yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第十七話 身体で覚える -作家・池波正太郎-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第十七話身体で覚える

時代小説をこの世に残し、今も読み継がれている作家、池波正太郎。
『真田太平記』の中で、彼はこんなふうに書いています。
「すべてがわかったようなつもりでいても、双方のおもいちがいは、間々あることで、大形にいうならば、人の世の大半は、人びとの『かんちがい』によって成り立っているといってもよいほどなのだ」
池波正太郎は、人一倍、勘違いに敏感だったのかもしれません。
それは誰かに勘違いされる、ということのみならず、自らも、さまざまな事象、人の機微、世の流れやうつろいを、決して勘違いせぬよう、戒めていたような気がします。
彼が物事を正しくとらえるために心がけたこと、それは、おそらく、『身体で覚える』ではなかったでしょうか。

彼は、現場におもむき、五感で確かめ、自分の感覚を拠り所にしました。
初めて友人と訪れた軽井沢。池波はまだ、十代でした。
南アルプスで遊び、八ヶ岳山麓をめぐり、軽井沢の星野温泉に泊まりました。
江戸の宿場町の風情が残る街並みを、池波は気に入りました。
晩夏の街道に人影はなく、いかにも長脇差を腰に、さんど笠を被った侍が、歩いてくるようでした。
その一方で、静かな別荘地。
ハンモックに揺れる金髪の少女を見ます。
軽井沢という場所は、彼にとって、ワクワクする創作の源になりました。
作家、池波正太郎が軽井沢に学んだものとは?
彼が自分にyesというために、心に決めた流儀とは?

作家、池波正太郎は、1923年1月25日、浅草に生まれた。
父は日本橋の錦糸問屋に勤めていた。池波が生まれた年に、関東大震災が起きた。一家は埼玉の浦和に引っ越す。
やがて東京に舞い戻るも、父の商売がうまくいかず、両親は離婚。母に引き取られる。江戸っ子で職人かたぎの祖父は、正太郎をたいそう可愛がった。
祖父や母に連れられて、よく芝居見物に通った。チャンバラ映画と、少年向けの冒険小説を好んだ。
小学校を卒業するとき、担任は進学をすすめたが、池波は家計を助けるため、株式現物取引の店に奉公に出た。
半年で辞め、ペンキ店に行くが、そこも辞め、もう一度株式のお店に入った。
以後、戦争で国民勤労訓練所に入るまで、そこで歯を食いしばった。
もともと株や相場の才覚があったのか、小遣いをつぎ込み、月給を上回る収入を得た。
そうして稼いだお金で池波少年は、本を買い、芝居を観て、剣術を習い、食べ歩き、果てには吉原で遊んだ。
歌舞伎に傾倒して、長唄まで習った。
机上の学問より、体験を好んだ。
1941年、太平洋戦争がはじまり、国民勤労訓練所に入所。
旋盤機械工になった。
そこで彼は、ある上司に出会う。

芝浦の製作所。旋盤機械工としてではなく、当初は経理担当だった。でも池波は
「現場がいいです。旋盤工をやらせてください!」
と懇願した。
希望したはいいが、池波は不器用だった。株式を読む力はあっても、手先は思うように動かない。
同僚が三日で覚えるのを、一か月近くかかってしまった。
落ち込んだ。我が身の不甲斐なさを嘆いた。
そんな池波を、上司の水口伍長は、見捨てなかった。
「池波、おまえは機械を機械としてしか見てないからダメなんだ」
そう、怒られた。
水口は、機械を人間のように扱った。
油をさすとは言わない。「飯を食わす」と言う。
機械に話しかける。
「おい、今日の調子はどうだ?一日、よろしく頼んだぞ」
池波も真似てみる。楽しくなった。会話をしているように、機械に向き合えた。気がつくと、誰よりうまくなっていた。

作家、池波正太郎は、旋盤工として機械に向き合い、気づいた。
自らの身体で覚えるということ。
彼は、随筆『日曜日の万年筆』にこう書いている。
「或日。突然に、ぱっとわかった。図面が読めるようになり、機械が手足のようにうごいてくれはじめた。それまでに私は、そうした経験をしたことが一度もなかった。自分で手と躰で苦しみながら物を造りあげるという体験が、ほとんどなかったといってよい」。
上司の水口伍長は、池波を誉めた。
「そうだ、池波、そうなんだ、こいつらみんな相棒なんだ」。
身体で覚えることは池波正太郎の原点になった。

どんなに若造でも、分不相応でも、軽井沢の『万平ホテル』に泊まった。味わいたかった。
この身に、西欧の文化や大人の流儀を沁みこませたかった。
『万平ホテル』の誰もが、二十歳に満たない池波を子供扱いしなかった。
宿帳にはサバを読み、二十一と書いた。
おそらくバレていたかもしれない。
それでもホテルマンは、親切だった。
池波は、軽井沢が好きになった。
ますます、身体で体感することの大切さを知った。
池波の小説には、遊び人が出てくる。
そのリアリティが読者の心をつかむ。
小説という大きな嘘はつくが、ディテールや実感という小さな嘘はつかない。
常に現場に立ち、体験、体感し、自分の感覚を研ぎ澄ます。
そのことでしか、物語は紡げない。
池波正太郎の小説は、人の営みに深く触れているからこそ、いつまでも、色あせない。
人間は、自分の感覚を信じるしか、ない。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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