第百五十六話襷をつなぐ
北八ヶ岳と奥秩父山塊の間に位置するこの町で幼少期を過ごした、作詞家がいます。
山川啓介。
青春ドラマの主題歌として大ヒットした、青い三角定規の『太陽がくれた季節』、火曜サスペンスのエンディング曲『聖母たちのララバイ』、ゴダイゴの『銀河鉄道999』や、矢沢永吉の『時間よ止まれ』など、名曲は枚挙にいとまがありません。
その歌詞のあたたかさ、やさしさ、会話調の言葉づかいは、多くのファンを魅了しました。
昨年7月、72歳でこの世を去った彼の原点は、幼少期を過ごした小海町の松原湖にあります。
澄んだ風に湖面を揺らす、この静謐な湖のほとりに、ある歌碑が建てられています。
『北風小僧の寒太郎』。
NHK「みんなのうた」で大人気だったこの歌を作詞したのも、山川啓介です。
彼は本名の井出隆夫の名前で子ども向けの童謡も、数多く作詞しました。
歌碑に近づくと、センサーが反応して、あの懐かしいフレーズが流れます。
「北風小僧の、寒太郎……寒太郎」
山川の心の中には、いつも、冬の松原湖があったのかもしれません。
寒い風が吹きつける。
一面、雪で真っ白。何もない。何も見えない。
ただ、風の音だけが聴こえる。ヒューン、ヒューン。
奇しくも、その歌碑の近くには、小学校の先生で歌人だった祖父、井出八井(いで・はっせい)の石碑もあります。
山川には、ひとつの流儀がありました。
新しい才能に襷(たすき)をつなぐ。
若いひとを鼓舞し、激励し、チャンスを与え、愛する音楽を守ろうとした男、作詞家・山川啓介が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
作詞家・山川啓介は、現在の長野県佐久市に生まれた。
幼少期を過ごしたのは、小海町。松原湖が遊び場だった。
同年代の子どもが少ない。ひとりで遊ぶことが多かった。
強烈に印象的なのは、冬。八ヶ岳から吹き降ろす、冷たい風がやってくる。
枯れ枝を吹き飛ばす。湖の水面が、幾重にも波紋で乱される。
山川は、木の電信柱に耳をつけた。なんともいえない音が鳴っている。
風の音。ヒューン、ヒューン。電信柱が泣いている、と思った。
でも、何度もその音を聴いていると、ひとりぼっちであることを忘れられた。
まるで遠くから自分に会いにきてくれる、友達の挨拶に聴こえた。
ヒューン、ヒューン。こんにちは。やあ、元気かい?
自然界は、音であふれている。
それは、こちらが寄り添えば、優しい音楽にも聴こえる。
山も野も、川も湖も、そして風も、そこに悪意はない。
山川は、こんなふうに語っている。
「子ども向けの曲も、青春歌謡も、大人の歌も、僕の詞の根底には、性善説があるように思います。人間は生まれながらにして悪ではない。食べ終わったあとに残るあじわいは、いつも、おいしい、であってほしいんです」。
だから山川は、火曜サスペンス劇場のエンディング曲の発注があったときも、最初に考えたのは、どんな事件であっても殺伐としたまま終わってほしくない。
そこには、レクイエムが、ララバイが必要だ。
作詞家・山川啓介は、高校時代、ラジオの深夜放送で洋楽を聴き、音楽の素晴らしさにはまった。
特にミュージカル音楽に興味を持つ。
『五つの銅貨』という映画が大好きだった。
「音楽って、すごい!ひとの心をここまで動かすことができるんだ!」
早稲田大学文学部に入ってからは、自分で詞を書き始めた。
ある日、クラスメートから「オレの彼女がさあ、ミュージカルで主役やるんだよ、チケット買ってくれよ」と誘われた。
見てみると…ひどい。話の筋も音楽も最低だった。
正直にクラスメートに告げると、次の日、喫茶店に呼び出される。
行ってみると、ミュージカルサークルの連中がびっしり待っていた。
まずい…。
そう思ったがリーダーから「意見を聞かせろよ」と迫られ、思い切って本心をぶちまけた。
一瞬の静寂があったあと、リーダーが言った。
「だったら、おまえが書けよ」
そうして作詞、脚本を手掛けるようになった。
最初は見よう見まね。
岩谷時子、永六輔の詞を読み込む。
「なんだ、難しい言葉を使う必要なんてないんだ。話し言葉でいいんじゃないか」
ミュージカルサークルだけではなく、アマチュアバンドにも曲を提供した。
そのうち、レコード会社に出入りをするようになり、デビューのきっかけになるいずみたくと出会った。
いずみたくは、無名の新人にチャンスを与えてくれた。
全く売れなくても、いつも機会を与え続けてくれた。
作詞家・山川啓介は、無名の若手に優しかった。
彼自身、無名時代にチャンスを与えてもらったことが大きかったが、彼の中の思いもあった。
それは、つなぐということ。
ひとの一生は限られている。
もし何か愛するものに触れたなら、守るべきものを見つけたなら、それは次世代に襷をつながなくてはいけない。
だから、山川は、若手に自分の席を譲った。
ある脚本家がいた。
彼はある歌手のコンサートで朗読劇を担うことになる。
恐れ多いが、頑張って書いた。
なぜならコンサートの全体構成をしているのは、山川啓介。
山川は、無名の彼に言った。
「君は、すごい才能を持っているよ。僕には書けない。頑張りなさい」
大御所がそこまで言ってくれるのを聞いて、脚本家は恐縮したが、それだけでは終わらなかった。
山川は、翌年のコンサートのすべての構成を彼に任せるようにした。
自らは退き、山川は彼に言った。
「時代は移り、世代が変わっていくことが健全なんだよ。昔の人間が、ふんぞりかえっていたら、大切なものは守れないんだ。先輩たちを、越えなさい」
そうして山川啓介は、矢沢永吉のエピソードを語った。
「当時、詞も曲も自分で創らないとニューミュージックにあらずというときに、矢沢さんはね、僕にこう言ったんだよ。『俺よりうまく詞をかくやつはたくさんいる。無名でもいいから、俺の思いをわかってくれるやつに、詞をまかせたい。山川さん、詞を書いてください』」
【ON AIR LIST】
太陽がくれた季節 / 青い三角定規
聖母たちのララバイ / 岩崎宏美
銀河鉄道999 / ゴダイゴ
時間よ止まれ / 矢沢永吉
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