第十七話身体で覚える
『真田太平記』の中で、彼はこんなふうに書いています。
「すべてがわかったようなつもりでいても、双方のおもいちがいは、間々あることで、大形にいうならば、人の世の大半は、人びとの『かんちがい』によって成り立っているといってもよいほどなのだ」
池波正太郎は、人一倍、勘違いに敏感だったのかもしれません。
それは誰かに勘違いされる、ということのみならず、自らも、さまざまな事象、人の機微、世の流れやうつろいを、決して勘違いせぬよう、戒めていたような気がします。
彼が物事を正しくとらえるために心がけたこと、それは、おそらく、『身体で覚える』ではなかったでしょうか。
彼は、現場におもむき、五感で確かめ、自分の感覚を拠り所にしました。
初めて友人と訪れた軽井沢。池波はまだ、十代でした。
南アルプスで遊び、八ヶ岳山麓をめぐり、軽井沢の星野温泉に泊まりました。
江戸の宿場町の風情が残る街並みを、池波は気に入りました。
晩夏の街道に人影はなく、いかにも長脇差を腰に、さんど笠を被った侍が、歩いてくるようでした。
その一方で、静かな別荘地。
ハンモックに揺れる金髪の少女を見ます。
軽井沢という場所は、彼にとって、ワクワクする創作の源になりました。
作家、池波正太郎が軽井沢に学んだものとは?
彼が自分にyesというために、心に決めた流儀とは?
作家、池波正太郎は、1923年1月25日、浅草に生まれた。
父は日本橋の錦糸問屋に勤めていた。池波が生まれた年に、関東大震災が起きた。一家は埼玉の浦和に引っ越す。
やがて東京に舞い戻るも、父の商売がうまくいかず、両親は離婚。母に引き取られる。江戸っ子で職人かたぎの祖父は、正太郎をたいそう可愛がった。
祖父や母に連れられて、よく芝居見物に通った。チャンバラ映画と、少年向けの冒険小説を好んだ。
小学校を卒業するとき、担任は進学をすすめたが、池波は家計を助けるため、株式現物取引の店に奉公に出た。
半年で辞め、ペンキ店に行くが、そこも辞め、もう一度株式のお店に入った。
以後、戦争で国民勤労訓練所に入るまで、そこで歯を食いしばった。
もともと株や相場の才覚があったのか、小遣いをつぎ込み、月給を上回る収入を得た。
そうして稼いだお金で池波少年は、本を買い、芝居を観て、剣術を習い、食べ歩き、果てには吉原で遊んだ。
歌舞伎に傾倒して、長唄まで習った。
机上の学問より、体験を好んだ。
1941年、太平洋戦争がはじまり、国民勤労訓練所に入所。
旋盤機械工になった。
そこで彼は、ある上司に出会う。
芝浦の製作所。旋盤機械工としてではなく、当初は経理担当だった。でも池波は
「現場がいいです。旋盤工をやらせてください!」
と懇願した。
希望したはいいが、池波は不器用だった。株式を読む力はあっても、手先は思うように動かない。
同僚が三日で覚えるのを、一か月近くかかってしまった。
落ち込んだ。我が身の不甲斐なさを嘆いた。
そんな池波を、上司の水口伍長は、見捨てなかった。
「池波、おまえは機械を機械としてしか見てないからダメなんだ」
そう、怒られた。
水口は、機械を人間のように扱った。
油をさすとは言わない。「飯を食わす」と言う。
機械に話しかける。
「おい、今日の調子はどうだ?一日、よろしく頼んだぞ」
池波も真似てみる。楽しくなった。会話をしているように、機械に向き合えた。気がつくと、誰よりうまくなっていた。
作家、池波正太郎は、旋盤工として機械に向き合い、気づいた。
自らの身体で覚えるということ。
彼は、随筆『日曜日の万年筆』にこう書いている。
「或日。突然に、ぱっとわかった。図面が読めるようになり、機械が手足のようにうごいてくれはじめた。それまでに私は、そうした経験をしたことが一度もなかった。自分で手と躰で苦しみながら物を造りあげるという体験が、ほとんどなかったといってよい」。
上司の水口伍長は、池波を誉めた。
「そうだ、池波、そうなんだ、こいつらみんな相棒なんだ」。
身体で覚えることは池波正太郎の原点になった。
どんなに若造でも、分不相応でも、軽井沢の『万平ホテル』に泊まった。味わいたかった。
この身に、西欧の文化や大人の流儀を沁みこませたかった。
『万平ホテル』の誰もが、二十歳に満たない池波を子供扱いしなかった。
宿帳にはサバを読み、二十一と書いた。
おそらくバレていたかもしれない。
それでもホテルマンは、親切だった。
池波は、軽井沢が好きになった。
ますます、身体で体感することの大切さを知った。
池波の小説には、遊び人が出てくる。
そのリアリティが読者の心をつかむ。
小説という大きな嘘はつくが、ディテールや実感という小さな嘘はつかない。
常に現場に立ち、体験、体感し、自分の感覚を研ぎ澄ます。
そのことでしか、物語は紡げない。
池波正太郎の小説は、人の営みに深く触れているからこそ、いつまでも、色あせない。
人間は、自分の感覚を信じるしか、ない。
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