第三百五十九話プライドは己の素手でつかみとる
照屋敏子(てるや・としこ)。
戦後、返還前の沖縄にあって、沖縄人のプライドの復権と独立を掲げ、数々の事業を起こした起業家です。
ジャーナリストの大家・大宅壮一(おおや・そういち)は、自身のルポルタージュの中で、照屋をこう書き記しています。
「彼女の生きる道はどこまでも海だ。
彼女は見るからに精悍で、“海の女豹”といった感じである」。
芥川賞作家・火野葦平(ひの・あしへい)は、彼女をモデルに小説を書き、脚本家で作家の高木凜(たかぎ・りん)は、綿密な取材と卓越した文章力で、照屋敏子の伝記を書きあげました。
そのルポルタージュのタイトルは、『沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子』。
この作品は、第14回小学館ノンフィクション大賞を受賞しました。
照屋の何が、作家たちの心を揺さぶるのでしょうか。
照屋敏子の人生は、困難にまみれ、逆境に次ぐ、逆境。
それでも彼女は、へこたれません。
一度たりとも、足を止めません。
それはなぜか?
沖縄に生まれた誇り、プライドがあったから。
人間は生まれた時から、己が己の尊厳を守らないと生きていけないと、知っていたから。
激しさのあまり、彼女は、いつも多くのバッシングを受けます。
それでも彼女は前に進む。
ひとには、言わせておけばいい。
ひとの顔色ばかりうかがっていては、自分の人生が台無しになってしまうことを、知っていたのです。
照屋は、ことあるごとに、こんな言葉を吐きました。
「私の正義感が黙っていない!」
幼くして両親を亡くした彼女にとって、全ての基準は、自らの正義感でした。
これを見過ごして、私は後悔しないか?
ここを逃げ去って、自分はおてんとうさまに顔を上げていられるか。
「沖縄に“男”がいる」と言われ、女海賊の異名までつけられた糸満市の巨人! 照屋敏子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
戦後の沖縄で数々の事業を興した起業家・照屋敏子は、1915年、沖縄本島南部の糸満に生まれた。
敏子が2歳のとき、両親は、新天地での成功を夢見て、ブラジルに旅立つ。
当時、沖縄では、貧しさからの脱却をはかるため、移民するひとが多かった。
日清戦争後の不況、台風や干ばつ。
敏子の親も、生きる道を探すため、子どもを祖母に預け、海を渡ったに違いない。
いつか成功して、子どもを呼び寄せるつもりで。
しかし、ブラジルに向かう船の中で、母が亡くなる。
父は4年後に戻ってくるが、すぐにこの世を去る。
敏子は、幼くして孤児になった。
祖母は厳しく、甘えを許さない。
ミシン仕事を強いられ、サトウキビの根っこを拾うため、炎天下、畑を歩き回る。
満足に食事も与えられない。
自らの力で生きていくしかなかった。
9歳のとき、大人の女性たちに交じって、魚の行商を始めた。
男たちの船が港に戻ってくると、女性たちはいっせいに船に近づく。
胸まで海水につかりながら、獲れたばかりの魚をもらう。
魚がいっぱい入った籠を頭の上にのせて、那覇まで売りにいく。
自分の顔より大きな籠、重さは10キロを超える。
それを頭にのせ、ふらふら歩く少女の姿があった。
糸満の海が、敏子をたくましく変えていく。
照屋敏子は、小学3年生で魚の行商を始めた。
学校が終わると、同級生たちからの遊びを断り、頭に籠をのせ、裸足で歩く。
灼熱の太陽が照り付ける中、片道およそ8キロ。
足の裏はひび割れ、血がにじみ、やがて固まった。
通常、行商のノウハウは祖母が母に教え、母が娘に伝えていく。
しかし、敏子に教わるひとはいない。
自分で考え、自分で試し、失敗し、学ぶしかない。
幼い娘だからと買ってくれるひともいたが、長続きはしなかった。
敏子は、相手の名前や好きな魚を覚え、次に来るときに驚かれた。
突然の大雨。
ガジュマルの木の下で雨宿りしながら、敏子は思った。
「わたしは、お父さんとお母さんに捨てられたんだから、ひとりで生きていくしかない。
泣いたってわめいたってひとりなんだから、仕方ない。
自分で強くなっていくしかない」
敏子は、泣かなかった。
『子ども』を売りにすることもなかった。
そんなたたずまいが、一緒に売り歩く女性たちに認められていく。
「あんた、プライドだけは、いっちょ前だね」
笑われたが、おむすびを分けてくれた。
敏子は、思っていた。
「このひとたちより、たくさんの魚を売ってやる。負けるもんか。誰にも、負けるもんか」
敏子は、19歳のとき、小学生時代の恩師・照屋と結婚する。
照屋家は、水産業で名をはせる名家だった。
しかし、1941年、太平洋戦争勃発。
1944年10月10日、沖縄本土を襲った壮烈な空襲で、那覇市の市街地は、およそ90%焼失した。
照屋家も全て失い、鹿児島、熊本と疎開。
最終的に福岡に逃げのびた。
逆境に強い敏子は、終戦の混乱の中、行商で一家を支える。
海外や日本全土から、九州、沖縄にやってくる引揚者たち。
福岡の引揚援護局も、ごったがえしていた。
敏子は、そこで驚きの光景を目にする。
GHQの指示により、沖縄出身者に対する対応が明らかに違う。
同胞の悲惨な姿を目の当たりにして、敏子の心に火がついた。
彼女は、沖縄出身者の漁師を集めて、漁業団を結成。
女親分として、みんなを引っ張った。
あらくれ男からナイフで切りつけられて、指を深く切ったが、動じない。
恐ろしいフカが泳ぎ回る海にひとり素潜りして、魚を獲る網を割りばしで直した。
彼女にとって、沖縄に生まれたこと、糸満の海で育ったことが、人生の誇りだった。
自分のプライドは、誰にも渡さない。
照屋敏子は、幼い頃、血まみれの小さな足で踏みしめた沖縄の大地を、生涯、忘れなかった。
【ON AIR LIST】
NEVER END / 安室奈美恵
糸満姉小 / ネーネーズ
愛より青い海 / 上々颱風
★今回の撮影は、「シャボン玉石けん くくる糸満」様、糸満市の皆様にご協力いただきました。ありがとうございました。
くくる糸満について、詳しくは公式HPにてご確認ください。
シャボン玉石けん くくる糸満 HP
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