選ばれた日本人は、1980年の黒澤明『影武者』まで待たねばなりませんでした。
もともと、新派の女形。
役者だった衣笠は、映画監督としても頭角を現し、長谷川一夫とは、およそ50本あまりの映画をつくり、日本中の映画ファンを魅了しました。
群を抜いた素晴らしい功績があるにも関わらず、ほぼ同時代の映画監督、小津安二郎や溝口健二と比べると、現代にその名が受け継がれているとはいいがたい現実があります。
小説家の川端康成や横光利一、岸田國士らと、新しい映画芸術を創造しようと、新感覚派映画聯盟を設立。
その中心メンバーとして実験的な映画『狂った一頁』を発表。
日本映画初のアヴァンギャルド映画を監督しましたが、ふたをあけてみれば、大赤字。
結局、売れる映画を創り続けました。
ただ、衣笠は、いつも新しいもの、これまでにないものに興味を持ち、さまざまな手法を試すことには終生、貪欲でした。
生涯、活動写真が大好きな映画青年。
ピュアな心の原点には、ただひとつ、観客を驚かせて楽しませたいという思いがありました。
黎明期から、映画という文化の屋台骨を支え続けたレジェンド・衣笠貞之助が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
映画監督・衣笠貞之助は、明治29年、現在の三重県亀山市に生まれた。
六男二女の四男だった。
亀山は、江戸時代、伊勢亀山藩の城下町として栄え、鈴鹿峠を越えるための重要な宿場町としてにぎわっていた。
貞之助の実家は、煙草問屋。
お金には困らない、それなりに裕福な暮らし。
母は、歌舞伎と新派劇、共に大好きで、貞之助が幼い頃から一緒に連れて行った。
小学校を出て私塾に通うようになると、貞之助もすっかり演劇にのめり込む。
特に新派が楽しかった。
歌舞伎の模倣や、小説の脚色が多かったが、子どもにもわかりやすく、勧善懲悪があり、色恋や人情ものがあった。
大人たちは、笑い、泣いた。
津市にある曙座に行った帰りには、今見てきたばかりの芝居を真似してみせた。
母は、貞之助が演じる姿を見て、お腹を抱えて笑う。
そんな母の姿を見るのが好きだった。
15歳を過ぎた、ある寒い夜、火鉢をつつく母に、彼は打ち明けた。
「お母さん、ボク、ひとつ、夢ができたよ。あのね、役者になりたいんだ。役者になって全国を回りたいんだよ」
芝居好きの母は、きっと賛成してくれるだろうと思った。
しかし、母は、冷たい視線で貞之助を真っすぐ見つめ、こう言った。
「馬鹿なことを言うんでないよ。芝居っていうのはね、見て面白いもんで、自分で演って、何が面白いもんですか」
がっかりした。
父が反対するのはわかっていたが、母はきっと理解してくれると信じていた。
役者への夢は消えるどころかどんどん膨らみ、18歳の春、ついに彼は家出を決行した。
小津安二郎や溝口健二と同じ時代を生きた映画監督のレジェンド・衣笠貞之助は、若かりし頃、役者になろうと思った。
18歳の4月、新橋行きの切符を握りしめ、家出した。
汽車が、ある駅で停車する。
曇った窓をこすると、ホームの柱に「おおがき」と書いてあった。
大垣駅。停車時間は2分だけ。
小雨が降っている。
駅のすぐそばに「柿羊羹」の店があり、その軒下に芝居のポスターがつるしてあった。
『新派有無会公演』
有っても無くてもいいような芝居…そんな意味か…。
そう思いつつ、気がつくと、汽車を飛び降りていた。
大事に握りしめていた切符は、捨てた。
その瞬間、彼の人生が大きく変わる。
ポスターにあった劇場に行ってみた。
近くの宿を片っ端からあたる。
どこかに一座が泊まっているはずだ…。
ようやくたどり着いた。
雨もりのする天井。
二階の奥の間に通された。
座長らしきひとは、頭がつるりとはげた男性。
貞之助が座るなり、「この芝居はお金になりませんよ」と言った。
「歳はいくつ?」
「18です」
「そう、いいね、これからだね。実はいい娘役がいなくて困っていたんだ。ひとつ、勉強してみなさい」
どうやら、女形の志願者に間違われたらしい。
こうして、若き衣笠貞之助は、女形の役者として舞台にあがった。
衣笠貞之助は、女形の役者になったが、もちろん経験もなく、演技の基礎も知らない。
座長は言った。
「新派の役者っていうのはな、自分自身で演技を会得するしかないんだよ。歌舞伎のように、決まった所作や型がないからなあ。自分で編み出して工夫するよりほかに、道はない。どうやったら道が見つかるかって? そりゃおまえ、熱心に見ることしかないねえ。人の演技を、たくさんたくさん見るんだよ。みんなそれぞれ特徴がある。その長所だけをもらって、自分のもんにしていくんだ。最初は、真似でいい。真似して吸収してから、自分のもんにしていくんだよ」。
必死で見た。
先輩たちの演技。目、首の動き、肩、腰の回し方。
やがて、気づいた。
そうか…心なんだ。
心が動いていないと、演技は動かない、見たひとの気持ちも動かない…。
衣笠貞之助の映画の原点は、幼いころ見た芝居と、自らの演技経験にあった。
常に観客を驚かせること。そして、心をつかむこと。
そのためには、自分が学ばなくてはいけない。
新しいものに挑戦していなくてはならない。
彼は、多くの観客を呼ぶための大衆映画も数多く監督したが、刀がない時代劇や、斬新な音楽と字幕だけで感情を表現する前衛映画も撮った。
とにかく、芝居が好きだった。
若い俳優に語りかけた。
「役者っていうのはさ、結局、自分自身で演技を会得するしかないんだよ」。
【ON AIR LIST】
白日 / King Gnu
明日への挑戦(Take Me To The Next Phase part1&2) / アイズレー・ブラザーズ
役者(Le Comedien) / 石丸幹二
映画監督 / 斉藤和義
★今回の撮影は亀山市歴史博物館様にご協力いただきました。ありがとうございました。
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